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17.黄金の開門祭、焦燥の狂犬

黄金の都ソルフェリオンの心臓部。

都市のど真ん中に穿たれた巨大な垂直穴を塞ぐようにして、天を突くほどの威容を誇る白磁の門――『断罪の門』が聳え立っている。

年に一度、この門の封印が緩められ、迷宮の浅層への立ち入りが許可される日。

それが『開門祭』である。

広場には数万の市民と、一攫千金を夢見る冒険者たちが押し寄せ、王家が主催する華々しい式典の開始を今か今かと待ちわびていた。

空には紙吹雪が舞い、ファンファーレが鳴り響く。誰もが黄金の光の下で、これから始まる「希望と富の祭典」に酔いしれていた。


「……相変わらず、反吐が出るほど安っぽい舞台装置だ」


俺は、広場を特等席で見下ろせる王宮の大バルコニーから、眼下の喧騒を冷たい目で見下ろしていた。

漆黒のコートを風になびかせながら、血のように赤いワインを軽く揺らす。


(本来のシナリオ通りなら、ここからが俺の『死のロードマップ』の本格的な幕開けだ)


俺は脳内で、この世界の『正史』――原作ゲームのプロローグのチャートをなぞる。

開門祭のファンファーレと共に、本来なら厳かに開くはずの扉から、突如として大量の魔物が溢れ出す。それは、迷宮の管理者である俺(ヴァルディア公爵)が、己の利益のために封印の魔力炉を不正にいじり、わざと暴走させたことによる人災だ。

パニックに陥り、逃げ惑う群衆。

蹂躙される黄金の都。

そして、その阿鼻叫喚の地獄の中に――『原作主人公』が颯爽と姿を現すのだ。

彼は名もなき冒険者として群衆に紛れており、誰よりも早く剣を抜き、圧倒的な主人公補正(奇跡)をもって魔物の群れを切り伏せる。

そして、逃げ遅れた人々を背中で庇いながら、バルコニーで高みの見物をしている俺に向かって、こう叫ぶのだ。


『お前の腐った野望は、僕がここで叩き斬る!』と。


(……くくっ、たまらないな。まさに王道、まさに痛快な英雄譚の始まりだ)


俺はグラスの縁に口をつけ、来るべき自分の「極上の敗北」の予感に、内心で歓喜の震えを堪えていた。

そのために、俺は数日前からわざと封印の術式に細工を施し、魔物が広場へ溢れ出すように完璧な『お膳立て』を済ませてある。


「閣下。ご報告いたします」


俺の背後から、一切の感情の揺らぎを感じさせない、ガラス細工のように冷たい声が響いた。


「事前の予測通り、断罪の門の術式臨界点まで残り百八十秒。流出する魔物の規模から推測して、広場に配置された警備兵の防衛線は、四十二秒後に完全に崩壊します。……初期段階での市民の損害は三割を超えるでしょう」


かつてこの国で最も眩しい光を放っていた聖騎士、セレナ・レティシアだ。

だが、今の彼女は黄金の『聖刻鎧』を纏っていない。用意された喪服のような黒のワンピースに身を包み、手には剣ではなく、分厚い報告書と羽ペンを握りしめている。

彼女のサファイアの瞳には、かつて人々を救おうとした熱は一ミリも残っていない。ただ、俺が敷いた「冷徹な秩序」の通りに、淡々と命が散る推移を告げるだけの『執行者』としてそこに立っていた。


「市民のパニックによる圧死の確率も加味すると、最終的な損害予測は六割に達します。……ですが、この混乱を機に政敵を排除し、王都の治安維持権を我が公爵家が掌握するための『対価』としては、極めて合理的な損失コストです」


セレナは、数万人の死傷者が出る予測を、まるで明日の天気を読み上げるような口調で報告し、深く頭を下げた。


「……見事な分析だ、セレナ。お前の冷徹な判断力のおかげで、俺も安心して盤面を眺められる」


「光栄です、閣下。……私は、貴方の描く秩序を体現するための歯車。それ以外の不要な感情は、すべて泥の中に捨てて参りました」


セレナの口角が、僅かに、しかしひどく歪に吊り上がる。

俺に「合理の正しさ」を褒められたことに対する、異様なまでの執着と安堵が、その冷たい微笑みの奥にドロドロと渦巻いているのが分かった。


(……よしよし。元ヒロインの一人がこんな『血も涙もない冷酷な機械』に成り下がっている姿を見れば、原作主人公もさぞかし俺に対して激怒するだろう。ヘイト管理は完璧だ)


俺が呑気にそんなメタ思考を巡らせていた、その時だった。


「――っ、……あ、あァ……ッ」


俺の足元の影から、ギリギリと、骨が軋むような異音が漏れた。

視線を落とすと、俺のブーツにすがりつくようにして控えていたリリアが、全身を小刻みに震わせ、自らの腕を掻き毟っていた。

彼女の金色の瞳は、俺を通り越し、背後に控えるセレナを射殺すような憎悪で睨みつけている。


(……ご主人さまが、あのゴミを、褒めた)


リリアの脳内で、警鐘が狂ったように鳴り響いていた。

リリアの世界は、極めてシンプルだ。『ご主人さまの役に立つこと』が、彼女の存在意義のすべてである。

これまでは、圧倒的な暴力でご主人さまのゴミを排除する「狂犬」としての役割が、彼女に絶対的な優位性を与えていた。

だが、あの光の女が屋敷に来てから、状況が変わった。

あの女は剣を捨て、ご主人さまの『合理』という、リリアには絶対に理解できない領域でご主人さまの役に立ち始めたのだ。

しかも、ご主人さまは、あの女の出す「答え」に満足そうに頷く。


(……いらない。あんな女、いらない)


(ご主人さまの役に立つのは、私だけでいい。あいつは、ご主人さまの頭の中を盗んでるだけだ。……私は、私にしかできないことで、ご主人さまの一番にならなきゃ!)


リリアの十指の爪が、シャキン、と鋭い刃となって伸びる。

生存本能にも似た、強烈な焦燥感。

ここで自分の価値を証明しなければ、自分はご主人さまの『一番の所有物』から降格させられてしまう。


「リリア。どうした、唸るな。うるさいぞ」


俺が不審に思って声をかけた瞬間。

ズズンッ……!!

広場の中心で、重々しい地鳴りが響いた。

ファンファーレが悲鳴のような不協和音に変わり、数十人の魔導士たちが維持していた『断罪の門』の封印の石板に、巨大な亀裂が走ったのだ。


「な、なんだ!? 封印が……封印が破れるぞ!」


「魔物だ! 迷宮の底から、魔物が溢れ出してきたぁぁっ!」


黄金の光に照らされた広場が、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと叩き落とされる。

門の隙間から、ドス黒い瘴気と共に、四つ足の獣、巨大な昆虫、肉が腐り落ちた巨人など、ありとあらゆる異形が雪崩れ込んできた。


(――来た!)


俺はバルコニーの手すりから身を乗り出し、歓喜に目を輝かせた。


(さあ、原作主人公! どこにいる! いつでも飛び出してこい! そして俺を睨みつけろ!)


俺が群衆の中に『主人公特有の輝き』を探そうと目を凝らした、まさにそのコンマ一秒後。


「――ご主人さまッ!! 見ててッ!!」


鼓膜を突き破るような叫びと共に。

俺の足元から、漆黒の弾丸が空へ向かって発射された。


「……は?」


バルコニーの石造りの手すりが粉々に砕け散り、強烈な風圧が俺のコートを煽る。

飛び出したのは、リリアだった。

彼女は、数百メートルはある王宮のバルコニーから、眼下の広場へ向かって、一切の躊躇なく、真っ逆さまに身を投じたのだ。


「おい、リリア!? 何をやっている! 待て、お前の出番はそこじゃ――」


「見てて! 私が! 私が全部、綺麗にする!!」


リリアは空中で身体を捻り、重力加速度を乗せた恐るべき速度で、広場に溢れ出していた魔物の群れの中心――最も巨大な、体長十メートルを超える牛頭の魔物ミノタウロスの頭上へと落下した。

ドゴォォォォォォォォォンッ!!!

隕石が墜落したかのような凄まじい轟音と衝撃波が広場を吹き抜け、逃げ惑っていた市民たちが風圧で次々と薙ぎ倒される。

巻き上がった土煙と瘴気が晴れた後、そこにあったのは。


「アハッ……あはははははっ! ゴミ! ぜんぶゴミッ!!」


ミノタウロスの巨体を縦に真っ二つに引き裂き、その頭蓋骨の上に降り立った、血塗れの少女の姿だった。

漆黒のドレスは返り血でドロドロに染まり、銀金の髪には魔物の内臓の残骸がこびりついている。

リリアは、自らの両腕を引きちぎったミノタウロスの極太の角を両手に握りしめ、それを巨大な鉈のように振り回した。


「ああああああっ!! 死ね! 消えろ! ご主人さまの視界に入るな!!」


そこから始まったのは、戦闘ではない。

圧倒的な、理不尽極まりない、一方的な『解体作業』だった。

バキィッ! メチャッ! グチャアァァァッ!

リリアが角を振り回すたびに、周囲を取り囲んでいた数十体の魔物が、文字通りミンチに変わっていく。

硬い外骨格を持つ蜘蛛の魔物は、真上からの踵落としで甲殻ごと内臓を破裂させられ、群れを成す獣の魔物は、リリアの鋭い爪によって一瞬で頸動脈を引き裂かれ、血の噴水へと変わる。


「ヒィィィッ……! な、なんだあれは……化け物だ!」


「に、逃げろ! 魔物よりヤバいぞ!!」


魔物から逃げていたはずの市民たちが、今度は『魔物を笑いながら素手で引き裂いている血だるまの少女』の狂気に恐怖し、絶叫しながら広場の端へと逃げ惑う。


(……や、やばい。やばいやばいやばい!!)


俺はバルコニーの上で、冷や汗を滝のように流しながらその惨状を見下ろしていた。


(なんだあの虐殺ショーは!? 俺が原作主人公のために用意した『適正レベルの経験値(魔物)』が、開始数秒で物理的にすり潰されていくんだが!? これじゃ主人公が活躍する出番がねえ!)


俺が原作シナリオの完全崩壊に頭を抱えていると、横に立つセレナが、手元の書類に何かを書き込みながら、極めて冷淡な声で呟いた。


「……非効率ですね」


「え?」


「リリアの戦闘行動は、著しく非効率です。殺戮の快楽を優先するあまり、魔物の急所を的確に突かず、無駄な破壊を楽しんでいるため、一体あたりの処理速度が〇・五秒遅延しています」


セレナは、血の雨が降る広場を見下ろしながら、微塵も感情の揺れない声で俺に提案した。


「閣下。あのような野蛮な獣に任せていては、広場の原状回復にかかる事後コストが増大します。……私に、許可を。あらかじめ仕掛けておいた王宮の防衛魔導砲の照準を、群れの中心座標にセットしてあります。……リリアごと、まとめて『消去』した方が、遥かに被害は安上がりです」


「や、やめろ! 狂ってんのかお前ら!!」


俺は思わず、冷静な悪役の仮面を投げ捨てて素で叫んでしまった。

広場で自らの価値を証明しようと血みどろで暴走する狂犬リリアと、その狂犬ごとノイズとしてまとめて消し飛ばそうとする冷酷な執行者セレナ


(俺が育てたヤンデレどもが、予想の斜め上のベクトルで有能すぎる……ッ!!)


俺は絶望的に広場を見渡した。

血の池と化した石畳。積み上がる魔物の肉片。

そして、その中央で、「どう? ご主人さま! 私が一番でしょ!?」とばかりに、魔物の抉り出した心臓を掲げて、こちらへ向かって無邪気に笑いかけるリリアの姿。

どこにも、光はない。

どこにも、英雄の入り込む隙間はない。


「……来い……早く来てくれ、原作主人公……!」


俺は祈るような気持ちで、誰もいない空へ向かって呪詛のように呟いた。


「……俺の、俺の美しい断罪イベントを……助けてくれぇっ……」


王都ソルフェリオンの開門祭は、かくして最悪の形で幕を開けた。

圧倒的な暴力と、狂気に満ちた所有物たちによる忠誠の証明。

遅れて到着するはずの『原作主人公』が、この地獄の完成図を見た時、果たして彼に「世界を救う」という正気が保てるのだろうか。

血の雨が降る黄金の都で、俺の胃痛だけがマッハで加速していた。


ここまで読んでくださった皆様方

謹んで感謝申し上げます。

次回で第一章完結させます。


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