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ささやかなる矜恃と仕組まれた運命

 ラインハルトは自室に戻るなり、机の上に白紙の本を広げた。

 この白紙の本は云わば日記みたいな物で、将来自叙伝なり回想録でも書いてみようとラインハルトは入学当初から密かに書いているのだ。

 この日の夜も日付けが変わる位まで書き続けていた。

 そして眠くなって来た為に部屋の明かりを落としたら、誰かが扉をノックしてきた。

 体を起こして扉を開けると寝間着姿のヴィクトリアが立っている。


「ヴィッキー、どうしたの?」

「すまない……部屋を間違えてしまった。ちょっと花摘みに行っていたのだが……」


 ヴィクトリアの顔をよく見ると瞳は半開きで、仄かにお酒の香りが漂う。

 どうやら寝惚けているらしい。


「フィリーネさんの部屋は廊下の突当りだよ――ちょっと、ヴィッキー!?」


 ラインハルトの言葉を無視してヴィクトリアは部屋の中に入る。


「まぁいいか。お前の隣に居たい気分だからな……」


 ヴィクトリアは寝惚けて言いいながら、そのままラインハルトのベットに寝転がってしまった。


「ヴィッキー、困るよ。そこは僕のベットだよ」


 ラインハルトの言葉など一切聞く耳を持たず、ヴィクトリアはラインハルトに手招きした。


「ほら……ラインハルトも一緒に寝るか? それともお前は私と寝るのが嫌か?」

「い、嫌じゃないけど……」


 ベットに寝転がりながら両手を広げて誘おうとするヴィクトリア。

 その可愛さに、思わずラインハルトは足を進める。

 すると次第にヴィクトリアの腕が落ちていき、静かな寝息が聞こえてきた。


「ヴィッキー?」


 ヴィクトリアの顔を見る。どうやら寝てしまったらしい。


「まったく……手の掛かる想い人だな」


 ラインハルトは溜息をつきながら毛布をヴィクトリアに掛けてあげた。

 気持ち良さそうに自分のベットに寝るヴィクトリアを見て、ラインハルトは想い人の頭を優しく撫でながら囁いた。


「おやすみ、僕の可愛い想い人。いい夢を見てね」


 そしてラインハルトは予備の毛布に体を包ませて床に寝転がる。

 ラインハルトも疲れていたのか、直ぐに寝息を立てて寝てしまう。

 するとヴィクトリアの瞳が薄っすらと開き、ラインハルトが寝ているのを確認するなり、白い肌色の頬を少し赤くして。


「意気地無しのバカ……。相変わらず帝国一の鈍さだな。まぁ、そこがお前の可愛い所でもあるがな。おやすみ、私の()()()想い人」


 静かに寝息を立てるラインハルト。

 ベットの上から見下ろしらがら漆黒獅子の頭を何度も撫でるヴィクトリア。

 そして今宵も眠るまで想い人の寝顔を見守りながら楽しんだ。



 ラインハルトが目覚めて体を起こすと体中が痛む。


「やっぱり床で寝ると体が痛いな……」


 時計を見ると六時を指している。シュネーヴィがガーデンリング回廊を抜けるのは八時辺りになるから適当な時間に食堂で朝食を摂っといて欲しいとフィリーネから説明を受けていたから荷造りを始めないといけない。

 ベットを見ると気持ち良さそうに寝ているヴィクトリア。

 起こすのも気が引けるが、ここは起こさないといけない。

 ラインハルトは肩を揺すりながら声を掛けた。


「朝だよ、ヴィッキー。ねぇ、起きて」

「うるさいなぁ……。私はまだ眠いんだ……」


 毛布に頭を半分埋めて抗議するヴィクトリア。

 どうやらラインハルトの可愛い想い人は寝起きが悪いらしい。


「出来れば僕も君の寝顔を楽しんでいたいけど頼むから起きてよ」

「嫌だと言ったら嫌だ……。お前は私の嫌がる事はしないんじゃないのか? 私の想い人」


 ラインハルトは困った。確かにヴィクトリアの嫌がる事はしたくないし、ありのままの彼女を受け入れている。

 しかしここは心を鬼にして、フィリーネから教えられた最終手段を実行した。


「もちろん君の嫌がる事はしないよ。でも起きなくちゃいけないんだ。じゃないとフィリーネさんを呼ぶよ? 寝起きが悪くて駄々をこねてるってね」

「くっ卑怯だぞ! 母上をだしに使うとは!」


 その言葉は効果覿面だった。

 あれだけ駄々をこねていたヴィクトリアは、フィリーネという単語聞いただけで体を飛び上がらせる。


「お互い様だよ。僕だってヴィッキーにベットを取られて床に寝たんだから。お陰で体中が痛いんだよ?」

「だったらわたしの隣で寝れば良かったじゃないか。わたしはちゃんと言ったぞ『ラインハルトも一緒に寝るか?』とな」


 ラインハルトは肩を回したりしてアピールするが、ヴィクトリアからは謝意の言葉は無かった。

 もっともヴィクトリアの性格からして期待はしていないが。


「確かに言ったけど。ちゃんとヴィッキーに許しを貰う前に、君は直ぐに眠ってしまったからね」

「別に許しなんて要らないだろ。私とお前は想い人同士なんだから」

「それはダメだよ」


 珍しくラインハルトが反旗を翻す様な言葉にヴィクトリアは驚く。

 いつもだったら「次回からはお言葉に甘えてそうするよ。僕の可愛い想い人」とかを言う筈なのにだ。

 だがラインハルトの言葉にヴィクトリアは改めてラインハルトが想い人になって自分は幸せだと実感する。


「確かに僕は君の想い人だけど、だからって君の許しなく勝手にヴィッキーに触れたりしない。君の嫌がる事はしないって約束したからね。それに僕の気持ちは抜きにして、ヴィッキーの気持ちを一番に尊重したいんだ。だからヴィッキーに触れる時はちゃんと君の許しを貰う。それが僕なりのささやかな矜恃だからね」


 その言葉にヴィクトリアの胸は熱くなり、また同時にラインハルトの事を愛しく想う気持ちが込み上げて来る。

 自分はこんなにも想われ、愛されているんだという気持ちが。


「許してくれ、ラインハルト。お前は誇り高き男だ。私は自分が恥ずかしくなる」

「許すもなにも怒ってないから大丈夫だよ、ヴィッキー。普段は頼りない想い人だけど見直してくれたかな?」


 照れ笑いするラインハルトにヴィクトリアは素直な気持ちを伝えた。


「……見直した。改めてお前の愛の証が欲しいと強く思った」


 そのままヴィクトリアはラインハルトの唇に長く熱い口づけをした。


「ヴィッキー!?」

「今のが許しの合図だぞ。私の想い人」


 その言葉にラインハルトの腕がヴィクトリアの体を強く引寄せ、彼女も流れに身を任してラインハルトを強く抱きしめた。

 互いの頬が赤く紅潮して若い二人は愛し合おうとした瞬間、扉の外からフィリーネの声が。


「朝早くからごめんなさいね、ラインハルト君。私の可愛い愛娘がそちらにお邪魔してるかしら?」


 ラインハルトは困った。この状況をどう説明したらいいか。

 目の前には寝間着がはだけた姿のヴィクトリアが居る。

 咄嗟に出た言葉が――。


「居ますよ! 僕のベットを奪って寝ています。起こそうにも機嫌が悪くて――痛っ!?」


 ラインハルトは自分の足を見るとヴィクトリアが足を踏んでいた。


「痛いよ……ヴィッキー」

「すまない。ついつい」


 まったく悪びれもせずに言うヴィクトリア。

 明らかに態とだとラインハルトは思った。


「昔からヴィクトリアは寝起きが悪いから気をつけてね。目覚めの口づけをしてあげたら起きるかもよ?」

「起きてますよ! 母上!!」


 思わずヴィクトリアは扉を開けてしまった。

 愛娘の姿にフィリーネは笑いながらしたり顔で言う。


「まったく……やっぱり夜中に想いが高ぶって部屋に行ったのね。二人とも若いから愛し合うのは構わないけど、せめて身だしなみを整えてから母に会ってくれるかしら?」

「……え? すみません、母上!」


 寝間着がはだけて下着が見えてるのに気がつき急いで整える。

 フィリーネがラインハルトの服を見るなり察してしまう。


「愛し合ってた所を無粋な真似してごめんなさいね、ラインハルト君。ちょっと、この子と約束があるから借りてくわね」

「……はい」


 扉をそっと閉めるとラインハルトは自分の服を見るなり顔が赤くなる。

 ヴィクトリアに服を脱がされ掛けた状態だから明らかに分かってしまう。

 二人は艦長室に戻るなり、フィリーネはヴィクトリアの支度を手伝い、昔みたく長い黄金の髪を梳かしてあげた。

 そして支度を整えると二人は約束を果たす為にある場所に向かう。

 フィリーネはある場所に向けて歩きながらヴィクトリアに話した。


「貴女は本当に私の若い頃によく似てるわね。余りに似すぎて貴女の御婆様に愛の証が出来たと話した時を思い出すわ。今になって思えば御母様の気持ちがよく分かるけどね」

「御婆様はなんと?」

「そうね……口には出さないけど嬉しかったじゃない? 珍しく上機嫌で公務をこなしてたから」


 その言葉をヴィクトリアはちょっと信じられなかった。

 ヒルデガルド御婆様は怖い皇帝だと有名だからだ。

 幼い頃、ヴィクトリアの記憶の中のヒルデガルドはいつも表情を崩さず淡々と公務をこなしている姿しか知らない。

 傲慢にして強欲の黄金獅子(アルムルーヴェ)を体現したような人。

 記憶にある言葉は『愛しくも愚かな孫娘』だ。


「御母様ったら、貴女が産まれた時なんて公務をほったらかして王宮に駆け付けたのよ」

「本当ですか!?」

「もちろんよ。執務室から脱け出して親衛隊が大慌てしたんだから『皇帝陛下がいないぞ!』ってね」


 ヴィクトリアは当時の親衛隊が可哀相に思えてきた。

 仮にも皇帝陛下が誘拐されたとなれば親衛隊の責任問題になるからだ。


「それからは公務の合間をみては貴女にちょくちょく会いに来たのよ。もう面倒くさいから、執務室に赤ちゃん用のベットを置いて御母様に面倒を見させたの」

「御婆様は怒りませんでした? 私がうるさく泣くと……公務に差し支えますし……」

「もう全然。貴女をあやすのに夢中になっていたわ。お陰で私は随分と楽をさせてもらったもの。皆は怖い皇帝って言うけど、御婆様はとても思慮深くて優しい人よ。本人が口下手だから余り周りに伝わらないけどね」


 フィリーネが自分の御婆様の事を話してくれてヴィクトリアは嬉しくなる。

 ヒルデガルドとは同じ皇族とはいえ、相手は帝国の皇帝だ。

 いくら孫娘といっても気軽に話し掛けられる存在では無いから。

 ヒルデガルドからは決まって語尾に『愛しくも愚かな孫娘』と言われ、良く想われていないのだと自分勝手に思っていた。


「それに貴女の模範生徒の名がモニカ・バルツァーだったわよね?」

「はい。それが何か?」

「その子の母親とは士官学校同期でね、名はエミリアっていうのだけど、よく育児で悩んだら相談に乗って貰って助かったわ。生憎と私の想い人は育児には熱心だけど、楽天家で知識が無いからてんで役に立たないのよね、あの人は」


 フィリーネは自分の想い人を貶した言い方をするが、どこか愛を感じ取れる言い方をする。

 そしてモニカの母親と士官学校同期は驚きを隠せなかった。

 エミリア・バルツァーと言えば帝国軍参謀総長、しかも元帥閣下になり皇帝の腹心だ。

 ここでヴィクトリアはある確信的疑問をフィリーネに訊いた。


「母上。もしかして士官学校に口利きをしましたか? 私がモニカ上級生と組める様に……」


 ヴィクトリアは思った。フィリーネが皇族の立場を利用したのではないかと。

 その言葉にフィリーネは率直に答えた。

 むしろ率直過ぎるくらいに。


「もちろんよ。可愛い愛娘が訳の分からない上級生なんかと組ませる訳にはいきませんからね」

「母上、それは職権乱用では……」

「的確に言えば、私はちゃんとベアトリクスに頼んだわよ。極めて穏やかにかつ笑顔でね。別にやれとは言ってないから職権乱用には当たらないわよ、たぶんね」


 笑いながら話すフィリーネを見てヴィクトリアはベアトリクスが流石に気の毒に思えた。

 きっとベアトリクスは額に冷や汗を垂らしながら話したに違いない。

 もし逆らったらアルムルーヴェの怒りを買うからだ。


「それにエミリアの娘、モニカさんにもちゃんと頼んだわよ。『私の愚女を宜しくお願いします』って頭を下げてね。なぜか『お願いですから、頭を上げて下さい!』と言われたけど」

「当たり前です、母上!」


 皇族に頭を下げられては平民や貴族でさえも困ってしまう。

 まして相手が皇帝陛下の娘で、帝国の皇太女ならば尚更畏まってしまうだろう。


「実はラインハルト君も貴女と同室になる様にベアトリクスに頼んだの。情報部にいる後輩に経歴や家族構成を調べさせたら、シュヴァルーヴェ一族の末裔かも知れないと思ったの。結果は当たりだけど、まさか二人が想い人になるとまでは思わなかったけどね……」


 フィリーネは喋りながらヴィクトリアを見るなり、本人は恥ずかしいのか視線を逸らしてしまう。


「だって仕方ないじゃないですか……。気づいたら愛しく想っていてしまったのですから」

「馬鹿ね、別に責めて無いわよ。むしろ私は嬉かったもの。彼みたいな優しい子が貴女の想い人になってくれた事がね。彼なら安心して私の可愛い愛娘を託せるもの」

「母上……」


 フィリーネの言葉にヴィクトリアは目頭が熱くなってきてしまう。

 そして自分の想い人が母であるフィリーネに認められて嬉しく思った。

 そして遂に目的の場所に辿り着く。

 扉を開けるなり、ペトラとテレーゼが頭を下げて挨拶する。


「御待ちしておりました、ヴィクトリア王女殿下。準備は出来ております」


 フィリーネは可愛い愛娘の背中を押して――


「さぁここからは貴女の戦場よ、私の可愛い愛娘。いえ、ヴィクトリア・フォン・アルムルーヴェ!」


 ヴィクトリアは力強く頷き、そして戦場と言われた場所に赴いて行く。


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