番外:「魔界に咲いた儚い火の華」
「なんだそれは?知っているか、トリフェ」
「いえ」
私が差し出した袋の中身は彼らにとってナゾの代物だったらしく、魔界の実力者その1とその2(多分)は揃って首を傾げた。
その光景がとても微笑ましかったので、私は口元を綻ばせた。
* * *
私は魔王様の唯一の召使、キミィ=ノランという。
魔王様は読んで字のごとく魔界で一番偉い方である。
本来なら、かのお方はたくさんの召使を抱えていてもおかしくない身分なのだが、なんと彼は接触嫌悪症もちだった。
――――よって現在のところ、彼がアレルギーを起こさないでいられると唯一確認されている、私だけが魔王様の召使となりえているのだった。
彼がその病をもっているお陰で、私は魔界において、魔王様以外の魔族に体を損なわれることなく生きていけているとも言える。
私の自由を奪うことも、大きな傷をつけることも、殺すことも、魔王様だけに許されている。
その魔王様は運良く私のことを気に入ってくれたらしく、5%の情け(人間界の税率に正比例するらしい。近々上がるらしいと聞いて複雑な気持ちである)で許してくれることが殆どだ。
魔王様に直接触れてもアレルギーを起こさせないという者は、そんな特別扱いが許されているほど貴重なのだ。
世の中何が幸いになるかわからないといういい見本といえよう。
彼にとっての不幸は、私にとっての幸いだったのだ。
魔王様はいかなる生き物にも、直接触れられることも触れることも、基本的にはできないらしい。不憫なことである。
魔王様ともあれば、王である。酒池肉林も夢ではないというのに、彼は男女問わず触れられないというのだ。
お慰めしてあげましょうか、と恥じらいながら申し出たことも何度かあるのだが、いらんと断られた。
どうやら、極度の恥ずかしがり屋さんらしい。それともムッツリなのだろうか。
いまだ解決されていない疑問なので、そのうちはっきりさせようと思っている。
"魔王様の召使"――――その言葉が指しているのは私一人だけだ。
他に指している相手がいないのだから、即ちその単語が私の通称となっていた。
名乗る機会などめったに無いので、今ちょっと名前を出すだけでもドキドキしているというのはここだけの話である。
脳内読者にくらい恥じ入らせて頂きたい。
そう、そこの貴方とか、いかがだろうか?
我ながらキミィというのは愛らしくてよい名前だと思っているのだけれど、普段は使うことがない為、名乗る機会があるとここぞとばかりに主張したくなる。
自分では結構気に入っている名前なのに、この魔界においては「魔王様の召使」という記号がつきまとい、私の名前を認識してくれている相手がいるかどうかすら定かではなかった。
仕えている主人の魔王様ですら、私の名前を覚えてくれているかかどうかアヤシイのだ。
こんなに素敵な名前なのにもったいない。
例えば、
「君の名は」
きらーんと歯を輝かせて気障に決めたナイスガイに、
「キミィです」
君の名はキミィ、そんな絶望的なオヤジギャグを口にさせてしまうかもしれない美味しい名前だというのにだ。
使う機会がめったに無いというのが残念でならなかった。
魔王様の、という冠言葉の力は大きく、私は名前ではなく、お前とか、あんたとか、こそあど言葉で始る代名詞とかで呼ばれることが多いのだ。
コイツとか、アイツとか、コレとか、アレとか、とても対等な存在に対して使うような言葉ではない。
要するに私は単なる魔王様の召使であって、魔界において只の非力で平凡な人間、つまり脇役に過ぎない。魔王様のオプション。その辺のぺんぺん草と変わらないような存在ということだ。
それなのに、自分より偉く教養も十分にあるはずの者が知らないことを、自分が知っていた。
そのときの快感といったら!
言葉に表すのが難しい――――病み付きになること間違いなしだ。
そんな快感に背筋をぞくぞくとさせながら、私は手元の袋をもう少し剥いてやり、中身がもっと露出するようにした。
すると細い棒状のものがいくつかと、小さな箱に入ったもの、筒状のものなどが姿を現した。
しかし魔王様もトリフェ様も心当たりがないらしい、いっそう首をかしげるばかりだ。
「ふむ、知らんな。トリフェもか?」
「はい、残念ながら……どこかで見たような記憶もございますが、思い出せず」
「そうか、知らぬも同然か」
「は。不勉強で申し訳ございません」
「いや、かまわん。どうせコイツにきけばすぐわかることだ。なぁ?」
なぁ、というのが私に対しての問いかけだった。
魔王様、そこは言葉を惜しまず「教えてくれ」と一言添えてください――――などと私は言わずに、徐に
「火を貸してください」
そういった。
魔王様は訝しげな顔だ。傍らのトリフェ様の顔にも心なしかはてなマークが浮いている気がした。
しかし、ここはあえて答えを口に出さない。
こうなればとことん感心させたいというのが、人の心というものではないかと思うのだ。
私はそこで、魔王様から頂いた火種をそっと手にとると、少し離れるようにお二方へ告げた。
「危ないので、避けてくださいね」
「危ない?お前が危ないのはいつものことだと思うが」
さりげなく失礼なことをいった魔王様の台詞を無視して、私は「離れてくださいねー」と再度繰り返す。
「危ないという忠告を聞かないで酷い目にあっても知りませんから」
だからといって、飛びのくように避けろといった覚えもないのに。
露骨に避けられると追いたくなるのが人情ということを、近いうちに魔王様には教えて差し上げなくては。
そう思っていると、魔王様の顔が引きつっているのが見えた。
私が今からやろうとしていることに対する警戒というよりも、私自身に対する警戒だと思うのは気のせいだろうか。
……気のせいに違いない。
私ほど善良な一般人はいないのだから。
「……危ない魅力、か」
トリフェ様はといえば、こちらはよくわからないことを呟いていた。
妙に熱っぽい視線でこちらを見てくるので、怖くなって自分から距離を置いてみた。
さて、これでいい。
私は袋から棒状のものを一つ取り出し、袋を火元から遠ざけた。
そして、棒状のものに火種を近づけた。
するとパチパチと火花が爆ぜ、斜めに傾いて闇夜のカーテンを引き摺り下ろし始めた太陽を、ものともせずに輝いた。
ほうっと感心のため息があがる。
狙ったような反応に私はにんまりと笑った。
「……なんだ?」
「わかりませんか?一番いいのは夜やることなんですけどね。あと少しで日が落ちますから丁度いいかなと」
「夜?」
「ええ。花火ですよ、花火。人間界ではこの時期よくみる風物詩ですよ。魔王様は本当に見たこと無いんですか?」
「ないな。これがそうなのか」
「そうなんですよ」
私が肯定すると、トリフェ様がぽつりとつぶやいた。
「私は一度見たことがある。もっと大きなものだったが」
トリフェ様は一度という条件がつくものの、知ってはいたらしい。大きなもの、というのは打ち上げ花火のことかもしれない。
しかしこれで花火を初めて見たのは魔王様だけとなった。
「魔王様仲間はずれですね」
「仲間外れだな」
私とトリフェ様は二人仲良く頷いてアイコンタクトをとると、一緒に魔王様を指差した。
「「やーい、仲間はずれ!」」
日頃の訓練の賜物か、トリフェ様も乗ってくれた。
どうやら、先日トリフェ様に「乗りが悪いです」と申し上げた一言を、彼は心に留めてくれていたらしい。良い傾向だ。
私とトリフェ様に指差されて、魔王様は哀愁の背中を見せると袋から花火を一つ抜き出し、一人寂しく火をつけた。
――――それがねずみ花火だった為に、今度は三人仲良く揃って飛び上がって驚いた。
それがみんな余りにも滑稽なポーズだったので、三人仲良く揃って吹き出した。
魔王様はともかくトリフェ様まで大いに笑ったので、何故かその出来事は魔界の歴史に刻まれ、その日は一年の憂いを晴らすために花火をやるべし、という記念日になったのは、その後の話である。