19.悪役としての生涯
ドォォォォォォォォォンッ……!!!
天を、そして大地を揺るがす、物理的な音を超越した「概念の震動」が王都全体に響き渡った。
「……なっ!?」
広場の端。迷宮の入り口である『断罪の門』の最奥――地下の深淵から、目を開けていられないほどの眩い黄金の光と、底知れぬ漆黒の波動が入り混じった、莫大なエネルギーの柱が天に向かって噴き上がったのだ。
それは魔力などというチャチなものではない。
この世界そのものを構成する理、迷宮の管理者たる絶対の権限。
原作において、主人公の真っ直ぐな想いに呼応して発動する、この迷宮の最深部、原作終盤で仲間になる最強のヒロインによる『強制介入』の光。
(……来た! 来た来た来たッ!!)
俺の顔に、悪役としての歓喜の笑みが張り付いた。
次の瞬間、俺の体内を巡っていた強大な獄炎と氷結の複合魔力が、まるで元栓を締められたかのように、プツンと音を立てて完全に遮断された。
指先一つ、小さな氷の欠片すら作り出せない。体内から一切の力が抜け落ち、俺はバルコニーの床に膝をつきそうになるのを、必死に耐えた。
間違いない。原作における俺の最大の敗北要因。
迷宮の底に眠る記録者・シンシアによる、魔力供給の強制シャットダウン!
「……っ!? これは、非合理な……強制干渉……!? 私の展開式が、すべて、破棄されて……っ!」
後方で、セレナが苦悶の声を上げた。
彼女が中空に展開していた七層の魔法陣が、まるでガラスが割れるようにパリンと砕け散る。
世界そのものの『秩序』を書き換えるような圧倒的な重圧の前に、セレナの構築した冷徹な天秤は完全に機能不全に陥り、彼女は膝を屈して石畳に倒れ伏した。
そして、最も残酷な形でその「奇跡」の影響を受けたのは。
主人公の首に爪を立てようとしていた、狂犬だった。
「……ぁ、え……?」
リリアの身体が、空中でピタリと静止した。
否、静止させられたのだ。見えざる巨大な神の手によって、空のハエを叩き落とすかのように。
ドゴォッ!!
「が、はァッ……!?」
肺から空気が根こそぎ吐き出される。
リリアは顔面から血の海の広場へと叩きつけられ、その全身に、万の岩山を背負わされたかのような異常な重力がのしかかった。
「あ……が、ぁ……動け、動けない……! なんで……!」
リリアは石畳に這いつくばったまま、必死に腕を動かそうとする。
だが、俺の魔力による『調律』を絶たれ、さらに深淵の絶対的な縛りを受けた彼女の肉体は、指一本動かすことすら許されなかった。
広場に、奇妙な静寂が訪れる。
無傷で立っているのは、手にした安い鉄の剣に『黄金の光の残滓』を宿した原作主人公と。
魔力を完全に奪われ、ただの無力な人間に成り下がったバルコニーの俺だけ。
「……奇跡だ。迷宮に眠る光が、僕に力を貸してくれたんだ……!」
主人公は、自らの剣に宿った光を見て、己の使命を確信した。
彼は、完全に動きを封じられて地面に這いつくばるリリアを一瞥し、そして、バルコニーで身動きの取れない俺を真っ直ぐに睨み据えた。
「これで終わりだ、ヴァルディア公爵! あんたの邪悪な魔法はもう使えない! あんたの非道な支配も、ここまでだッ!」
主人公が、力強く大地を蹴った。
バルコニーへと続く大階段を、怒りと正義の炎を燃やしながら駆け上がってくる。
(おおおおおおっ! これだよこれ!!)
俺は魔力を失った空っぽの身体で、震えるほどの感動を噛み締めていた。
(やはり主人公補正は絶対だ! 俺の理不尽なまでの暴力も、冷酷な合理も、すべてをひっくり返すこの『ご都合主義の奇跡』! これぞファンタジーの醍醐味!)
俺は、迫り来る死の足音を聞きながら、両手を広げ、傲慢な悪役の貌で嗤ってみせた。
「……くくっ、はははははっ! 面白い! 迷宮の底の虫けらが、俺の天秤に干渉したというのか! だが、貴様のようなゴミの剣が、この私に届くつもりか!」
虚勢だ。今の俺はただの一般人以下だ。
だが、悪役として最期までこの完璧なロールプレイを全うしなければならない。
俺が最高の散り際に向けて台詞を吐いていた、その真下で。
「――っ、があああああぁぁぁぁぁああああッ!!!」
広場の石畳に縫い付けられたリリアが、喉が裂けるほどの絶叫を上げていた。
「ご主人さま! ご主人さまぁっ!!」
彼女の金色の瞳から、大粒の涙が、やがて血の涙となってボロボロとこぼれ落ちる。
動かない。身体が動かない。
自分は、ご主人さまの『盾と剣』だ。ご主人さまの邪魔になるものをすべて排除し、ご主人さまの隣で一番の役に立つために生かされているのに。
今、彼女の視界の先では、自分が「一瞬で殺せるはずだったゴミ」が、階段を駆け上がり、愛してやまない主の命を奪おうとしている。
「だめ、だめだめだめだめッ!! ご主人さまに、近づくなァッ!!」
メキッ、バキィッ!
リリアの身体から、悍ましい音が響く。
絶対の重力に逆らおうと無理やり筋肉を収縮させた結果、彼女自身の骨が軋み、筋繊維がブチブチと千切れ始めているのだ。
「あああああ! 動け、動け私の身体!! なんで、なんで一番大事な時にッ……!」
石畳に食い込ませた十指の爪が剥がれ、生身の指先から鮮血が吹き出す。
激痛などどうでもいい。
ここで自分が動けなければ、ご主人さまが死んでしまう。あの温かくて、冷たくて、絶対的な『永遠』が、あんなちっぽけなゴミの剣で失われてしまう。
「いやだ、ご主人さま! 私を置いていかないで! 私の命を、全部あげるから、だから……!」
リリアの悲痛な叫びも、システムが強要する『奇跡』の前には無力だった。
彼女は血の涙を流し、自らの無力さに心を完全に狂わせながら、主の死の瞬間を特等席で見届けることしかできない。
後方で這いつくばるセレナもまた、虚ろな瞳でバルコニーを見上げていた。
「……閣下の、計算が……崩れる……? 私の、生きる意味が……消滅する……?」
彼女の構築した冷徹な世界が、音を立てて崩壊していく。
そして。
「覚悟しろ、悪魔ッ!!」
大階段を駆け上がった主人公が、ついに俺の目の前へと到達した。
黄金の光を帯びた鉄の剣が、大きく振り被られる。
(完璧だ!リリアの絶望!俺の思い描いていた最高の終焉じゃないか!!さあ、来い! 俺のすべてを断ち切ってみせろ!)
俺は逃げなかった。防御すらしない。
クラリスが静かに目を伏せるのを感じながら、ただ、自らの敗北を、この美しい物語の終着点を、誰よりも愛おしむように笑って受け入れた。
「……これで、俺の完璧な悪役人生は、完成する」
空気を裂く音。
主人公の剣が、俺の首筋へと真っ直ぐに振り下ろされる。
刃の冷たい感触が、皮膚に触れる直前。
俺は、満ち足りた思いで目を閉じた。
(……ああ。最高の異世界転生だった。ありがとう、断罪の冥宮)
――そして、刃が俺の首筋に触れた。
完璧な、俺の待ち望んだ死。
俺の悪役としての生涯が、今。
プツン、と。
物語の幕が引かれる音がした。
***
【世界は七つの罪に穿たれている】
――悪役公爵は断罪され、ここに光の勇者の旅が始まる。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
これにて第一章完結となります。
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