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12.光の拒絶と、シナリオの破壊者

【世界は七つの罪に穿たれている】

聖刻歴の始まりと共に、大地には七つの深淵が刻まれた。

人々は、深淵から溢れ出す災厄を封じ、その魔力を糧とするために、穴を塞ぐようにして七つの王都を築いた。

その一つ。

大陸の玄関口にして、最も美しき黄金の都、ソルフェリオン───。


王都の夜は、数千の魔石灯ランプの輝きによって、夜の闇という自然の摂理すらも否定するかのように、不気味なほど白く照らし尽くされていた。

建国祭の祝宴。王宮の大広間は、贅を尽くした衣装を纏う貴族たちの熱気と、噎せ返るような香水の匂いで満たされている。

弦楽器の優雅な調べが響く中、誰もが微笑みを浮かべ、グラスを交わしている。だがその実態は、深淵の脅威から目を背け、自分がいかに特権階級であるかを確認し合うための、秩序という仮面を被った醜悪な虚飾の品評会だ。


「……見ろ。ヴァルディア公爵だ」


「相変わらず不遜な。まるでこの国を自分の庭だと思っているようだ」


大広間の入り口に俺が姿を現した瞬間、さざ波のように広がっていた喧騒が、潮が引くように静まり返った。

周囲の温度が数度下がったかと錯覚するほどの緊張感。

俺は漆黒のコートを風になびかせ、周囲の貴族たちに一瞥だにくれず、冷徹な無表情を貫いたまま悠然と絨毯の上を歩を進める。三歩後ろには、完璧な静寂を纏い、周囲の視線を値踏みするように見返すメイドのクラリスが控えていた。

だが、会場中の視線が恐怖と好奇をもって釘付けになったのは、俺の放つ圧倒的な魔力の重圧でも、悪名高いその貌でもなかった。


「……おい、あれを見ろ」


「奴隷……? まさか、建国祭の神聖な場に、あんなものを連れてくるとは」


俺のすぐ隣。

俺の歩幅に完璧に合わせ、俺の影を縫うような位置で、一人の少女が歩いていた。

俺が自らの魔力で仕立て上げた、闇夜を切り取ったかのような漆黒のドレス。

そして、そのハイネックの襟元の外側に、忌々しくも美しく固定された、鈍い銀色の首輪。

リリアは、周囲から突き刺さる好奇や蔑みの視線を、最初から存在していないかのように扱っていた。

彼女の金色の瞳に映っているのは、俺の後頭部と、俺の足元が踏みしめる絨毯の先だけだ。彼女にとって、この豪華絢爛な王宮も、周囲に群がる高貴な貴族たちも、視界に入れてすらいない「背景ゴミ」に過ぎない。

彼女の歩く周囲一メートルだけ、明確な「拒絶の領域」が形成され、誰も近づくことができなかった。


「――レイン・ヴァルディア閣下。少々、お話をよろしいでしょうか」


正面から、涼やかな声が響いた。

その瞬間、会場の淀んだ空気が一変した。それは、俺たちが撒き散らす毒を浄化するような、あまりにも清廉で、暴力的なまでの「光」の響きだった。

表面に刻まれた無数の聖印が、まるで心臓の鼓動のように微かに拍動し、黄金の光を放つ『聖刻鎧せいこくがい』。

歩くたびに揺れる黄金のポニーテール。サファイアのように澄み切った、迷いのない瞳。

戦場に立つ騎士というよりは、神の意思を代行する「聖女」に近い、峻烈なまでの美しさを湛えた佇まい。


セレナ・レティシア。

この国において、慈愛と神聖なる秩序を体現する『聖騎士』。ゲーム『断罪の冥宮』のヒロインの一人であり、やがて現れる「主人公」と共に、最後に俺の首を刎ねるはずの女。

俺と彼女は、これが初対面だった。


「……セレナ・レティシアか。邪魔だ。どけ」


俺は「悪役」として、最も効率的にヘイトを稼ぐ言葉を選んだ。

だが、セレナの視線は俺ではなく、俺の隣で無機質な美しさを放っているリリアへと向けられていた。


「……閣下。その少女は、一体……」


「見れば分かるだろう。俺の所有物だ。――何か問題でもあるか?」


セレナの瞳に、はっきりと怒りが灯った。

聖騎士として慈愛を信条とする彼女にとって、神聖な夜会の場に奴隷を連れ込み、あまつさえ首輪を誇示する俺の行動は、神の秩序を冒涜する極悪非道な振る舞いそのものだった。

セレナは、リリアに視線を合わせようと、わざわざ膝をついて腰を落とした。

聖刻鎧から溢れる黄金の光が、間近でリリアの青白い肌を照らし出す。公衆の面前で、高貴な聖騎士が奴隷と同じ目線に降りる。その慈悲深い振る舞いに、周囲の貴族たちからは感嘆の溜息が漏れた。


「……こんにちは、お嬢さん。私はセレナ。……怖がらなくていいですよ。神の御名において、何か、助けが必要ではありませんか?」


セレナの瞳は、一点の曇りもない慈愛に満ちていた。

彼女は本気で信じているのだ。自分が手を差し伸べれば、この可哀想な奴隷は公爵の魔の手から救われ、神の光の下で幸福を得られるのだと。

だが、リリアの反応は、会場にいた全員の予想を、最も残酷な形で裏切った。


「――汚い」


冷たく、氷のように透き通った声。

リリアは、自分を見上げるセレナを、生理的な嫌悪を隠そうともせずに見下ろしていた。


「……えっ?」


セレナの顔が、戸惑いに凍りつく。

自分が拒絶された理由が、全く理解できないという顔だ。


「触るな。……不純物。……お前みたいな、眩しいだけのゴミが、ご主人さまの前に立つな。……その光が、汚い」


会場中が、氷ついた。

一介の奴隷が、建国祭の場で、民衆の希望であり聖女のようなセレナを「ゴミ」と呼び、その神聖なる光を「汚い」と断じたのだ。

リリアにとって、セレナの放つ「万人を平等に救済しようとする光」は、何よりもおぞましいものだった。

自分はご主人さまの『特別』だから生きている。ご主人さまの毒によって磨かれたからこそ、この世界に存在できている。それなのに、この女は「可哀想な弱者」という枠組みに自分を押し込め、勝手に救おうとしてくる。

それはリリアのアイデンティティそのものを否定する、最悪の暴力だった。


「……ご主人さまの、永遠は……私。……ご主人さまが磨いてくれた私に、その汚い神様の光を当てるな……。消えろ。死ね」


(……完璧だ)


俺は内心で、己の「教育」の成果に喝采を送った。

これだ。この圧倒的な排他性。

神の慈悲も、自由という名の救いも求めず、俺という破滅だけを信仰する姿。

これをセレナという「光」に見せつけることで、彼女の価値観には最初の出会いから致命的な亀裂が入れられる。


「……リリア、そこまでだ。ゴミを相手にするのは時間の無駄だ」


俺はリリアの頭を無造作に撫でた。

その瞬間、リリアの張り詰めていた殺気が霧散し、表情が毒々しいほどの悦楽に染まった。セレナに見せつけるように、彼女は俺の指先に頬を擦り付け、うっとりと目を細める。


「……閣下。あなたは……この子に、一体何をなさったのですか」


セレナの声は、微かに震えていた。

慈愛を注ごうとした彼女の目には、リリアが「虐げられている可哀想な弱者」には見えなかった。主人の放つ毒を最上の甘露として啜り、自らの意志で地獄の底へと歩みを進める、救いようのない「狂信者」に見えていたのだ。

自分の光が、世界すべてを救えるわけではないという現実。


「何もしていない。……ただ、この子の価値を確定させただけだ。セレナ・レティシア」


俺は彼女を嘲笑うように、冷徹な言葉を投げた。


「お前が救おうとしているのは、お前の頭の中にしかいない『可哀想な弱者』だ。……現実に目を向けろ。この子は今、お前のどんな甘っちょろい神の慈悲よりも、俺という『地獄』を求めている。……お前のその眩しい正義には、この子を救う力なんて、最初からなかったんだよ」


「…………ぁ、………………」


セレナの膝が、ガクリと折れそうになる。

彼女は人生で初めて、自らの光が一切届かない深淵の存在を突きつけられた。

救いたい。でも、救いを明確に拒絶される。自分の差し出す善意が、目の前の少女にとっては「自分を汚すゴミ」でしかないという、理不尽極まりない事実。

その時だった。


「――急報!! 東部国境、キール砦付近の難民キャンプに魔物の大群が出現!!」


血相を変え、泥に塗れた伝令の騎士が大広間に飛び込んできた。

祝宴の空気が、一瞬にして凍りつく。


「魔物の群れはすでに第一防衛線を突破! キャンプには数千の民が取り残されており、陥落は時間の問題です!」


(……来たか)


俺の脳内のシナリオチャートが、カチリと音を立てた。

原作ゲームにおける最重要の序盤イベント。

本来のシナリオであれば、ここで俺は「難民など知らん」と派兵を拒否し、それを見かねたセレナが王家の命令を無視して出撃する。そして、絶望的な防衛戦の最中、たまたまその地にいた『原作主人公』と運命の出会いを果たすのだ。


「殿下! 一刻の猶予もありません!」


セレナが弾かれたように立ち上がり、上座の王太子へと叫んだ。

先ほどまでの絶望を振り払うかのように、彼女の聖刻鎧が再び黄金の光を明滅させる。


「今すぐ、近衛騎士団を中心とした討伐軍を編成し、強行軍で東部へ向かわせるべきです! 神の御名において、見捨ててよい命など一つもありません。私が先陣を切り、必ずや難民たちを――」


「座れ、セレナ。お前の眩しいだけの妄言を聞いている暇はない」


俺は氷点下の声で、彼女の必死の懇願を叩き斬った。


「なっ……! 閣下、数千の民の命がかかっているのですよ!?」


「だから座れと言っているんだ、無能が」


俺は冷徹に言い放ちながら、円卓に広げられた地図を指差した。


「王都から東部砦まで、近衛の重装備で急いでも五日はかかる。お前の言う通りに全軍で強行軍を敷けば、疲労困憊の騎士団は到着と同時に魔物の波に飲まれる。結果、難民は全滅し、騎士団も壊滅。……被害を最小限に抑えるための『算数』をするなら、難民キャンプは放棄し、ルビコン川の橋を落として防衛線を張るのが最適解だ」


「人間を、囮にするなど……! そんな残酷な選択、私は絶対に認めません!」


セレナが激昂し、俺を睨みつける。

その瞳は怒りと、そして「絶対に全員を救ってみせる」という青臭い使命感に燃えていた。


(……いい顔だ。まさに、悪を断罪せんとするヒロインの顔)


俺は内心でほくそ笑んだ。

ここですぐに俺の魔法で魔物を殲滅してしまっては、彼女の「挫折」と「原作主人公との出会い」の機会を奪ってしまう。

ならば、俺は悪役らしく、彼女の理想を嘲笑いながら『戦場へ送り出してやる』のが正解だろう。


「……ならば好きにしろ、聖騎士殿」


俺は肩をすくめ、嘲笑を浮かべてみせた。


「俺は兵を出さん。お前のその綺麗事で、腹を空かせた魔物を祈りで満たせるというなら、勝手に行ってこい。……お前のその眩しい正義が、泥の中でどれだけ多くの血を流すか、高みの見物をさせてもらおう」


「ええ、見ていてください。私は必ず、全員を救って戻ります……!」


セレナは怒りに身を翻し、少数の有志の騎士たちを引き連れて、大広間を駆け出していった。

彼女の背中は、希望に満ちて輝いていた。

俺はワイングラスを傾けながら、その光を見送る。


(これでいい。彼女はあの絶望的な戦場で限界を迎え、そして現れた主人公に救われる。その時、彼女の中で『見捨てた俺への憎悪』と『救ってくれた原作主人公への信頼』が完璧に出来上がるというわけだ)


俺は、自分がメタ視点を持っているからこその、致命的な勘違いをしていた。

俺がルビコン川の橋を落とす手配を「効率的」に済ませてしまったせいで、戦場の地形はすでに原作とは異なる「袋小路」へと変貌していること。

そして何より――本来その場にいるはずの原作主人公が、まだ王都にすら到着していないという「システム上のバグ」に、全く気づいていなかったのだ。

俺が「良かれと思って」送り出した戦場は、ヒロインが主人公と絆を深めるための舞台ではない。

聖騎士セレナ・レティシアの誇りと精神を、完膚なきまでにへし折るための、誰も助けに来ない凄惨な『処刑場』であった。

俺のコートの裾を握るリリアの金色の瞳だけが、自ら泥沼へと向かっていく「光」の末路を想像し、歓喜に震えていた。


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