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樹上の蜥蜴座(ラケルタ)  作者: 速水涙子


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7-β 青い鳥を探して(2/3)

 施設のスタッフに呼ばれたので、私はアトリさんと別れて指示された場所へと向かった。そうして施設内を歩いていたとき、見知った顔を見つけて、私は思わず立ち止まる。


 橘綾乃だ。不登校のクラスメイト。言葉を交わしたのは数えるほどだったけれども、私にとっては忘れられない相手だった。


 なぜなら、橘綾乃が学校に来なくなったのは、私が彼女を怒らせた次の日だったから。


 もしかして、この近くに住んでいるのだろうか。それで、バザーを見に来たとか――そう思ったのだが、彼女は施設の人と何やら相談しながらこちらに近づいて来る。どうも、お客さんといった感じではない。彼女もボランティアに参加していたのだろうか。


 そうこうしているうちに、橘さんの方も私のことに気がついたらしい。一緒にいた人と別れると、私の方へとやって来た。


「橘さんも、ボランティアに参加してたの?」


 私がそう声をかけると、相対した彼女はこう答えた。


「まあ……ボランティアといえばボランティアね」


 曖昧な返答に、私は思わず首をかしげてしまう。彼女はさらにこう続けた。


「ちょっと知り合いに頼まれて手伝いに来ただけ。私は昔、ここでお世話になってたことがあるから」


 ここって、ここに? この児童養護施設に?


 踏み込んではいけない場所にうっかり入り込んでしまったような気がして、私はあからさまに戸惑った。


 そんな私の動揺を見透かしたかのように、橘さんは小さく笑みを浮かべている。うろたえている私と違って、彼女の方は特に何も思ってはいないようだ。


「あなたこそ、どうして――って……ああ、もしかして、また自分探し?」


 橘さんは含み笑いと共にそう言った。


 いつの日か私が口を滑らせた言葉を、彼女はしっかりと覚えていたらしい。私は思わず顔をしかめた。


 それを見て、橘さんはやはり笑っている。


「別にいいけど。私には、そういったことはよくわからないから。自分なんて、そもそも探さなければいけないものではないでしょう?」


 居たたまれなくなりつつも、私はどうにか口を開く。


「それはきっと、橘さんがちゃんとした自分というものを持っているからだと思う」


 そう言い返すと、彼女は小さく肩をすくめた。


「あなたにはそう見えるの? まあ、どちらにせよ、私には自分なんて探す必要があるようには思えないけど。今ここにあるものがすべてなんだから」


 あっさりとそう言い切られてしまっては、これ以上、私には何も言い返すことはできない。確固たる自己を持っているらしい彼女が、私には眩しくも思えた。


「そう断言できる橘さんが、私にはうらやましいよ。おかしな過去だとか、信じられないような身の上だとか――そんなものはないってことだろうから。私はそうじゃない。確かなものは何もないってことを知ってしまった。だから、私は」


「金谷さんっておもしろいね」


 おもしろい? 橘さんは私の話をさえぎってまでそう言った。私の苦悩など、ひとつも伝わらなかったようだ。


 落胆して黙り込んでいると、彼女はさらにこう続ける。


「よかったら、今度うちに遊びに来ない?」


 うち? うち、というと橘さんの自宅のことだろうか。急に何を言い出すのだろう。


 私と彼女はそこまで親しい間柄ではない。思いがけない提案に、私はぽかんと口を開けた。


 橘さんは呆然とする私を楽しそうに見返しながら、その返答を待ちかまえている。居たたまれなくなった私は、流されるままに彼女の家へ行くことを承諾してしまった。


 訪問の日時などを決めると、彼女は何ごともなかったかのように私の目の前から去って行く。呆気にとられた私は、それをただ見送ることしかできなかった。




 バザーの片づけを終えた私は、夕日が沈む時間になって、ようやく帰途についた。


 近頃はボランティアを終えた後には憂ちゃんやアトリさんとどこかに寄ることも多かったのだが、この日は二人とも用があるとのこと。私はそのとき、ひとりきりだった。


「理子」


 ふいに誰かに名を呼ばれて、私は声がした方へと振り向いた。


 そこに立っていたのは、千代ちゃんだ。くたびれた紙袋を片手に、ひとり佇んでいる。


 今日は意外なところで意外な人に会う日だ。そう思いながら、声をかけた。


「どうしたの?」


「時間空いてる?」


 彼女はすぐさまそう問い返す。


 私がうなずき答えると、千代ちゃんはついて来るよう促しながら先を歩き始めた。そうして連れて行かれた先は、いつだったか憂ちゃんたちとも訪れた喫茶店。何だか、この店とも妙な縁ができてしまったようだ。


 千代ちゃんは窓の近くにある明るい席に座ると、ためらいなくホットコーヒーを注文した。それを見た私は、少し考えてからアイスティーを頼む。さすがにまだ熱い飲みものを選ぶような季節ではないと思ったからだ。


 しかし、千代ちゃんは涼しい顔でコーヒーを飲むと、こう切り出した。


「いろいろと大変だったでしょう。少しは落ち着いた?」


 母のことを言っているのだろう。私は当たり障りのない言葉を返す。軽く話せるようなことでもなかったし、この話題はそれ以上広げようもない。


 しばらくはとりとめのない話をしていたが、千代ちゃんはふいにこんなことを言い始めた。


「実は待ち伏せしてた、って言ったら驚く?」


 確かに意外なことではあったけれども、私は驚くよりむしろ腑に落ちていた。たとえ町中で彼女と偶然に会ったとしても、こんな風に話をするなんて今まで一度もなかったからだ。おそらくは、憂ちゃんから今日の予定を聞いていたのだろう。


「ちょっと伝えておきたいことがあって。憂にはもう話したんだ。わざわざ伝えるのも変な感じなんだけど」


 千代ちゃんはそんな前置きをしながらも、はっきりとこう告げた。


「あたし、遠くの高校に進学するの。簡単には会えないくらい遠く。行きたい学校があってね。もういろいろと準備もしてる。ってそれだけ言いたかったの」


 私は驚くこともなく、うなずいた。


 千代ちゃんからこういう話を聞くのは初めてだ。けれども、私は何となく、彼女は私たちとは違う道を行くのではないか、とも思っていた。


 千代ちゃんは私と違って、しっかりとした自分を持っている人だからだ。そして、それは他人の存在には左右されないだろう、とも。


 進路について打ち明けてくれた後にも、千代ちゃんは自分が考えていることや、あるいは将来の展望についてを聞かせてくれた。少し難しい話だったけれども、彼女は研究者になりたいらしく、ずっと勉強してきたのだそうだ。そのため部活にも入らなかったのだとか。


 言いたいことを言ったからだろうか。千代ちゃんはどこか満足そうな表情をしている。


 わざわざ話しに来てくれたことについては、私もうれしく思っていた。何となく、彼女は自分のことを明かしたりはしないような気がしていたからだろう。


 そんな私の考えを見透かしたわけではないだろうけれども、千代ちゃんは私にこう問いかけた。


「あたしがどうしてこんな話をするのかって、変に思ったんじゃない?」


「そんなことないけど……」


 千代ちゃんは煮え切らない私の反応に、小さく肩をすくめている。


「そう? あたしって薄情そうでしょう? 自分で言うのも何だけど、たぶんクラスでも浮いてる方だと思うのよね。達観しているというか」


「まあ、そんな感じはするかも……」


 私がそう答えると、彼女はにやりと笑い返した。

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