18.遅れてきた光と、過剰防衛
王都ソルフェリオン、中央広場。
そこは今や、黄金の都の面影など微塵もない、肉と鉄が混じり合う「解体場」と化していた。
(……待て待て待て。落ち着け、俺)
俺は王宮のバルコニーの手すりを強く握りしめ、額に浮かぶ大量の冷や汗を拭った。
眼下では、漆黒のドレスを纏ったリリアが、体長十メートルを超えるミノタウロスの巨体を紙屑のように引き裂き、飛び散る鮮血を浴びながらケタケタと笑っている。
(……そういえば、ミノタウロス。冷静に考えなくても、こいつは原作の『始まりの地』に出てきていい個体じゃない。通常なら、ここはスライムやゴブリンの群れが溢れ、人々が『ひえぇ助けてー!』となったところに主人公が登場するはずだった)
俺は、数日前に自分が施した「術式の劣化作業」を思い返す。
確実に魔物を溢れさせるため、そして、あわよくば自分の資産を脅かす迷宮の『不純物』を効率的に間引きするため、俺は封印の術式を極限まで薄く削ぎ落とした。
その結果。
薄くなった封印の隙間を縫って出てきたのは、本来なら中盤以降の迷宮に潜むはずの「高ランクの個体」たちだった。
(ゲームバランスが、完全に崩壊している……ッ!)
俺が「良かれと思って」用意したチュートリアルは、いつの間にか初期レベルのプレイヤーなら一歩踏み出した瞬間にゲームオーバーになるような、地獄の難易度に変貌していた。
しかも、その「地獄」を、俺の飼い犬であるリリアが一方的に蹂躙している。
「閣下。広場の魔物の残存数は、残り八パーセント。……まもなく、第一フェーズの『清掃』が完了します」
横でセレナが、感情の消え失せた声で報告してくる。
彼女は俺の展開した氷の防壁の内側で、まるで天候の記録でも取るかのような手つきで、広場に転がる死体の数を数え上げていた。
「……リリアの暴力による排除は、秩序の維持という観点からは極めて『合理的』でしたね。魔物の脅威は、当初の予測よりも遥かに早く沈静化しています。……ただ、景観の損害係数が予測を大きく上回っておりますが」
「……あ、ああ。そうだな」
俺は引き攣った笑みを浮かべる。
本来なら、セレナがここで「魔物に襲われる民を助けて!」と叫び、俺の非道を断罪するために戦場へ飛び出すはずだった。
しかし、今の彼女は「閣下の資産である広場が汚れた」ことだけを懸念し、俺の横で冷徹に被害状況を査定している。
俺の描いていた「美しい敗北の物語」は、今、俺自身の用意した過剰な戦力によって、粉々に粉砕されようとしていた。
その時だった。
「――そこまでだ、悪魔めッ!!」
広場の瓦礫の影から、一人の青年が飛び出してきた。
使い古された鉄の剣を握りしめ、ボロボロの革鎧を纏った、どこにでもいるような駆け出しの冒険者。
だが、その瞳に宿る意志の強さだけは、周囲の絶望した群衆とは明らかに一線を画していた。
(……来、来たあああああああああっ!!)
俺は心の中で、スタンディングオベーションを送った。
待ちわびたぞ。待ちわびすぎて、もう物語が終わりかけていた。
彼こそが、この物語の真の勝者――『原作主人公』だ。
彼は、血の海と化した広場の中央で、ミノタウロスの死骸の上に立つリリアと、バルコニーにいる俺を交互に睨みつけた。
「……なんてことを……! 魔物だけでなく、こんな無関係な人々まで巻き込んで……! ヴァルディア公爵、あなたはどこまで腐っているんだッ!」
(……よし! 台詞は満点だ! ヘイトもしっかり溜まっている!)
俺は、本来の悪役としての顔を取り戻し、冷酷な笑みを浮かべて見下ろした。
「……ほう。誰かと思えば、一介の冒険者か。俺の庭で、随分と大きな声を出すな」
さあ、ここからだ。
彼が「僕が、君を止める!」と言って、魔物の群れを蹴散らし、最後には俺の元へと辿り着く。それが正解のルートだ。
俺は歓喜に震えながら、改めてその「勇者」の姿を値踏みするように見下ろした。
……そして、顔からサァッと血の気が引いた。
(待てよ。……あの刃こぼれした鉄の剣に、サイズも合っていない安物の革鎧。間違いない、あれはゲーム開始直後に村の村長からもらう『初期装備』だ。……ってことは、まさか)
俺の脳裏に、数日前の自分の「効率的なやらかし」がフラッシュバックする。
(俺がルビコン川の防衛戦を勝手に終わらせたせいで……あいつは道中の経験値を1ミリも稼がずに、初期ステータスのままここへ来やがったのか……!?)
俺は、本来の悪役としての顔を取り繕うのも忘れ、滝のような冷や汗を流した。
「――排除しますか? 閣下」
セレナが、静かに羽ペンを置いた。
彼女のサファイアの瞳が、広場に立つ主人公を「不要なゴミ」として完全にロックオンする。
「あの『未知の変数』は、現在進行中の事後処理における最大のノイズです。……私の魔術演算によれば、あのような初期装備の個体がこの状況に介入する確率は、非効率の極み。……閣下の美しい秩序を乱す前に、私が直接、消去いたします」
「ま、待て! セレナ、――」
俺が制止する間もなかった。
「あははっ! ご主人さま、あいつ、私を睨んでる! 面白い、面白いね!」
ミノタウロスの山の上で、リリアが歓喜の叫びを上げた。
彼女の金色の瞳が、獲物を狙う猛獣のように細まる。
「ご主人さまの獲物を横取りしようとするゴミ……。私が、一瞬で首を引き抜いてあげるッ!!」
リリアの身体が、爆発的な勢いで弾けた。
主人公が剣を構える暇すら与えない、神速の跳躍。
彼女の爪が、空中で漆黒の魔力を帯び、死の軌跡を描く。
「なっ……速っ――!?」
原作主人公の目が驚愕に見開かれる。
当然だ。レベル1の初期ステータスで、俺の魔力によって限界突破した狂犬の動きなど、目で追えるはずがない。
リリアの爪が、容赦なく原作主人公の頸動脈へと迫る。
(や、やめろバカ!! そいつは殺しちゃダメなんだってば!!)
俺は咄嗟にバルコニーの手すりを蹴り飛ばし、自らの魔力を広場へと叩きつけた。
「――『氷結防壁』ッ!!」
ガキィィィンッ!!
リリアの爪が主人公の首に触れるコンマ一秒前。
俺の放った分厚い氷の壁が主人公の目の前に出現し、リリアの強烈な一撃を間一髪で弾き返した。
「……え?」
主人公が、目の前に突如現れた氷の壁を見て呆然とする。
「……っ! ご、ご主人さま!?」
空中で弾かれたリリアが着地し、信じられないという顔で俺を見上げた。
「なんで……! なんで私がゴミを掃除するのを、邪魔するの……っ!?」
「……勘違いするな、リリア」
俺は全身から冷や汗を噴出させながらも、極めて冷酷な、余裕ぶった悪役のトーンを崩さずに言い放った。
「そいつは、ただ殺すには惜しいほど『滑稽』だ。……俺に向かって吠えたその威勢、すぐに終わらせてはつまらん。……殺すな。いたぶれ。徹底的に絶望を味わわせてから、俺の前に引きずり出せ」
(よし、完璧な言い訳だ! これで即死だけは免れるはず……!)
「……ああ、そういうこと! ご主人さまの『おもちゃ』なんだね! わかった、手足から順番に折ってあげる!」
リリアが再び嬉狂の笑みを浮かべ、姿勢を低くする。
だが、安心したのも束の間。
「――閣下。その判断は非効率です」
背後から、氷のように冷たい声が響いた。
振り返ると、セレナが手の中空に、黄金の聖なる魔法陣を七層も重ねて展開していた。
本来は物語終盤に習得できる邪悪を浄化するための『極光の槍』。リリアの調整ついでにと思いセレナにもやってしまっていたそれが早期習得に繋がってしまっていたなんて。それが今無常にも、かつて彼女が守るべき対象だったはずの、眼下の「一介の冒険者」へと正確に照準を合わせている。
「あのような低レベルの個体に、リリアの稼働時間を割くのは魔力の無駄遣いです。……私が、この『極光の槍』で広場の魔物の残骸ごと、あの変数を消滅させます。……誤差〇・〇一秒。確実に、チリ一つ残しません」
「やめろォォォォッ!!」
俺は思わず、バルコニーの上で絶叫した。
「せ、セレナ! お前のその計算は間違っている! そいつは……そいつは、俺の計画に必要な……そう、特大の『実験動物』だ! チリにしては意味がないだろうが!」
「……実験動物、ですか」
セレナは魔法陣を展開したまま、わずかに首を傾げた。
「……理解いたしました。閣下があの個体から有用な『データ』を抽出するというのなら、私の計算式は修正されなければなりません。……致死量ギリギリの魔力に調整し、四肢の自由のみを奪います」
「い、いや! だから魔法は撃つな! リリアのおもちゃだと言っただろうが!」
俺が必死に叫んでいる間にも、眼下の広場では、訳も分からずパニックに陥っている原作主人公の姿があった。
「な、なんだ!? どうなってるんだ!?」
彼から見れば、わけがわからないだろう。
悪逆非道な公爵を倒しに来たら、化け物が突っ込んできて、それをなぜか標的である公爵本人が氷の壁で守ってくれた。
と思ったら、今度はバルコニーから、かつて国中の希望だったはずの『聖騎士』が、自分に向かって容赦のない高火力の殲滅魔法を撃ち込もうと照準を合わせているのだ。
「聖騎士様……!? なぜ、あなたが公爵の隣に……っ! 目を覚ましてください!」
主人公が、セレナに向かって必死に叫ぶ。
だが、セレナは手元の魔法陣から目を離さず、冷徹に言い放った。
「……ノイズですね。閣下の美しい秩序を乱す、聞き苦しい雑音。……直ちに黙らせます」
(ちがう! お前らが一番ノイズなんだよ! 俺のシナリオの!!)
俺は胃がねじ切れるような痛みに耐えながら、必死に脳を回転させた。
このままでは、原作主人公はリリアにダルマにされるか、セレナに黒焦げにされるかの二択だ。
どちらにせよ、俺の「華麗な断罪イベント」は完全に消滅する。
どうする。どうすれば…。
(終わるのか…。俺の美しい断罪イベントが、俺の所有物たちの過剰防衛によって完全に消滅する――)
俺がバルコニーの上で絶望に目を瞑りかけた、まさにそのコンマ一秒前だった。
ドォォォォォォォォォンッ……!!!
天を、そして大地を揺るがす、物理的な音を超越した「概念の震動」が王都全体に響き渡った。
想定より長くなってしまったので
次回で第一章を終わりにします。




