↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/5

第三幕:錯乱トップギア

第一節:

 強酸性の黒泥が放つツンとした刺すような刺激臭と、肌にまとわりつく湿気が重く停滞する『第十四集会所』――。

 土間に肩を寄せ合うスラムの労働者やおばちゃんたちは、いつ上層の警備兵から不意の粛清が下されるかと怯え、生きた心地もなく祈るように息を潜めていた。ガルドス総監によるスラム爆殺計画の恐怖が重く重くのしかかるその最中、地下の暗がりの奥から、チャリン、チャリンと軽快な金属音とともに、弾むような足音が近づいてきた。

「持ってきました〜! 警備隊長さんのお腰からジャラジャラ〜っとお借りしてきましたよ〜!」

 金褐色のサイドポニーを元気いっぱいに揺らし、ノア・モアが両手に抱えたズッシリと重い黒鉄の輪――複製防止の特殊刻印が刻まれた鍵束を掲げながら戻ってきた。

 上層の警備隊長が「自分にしか解錠できん大事なカギだ」と自慢げに腰へぶら下げていた、まさにその鍵束そのものである。

「でかしたわ、モア! さっすが足の速い子ね! 頼りになるわね!」

 マフィアが豪快にモアの肩を叩いて出迎えた。

 大事な鍵束をまるごと奪われた警備隊長は今頃大騒ぎだろうが、彼女たちの知った事ではない。

 能面のポーカーフェイスを保ったミリア・シリアが、指先で鍵束の刻印を滑らかになぞりながら静かに頷く。

「全鍵の識別構造を物理照合します。……見つけました。これですね。では早速、馬蜘蛛各個体の関節拘束装置――『重鋼ダンパー』の解錠にかかりましょう」

 シリアは長銀ステッキを小脇に抱え、指先で鍵束の中から重厚な黒鉄の鍵を選び出すと、愛馬――馬蜘蛛たち(ボナ、ソノラ、シュティル)の脚関節を厳重に固めていた太い施錠部へと滑り込ませた。

 ガチリ……ッ

 カチリ、カチン!

 金属が噛み合う重厚な音が響き、3つの重鋼ダンパーが滑らかに解き放たれる。

 拘束から解き放たれた馬蜘蛛たちが、歓喜に身震いして八本の剛脚を伸びやかに広げ、深く澄んだ複眼を紅く躍動させた。時速百キロを超える爆発的な力強い蹴りと大跳躍の機動力が、ここに完全な復活を果たしたのである。

「よしっ、脚の動きは完璧ね!」

 マフィアが馬蜘蛛の頭を優しく撫で、腰の重鉄骨フリル日傘を『バシッ!』と手元で叩いた。

 だが、その様子を見つめていたスラムの労働者たちの顔には、安堵よりも一層濃い不安と焦躁が陰っていた。代表格のトム爺さんが、スラムの民の先頭に立ち、手垢のついた帽子を両手で強く握りしめながら、不安を隠しきれない声で漏らす。

「お、お嬢さん方……本当にワシらを置いて上層へ向かうのかね? 留まっていればガルドスの奴に蒸気で蒸し殺される。だが、こんな地下の奥底じゃ逃げ場もねえ……。あんたらを疑うわけじゃねえが、本当にワシらが全員無事に助かるなんて手が、本当にあるのかね……?」

 周囲の労働者たちからも、抑えきれない動揺と疑心暗鬼の声が囁き交わされる。

「そうだぞ……上層の警備兵がいつ降りてくるか分からねえんだ」

「いっそのこと、自分たちだけで旧排水路を辿って逃げ出した方がマシなんじゃねえのか……!?」

 そんな浮き足立つ集会所の空気を、マフィアがズバッと一喝するように声を張った。

「馬鹿ゆーんじゃないわよ! 今アンタたちが下手に動き回ったら、上層のセンサーや見張りに引っかかってひとたまりもないわ! あたしたちが上層のタヌキの首を引っ掴んで、退路をきっちり確保してくるんだから! アンタたちは荷物をまとめて、あたしたちの合図があったらすぐに地上へ逃げ出せるように準備しておきなさい!」

 マフィアの剣幕に気を呑まれ、トム爺さんはひゅっと息を飲んだ。だが、その剣幕は同時に、マフィアたちの、絶対の自信の表れでもある。それも、絶対に成功させる、というような中途半端な自信ではない。成功するのが当たり前───そう感じさせるものがあった。

「わ、分かった……! あんたらを信じるぞ」

 片目のトム爺さんが、古びた羊皮紙に描かれた湿った水彩図面を広げて差し出した。

「これは昔の『旧・第7採掘区画』の地下排水路図だ。警備兵の目が届かねえ暗渠(あんきょ)を伝っていけば、上層にあるガルドスの『総監執務室』の真下に開いた、大清掃口(メイン・クリンアウト)へ直接出られる」

 そこでトム爺さんは、もう一度確認するように、マフィアの方に視線を上げた。

「ぶ、無事を祈ってるからな……!」

 トム爺さんは固く拳を握りしめ、なおも戸惑う労働者たちをなんとか引き留めるべく声をかけ始めた。

 シリアは地下排水路から吹き込んでくる微妙な風の傾斜を皮膚感覚で察知し、長銀ステッキの先で静かにその方向を指し示す。そして───

「旧・第7採掘区画の排水管ルートを遡上し、上層執務室の直下に位置する大清掃口へ」

 そっと囁いた。

「音もなく侵入を果たしましょう」

 かくて三人組と馬蜘蛛たちは、闇深き地下排水路の冷気の中へと足を踏み入れた。


第二節:

1

 ふかふかの高級絨毯、マホガニーの巨大デスク、金箔が施された調度品、そして地下の汚臭を覆い隠す高価な香炉の煙――

 精錬総監ガルドス・ボルドーの執務室である。

 三人は大清掃口の分厚い鉄格子を静かに外し、音もなくガルドスの不在の執務室へと滑り込んでいた。

 シリアは迷うことなくデスク背後の巨大な彫刻壁画の前へ歩み寄ると、長銀ステッキの先で壁面の細かな凹凸をトントンと規則正しく叩いた。

「筆圧解読した資料により、解錠のための歯車回転パターンは完全に特定しています」

 シリアが壁面の隠しレバーを三段階に操作し、内部の複雑な歯車機構を正確に回転させる。

 ガション……ガション、ゴゴゴ……

 重厚な歯車音が響き、隠し壁の重い鉄扉が静かに左右へ滑り開いた。

 そこに現れたのは、大人が屈んで足を踏み入れられるほどの、壁面埋め込み型の大型隠し絡繰り金庫室であった。

 暗がりの棚に収められていたのは、黒革で装丁された分厚い『二重帳簿』――ガルドスが長年にわたって公金を横領し、泥炭採掘費用やスラムへの給付金から数百万銅貨(デナリ)にも上る巨額を搾取していた動かぬ証拠であった。

 しかし長年にもわたるのだから、結構な冊数がある。とりあえず提出するものとしては、最新のものが数冊あればよく、残りはあとで当局が勝手に押収すれば良いだろう。

 さらに奥の隠し棚からは、他国の不法業者やカルケドン等の特定の顧客へ向けて密造されていた『偽造印章』の完成品、ならびにその精密な鋳型がズラリと押収された。

「これでパズルのピースが全てハマりました」

 シリアが手に取った書類と鋳型を並べながら淡々と告げる。

「アンタそのセリフ、ちょっと前にも言わなかった?」

 マフィアが即座にツッコミを入れた。

「前回の発言を削除して今回の発言を有効とします」

「……まさか堂々とそんな返しをしてくるヤツがいるとは思わなかったわ」

 マフィアが人差し指で自分の額をトントンと叩きながら呆れ返る横で、モアがニコニコと笑った。

「ひゃあ、マフィアさんを絶句させてますよ~。シリアさん、さすがです~」

 モアがパチパチと手を叩いた。だがすぐにその手を止める。

 マフィアも気配を感じて扉の方に目をやった。シリアは扉の方に向いている耳の筋肉をピクピクと動かした。

 廊下の向こうから、荒い息遣いとバタバタとした狂乱の足音が近づいてきていた。


2

 ほんの数分前、精錬管理室にいたガルドス・ボルドーは、青ざめた部下から衝撃の通信を受け取っていた。

『そ、総監! 大事《おおごと》です! 監視塔からの報告によりますと、足のない伝書隼が、中央評議会監察局の窓をブチ破って飛び込んだとのことです!』

『な、なんだと……!? 伝書隼だと……!?』

 ───伝書隼はガルプ王国を「中原一やっかいな国」として成立させる三本柱の一つとされている。

 一つは馬蜘蛛。圧倒的な暴力の象徴だ。更に一つが伝書隼。圧倒的な情報伝達の速さ。そして最後の一つの柱が「国是が侵略」。これがもう一番、本当に圧倒的にやっかい。

 この三本柱は、中原諸国の政治家や商人たちの間では、ほぼ共通認識になっていた───

『ええ、足のない凶暴な隼が、緊急告発の筒を抱えて監察局へ突入したと……!』

『お、おのれぇぇッ! ワシを陥れようとする陰謀だ! 貴様も、監察局も、スラムの泥豚どもも、最初からグルになってワシをハメようとしていたんだなーッ!?』

『は?』

 上司の思いもよらぬ言葉に、部下の脳はハングアップした。

 狂乱したガルドスは報告に来た部下を力任せに突き飛ばし、隠し資産と二重帳簿だけでも回収して逃亡しようと、血走った目で執務室へと駆け込んだ。

 そこでガルドスは、マフィアたち三人の不審者と会敵したのである。


「ひぃぃっ……! な、なんだ貴様らはッ!? なぜワシの執務室に不審者がおるのだッ!?」

 ガルドスは執務室に足を踏み入れるなり、そこに立つ三人組と押収された二重帳簿を目にして、泡を食って叫んだ。

「落ち着きなさい。ただの不法侵入です」

 シリアが落ち着いた声で宥めにかかる。

「ちょっとシリアちゃん、アンタそれ宥めてないわよ」

「むしろ煽ってますね~」

 モアとマフィアが交互に呆れ声をあげる。

「だ、騙されんぞッ! 貴様ら全員でワシをハメようとしているんだろーッ! 渡さん……渡してたまるかぁぁッ! 盗人どもめ! ワシから何もかも奪おうとするなら、全員まとめて泥の底に沈めてやるーッ!!」

「不法侵入だって正直に言ってるのに『騙されんぞぉ』とか言われたら、もう答えようがないわねえ」

 マフィアは肩をすくめた。

 ガルドスは完全なパニック状態に陥り、執務室を飛び出すと、廊下の非常用遮断レバーを乱暴に叩き落とした!

 ガンッ!! ガション―――ッ!!

 分厚い防護鉄格子が廊下の前後にドスンと降ろし挟まれ、三人の行く手を一時的に遮断する。

「なっ……ちょっと頭おかしくなってるくせに、こういう事だけ知恵が回るなんて、始末に負えないわねッ! 追いかけるわよ!」

 マフィアが鉄日傘の先で防護格子のロック部分を叩き割り、三人は即座に廊下へ躍り出た。

 しかし、錯乱したガルドスが目指したのは逃走経路ではなく、施設の中枢――『中央ボイラー・排水圧力制御区画』であった。

 蒸気が猛烈に噴出する重厚な制御区画へ逃げ込んだガルドスは、支離滅裂な叫び声を上げながら、制御盤の緊急過圧弁と、旧・第7採掘区画への主排水逆流バルブを力任せに全開にし、その勢いのまま叩き折った!

 プシューーーッ!! ゴオオオオオッッ!!

 高熱蒸気と毒性泥炭ガスが制御不能の圧力で配管へと逆流を開始し、圧力ゲージが真っ赤な限界領域を超えて跳ね上がる!

「ヒハハハハ! 吹き飛べ! 全員まとめて吹き飛んでしまえーーーッ!」

 ガルドスは自ら通路の奥の奥へと高圧蒸気とともに姿を消していった。

「なんですって! 冗談じゃないわよ! スラムの人たちを助けに戻るわよッ! モア、シリア、馬蜘蛛に飛び乗りなさいッ!」

 マフィアの切迫した叫びが、響き渡る警報音の中に激しく轟いた。


第三節:

1

 ゴーッ! プシューーーッ!!

 旧・第7採掘区画の地下スラムは、まさに一瞬にして「地獄の釜の底」へと変貌を遂げていた。

 ガルドスの手によって緊急過圧弁と主排水逆流バルブが叩き折られたことで、猛烈な高熱蒸気と濃厚な有毒泥炭ガスが配管から逆流し、足元の黒泥はグラグラと煮えたぎる熱湯泥炭となって泡を噛んでいた。

「ひぎゃあぁぁっ! 蒸気が、蒸気が逆流してきたぞッ!」

「昇降機が動かねえ! 閉じ込められたッ!」

「なんとかするみてぇな事を言ってたあのガルプの小娘どもはなにしてんだ!」

「やっぱり自分たちだけで逃げたんじゃねえか!」

 逃げ場を失った数千の労働者や難民たちの悲鳴と怒号が錯乱する中、配管を伝う激しい地鳴りが地下洞窟全体を激しく揺らしていた。

 さらに追い打ちをかけたのは、天井の無数の『泥炭ガスランプ』の連続爆砕であった。

 配管の亀裂から漏れ出た可燃性の泥炭ガスは空気より軽い。一気に上昇して天井に充満していき━━━これを吸い込んだランプが、次々と「ボッ!!」と爆発的な火柱を噴き上げ、過圧と高熱蒸気の熱衝撃によって分厚いガラス球が一斉に破砕されたのだ。

 ボッ! パンッ! パパンッッ!!

 局所的な引火爆発の衝撃波によってガラス球が一斉に弾け飛び、明かりが一瞬で全滅。地下スラムは息をのむような「完全な漆黒」に呑み込まれた。

「目がっ! 何も見えねえっ!」

「爆発する! ここも全部吹き飛ぶぞぉぉッ!」

「そ、そんな事言ったっておめえ、この真っ暗ン中、どこに向かって逃げればいいんだ!?」

 ドカンッ! ボッ!!

 空間に充満した泥炭ガスが、割れたランプの残火に引火し、あちこちで局所的なガス爆発が巻き起こる。

『バチッ……ッ!!』

 その激しい閃光が爆ぜる「ほんの一瞬」だけ、網膜にフラッシュのように周囲の光景が焼き付く。目の前に迫る倒れた鉄骨、煮えたぎる黒泥、逃げ惑う人々の顔――。

 だが、次の瞬間には再び容赦ない暗黒が覆いかぶさる。

 労働者たちは一瞬見えたその残像の記憶だけを頼りに、「ひいぃっ!」と悲鳴を上げながら、足元を恐る恐る手探りで探り、互いにぶつかり合って逃げ惑うしかなかった。

 ――まさに、その絶望と暗黒の混乱の渦中であった。

 ドドォォォンッッ――――!!!!

 頭上数十メートルの岩天井、上層から繋がる旧・大竪坑の閉鎖隔壁が、まるで内側から爆破されたかのようにド派手に粉砕された!

 飛散する岩片と鉄骨の残骸、そして断ち切られた鎖の擦過音が降り注ぐ中、闇と土煙を切り裂いて頭上から颯爽と舞い降りた影――。

 重鋼ダンパーから解き放たれ、時速百キロを超える爆発的推進力を取り戻した三頭の巨獣――馬蜘蛛たち(ボナ、ソノラ、シュティル)であった!

 ドオッ!! ドスンッ!!

 巨大な八本の剛脚が熱湯泥炭を強力に踏みちぎり、跳躍の風圧が充満していた有毒ガスと煙を一瞬で吹き散らす。

「うわっ……!? 今度はなんだ!? 天井が抜けたぞ!?」

 あまりの出来事に労働者たちが息を飲み、呆然と穿(うが)たれた上空の暗がりを見上げる。

 闇に充満する煙と火の粉の向こうから、凛とした甲高い一喝が地鳴りを突き破って響き渡った。

「待たせたわね! 全員あたしたちの指示に従いなさいッ!」

 栗色の愛馬《ボナ》の背の上、フリル日傘をポンと肩に担いだソフィア・マフィアが、アンバーブラウンの瞳をギラギラと輝かせて仁王立ちになっていた。

「が、ガルプのねえちゃんたちだーっ!」

「逃げてなかった……! 戻ってきてくれたぞッ!」

 歓喜の声が上がる。だが、猶予は一秒たりともない。

 シリアは長銀ステッキを背のホルダーへ収めると、黒スーツの袖を捲り上げ、近くの巨大な濡れた岩壁へと迷わず素早く駆け寄った。

 両手のひらと右耳を冷たい岩壁の表面へぴったりと押し当て、全身の微細な触覚と骨伝導で、地層の奥深くを伝わる音波と振動波を脳内で立体描画し始める。

「……周囲の爆発音と地鳴りのノイズを遮断し、岩盤の密度差を音波マッピングしています」

 壁にへばりついて能面のまま淡々と語りかけるシリアに、馬蜘蛛《ボナ》の上から降りながらマフィアが即座にツッコミを入れた。

「そーゆーのは大体、黙ってやるんだけど、アンタは何でもかんでも喋るわね……」

「ほうれんそうですね~。ほうれんそうは大切です~」

 モアも馬蜘蛛《ソノラ》の背から降りて能天気に頷く。

「報連相ってゆーか、単に独り言が多いヤツ?」

 マフィアが呆れ顔でツッコむわずか数秒の間に、シリアの脳内には岩盤の完璧な弱点マップが組み上がっていた。

 シリアが壁からバッと離れ、長銀ステッキで南西の暗い岩壁を真っ直ぐに指し示す。

「特定しました。三時方向、南西の岩壁です。風化により地層の厚さはわずか四十センチ。その向こう側は、地上へ直結する旧・直線大竪坑に通じています!」

「よしきた! ボナ、ソノラ、シュティル! あの壁をブチ破りなさいッ!」

 マフィアの号令とともに、解き放たれた三頭の馬蜘蛛が一斉に跳躍!

 ドゴォォンッ――――!!!!

 凄まじい衝撃音とともに、厚さ四十センチの岩壁が木っ端微塵に粉砕された。

 崩れ落ちた岩の向こう側に広がっていたのは、夜空の星々が覗く、風通しの良い直線大竪坑――地上への最短脱出バイパスであった!

「道が開けたぞッ! だが暗すぎて何も見えねえ! 足元も熱湯泥だ、踏み外したら終わりだぞ!」

 それを聞いたモアが、勢いよくマフィアの方を振り返って情けない声で言った。

「バイトリ~ダ~、この作戦はだめです~。任務失敗です~」

「誰がバイトリーダーか! アンタすかさず人を責任者に仕立て上げようとしなさんな! 怖い子だねッ」

 マフィアの反応の良さに、モアがププッと吹き出す。そこで、フッと閃くものがあってモアは「あ~、そうです~」と人差し指を立てた。


2

「バイトリーダーと言えば~。シリアさん、この上階の警備管理エリアを探っていた時にですね~、例のドロドロの入った黒鉄壺が、たくさん保管してある倉庫があったんですけど~、例のコンコンで、ここから天井のどこらへんか、分かりませんか~?」

「私はバイトリーダーではありませんが……その場所でしたら、既に特定は完了しています」

 シリアは表情を動かすことなくそう告げると、背ホルダーから抜き放った長銀ステッキを持ち上げ、その先端で頭上の暗闇の一点を正確に真っ直ぐ指し示した。

「先ほどの音波マッピングの際、天井の二時方向、排気溝直上の岩盤に、著しい構造的過荷重――即ち、大量の金属容器が集積されていると思われる異様な高密度領域を検知していました。……なるほど、そこが化学封蝋の保管倉庫であるなら、あの質量には百%の説明がつきます」

「ありがとうございます~。だそーですよ~、バイトリ~ダ~」

 とモアは再びマフィアの方を振り向いた。

「はいはい、バイトリーダーバイトリーダー。全くバイトリーダー使いの荒い平社員だよ、アンタって子は。だがアンタの意図は分かった」

 マフィアはニヤリと笑みを浮かべて言った。

「ほら、こういう事だろう? ボナ、ソノラ、シュティル! もうひと仕事だよ! 今度は天井のあそこらへんをブチ破ってくんないかね」

「キュィ~」

 マフィアがシリアの長銀ステッキを一瞥して同じ方向を指し示すと、ソノラが任せろと言わんばかりに飛び出し、ボナとシュティルがそのあとに続く。

 だが、指し示した先は天井で、馬蜘蛛に羽はない。

 どうするのかとスラムの人々が固唾をのんで見ていると、闇に消えた馬蜘蛛が指し示された天井の真下辺りに達した頃合い━━━

 ドオォン! ドゴオォン! ズドゴォン!

 地を揺るがす爆発が三発、重なり合うようにして発生した。

「うおぉい!」

「ひぃッ!」

 事情が分からない人々は頭を抱えて恐れおののく。

 馬蜘蛛には羽はないが、その跳躍力は三十メートルを凌駕する。地下の天井がいくら高いとは言ってもそこまでではないので、余裕で天井に達し、逆さになって蹴りつける余裕まであるのだった。

 だがその跳躍力を生み出す踏み込みは、爆発に等しいエネルギーで地面を穿つ。

 ギャラリーの方からは暗くて見えないが、天井より先に地面を踏み抜いて、下階に達する大穴を開けていた。

 それが天井の一点に向けて三連撃━━━削り取られた天井の耐久力は、上階に積載されている荷物の重量をあっという間に下回り、ズズズッ……と不安になるような地鳴りを起こして局所的に崩落を引き起こした。

 ドオォン!

 天井のその部分が一気に決壊し、ドドドドッ……と何かが雪崩落ちてきた。

「ひゃあっ!」

「お、おたすけ……!」

 いよいよ終わりかとスラムの人々が悲鳴を上げるが、天井全体で起こった事ではない。

 暗いのでそれが何かは判別できないが、巻き起こった土煙で、すぐに判別も何もなくなった。

 天井の崩落で落ちてきた土砂かと思っていたそれらの土煙の合間から、冷たい空気がフイ、フイ、と肌を撫でるのを感じて、首を傾げる。

「さあ、それじゃあ、いきますよ~」

 姿は見えないが暗がりの中で、モアの明るい声が響いてきた。

 キイィィンッ……キィィィンン……キィィィィィン━━━

 続いて、連続しておこる、やたらに周波数の高そうな金属共振音。

「お、おい。なんだありゃ」

「なんか……青いものが……光ってる?」

 何が起こっているんだと戸惑っていると、いつの間にか闇の中に、何か青白いものが光っているらしいのに気付いた。

 この暗がりの中で何が起こっているのか分かっているのは、モアとマフィアとシリアだけだ。モアもマフィアも、夜目がきくように訓練しているのでこれくらいの暗がりは問題にならない。シリアはそもそも視力に頼っていない。

 蹴り破られた天井から大量に落ちてきたのは、倉庫に保管されていた大量の化学封蝋と、室温調整の為の保冷剤━━━二酸化炭素の凍ったものだ。

 激しい衝撃で倒れひしゃげた黒鉄壺から流れ出たジェル状の化学封蝋は、雪崩れ落ちながら空気に触れ冷気に冷やされ、エネルギーを内に取り込みながら固化して下階━━━旧・第7採掘区画の熱した泥濘に達する頃には黒紫のガラス質となってゴロゴロと転がった。

 もちろん全部が綺麗に固化したわけではないが、築き上げられた化学封蝋の小山の、その表層に見える部分は、固化したものに覆われていた。

 真っ暗闇なので、一般人にはその表層部分も良く見えなかったが。

 その小山は、熱湯泥炭の沼のなかに忽然と築かれ、裾野の方はガラス質のものがプカプカと浮いていた。

 化学封蝋は固化すると僅かに膨張し、体積が増えた分、比重が幾分か軽くなる。といっても、もちろん水の中では沈んでしまうが、泥炭の沼よりははるかに軽いのだ。

 それを、モアの偏心チャクラムが、絶妙というのも憚られる奇跡的な力加減で次々と音響破砕していき、微粉末化していく。

 青白く光って見えるのは、それらの微粉末が熱した泥濘に沈み、再びジェル化したための発光現象である。

「マフィアさ~ん、脱出口まで届かないんで、ちょっと投げて下さ~い」

 そう言ってモアは、手本を示すよう一つの固化した化学封蝋を持ち上げ、宙に投げ上げた。後追いで更に偏心チャクラムを投げ飛ばす。

 キィィンッ……!

 甲高い金属共振音が起こって、投げ上げられたガラス質の固まりが手品のように崩壊し、サラサラと崩れ落ちる。

「はいよ」

 マフィアは短く答えると、ゴロゴロと転がっているガラス質のそれらを、お手玉のように次々と投げ上げた。

 キィィキイィィィキキィィィィキキキイィィィ━━━!

 モアがそれを連続して瞬く間に破砕していくので、高周波の金属音が途絶えない。

 サラサラと熱湯泥炭の沼に落ちていく化学封蝋の微粉末は、青白く輝く範囲を徐々に広げていき、それが示す先は、馬蜘蛛が蹴り開けた直線大竪坑への脱出バイパスだった。

 それに気付いた者から、ざわざわと騒ぎ出す。

「お、おい。これ……!」

「ああ! 助かる! 俺たちは助かるぞっ!」

「すげぇ。路が……光の路が出来ていくっ……!」

「こりゃおめえ、アレじゃねえか。話に聞く魔女様ってヤツじゃあ……」

「バカ言え、魔女様ってのはメチャクチャ怖ぇ妖艶な美女だって聞くぞ。あんな能天気そうに笑ってる魔女様なんて、聞いた事ねえよ」

「んだが、そもそも本物見た事ねえしなあ」

「いや、そういやここに落とされる前、街で似たようなの見た事あるぞ。ありゃ確か……そうだ、大道芸! ありゃ大道芸ってヤツだ! 間違いねえ!」

 あまりにも確信に満ちて堂々と断言するので、次第に大道芸に違いないという説が有力となっていき、スラムの人々の「大道芸! 大道芸!」という歓呼の声が響き渡った。

 それを聞いてマフィアがブフッと笑う。

「アンタ大道芸だってさ。この仕事辞めてもこれで食っていけそうだねえ?」

「素晴らしいアイデアです! 世界中を旅しながら、皆さんを喜ばせて回るんですね~。何よりもう、人殺ししなくていいのがいいです~。この任務が片付いたら、ちょっと本気で考えてみましょうかね~」

 モアの言葉に、スラムの人々の一部が真顔になる。

「おい。い、いま何か、物騒な言葉が聞こえなかったか?」

「き、気のせいじゃねぇか?」

 マフィアが呆れた声でモアの言葉を聞きとがめた。

「アンタねえ、この任務が片付いたらって、あたしらがなんの任務についてるのか、もう忘れたのかい?」

「ハッ! そうでした! 勇者のお嫁さんになるんでした」

「コラ! アンタそれ極秘任務! そういう、具体的な話を大きな声で言わないの! もしも誰かに聞かれたら、あたしらその人、殺さないといけなくなるんだからね!」

 スラムの人々は慌てて耳を抑えた。

「あー、さっきからすげえ音ばっかりだから、俺、何にも聞こえねえわ」

「あ、それな。それそれ」

「お、俺もだ。すっかり耳がやられちまったみたいだぜ」

「お前もか! 俺も! 俺も耳が、な! うん」

 人々が俺も俺もと騒いでいる内に、脱出バイパスの穴につながる光の路ができた。

「は~い、みなさ~ん。このピカピカ光ってるのは高分子結晶なので泥走りができますよ~。バシっと踏みつけて泥走りで避難しましょ~」

「こ、こうぶん……なに?」

「よく分かんねえけど、要するに泥走り出来るって事だろ。そんだけわかりゃ十分だ」

 そう言うが早いか、気の早い者が熱湯泥炭上に出来た光の路に、バシっと足を叩きつけた。

「おう! ホントだ! おい、これで逃げられる! 俺たちは助かるぞ!」

 最初の一人がそう叫ぶと、二人、三人と後に続く者が増えていき、それはすぐに大きな奔流となった。

「おい、急げ! こんな所、いつどうなるか分かんねえぞ!」

「待て! こ、子どもが!」

「おばぁ、こっちだ! 早く!」

 見事に視界と足場を確保したモアが、明るい声で避難を誘導する。

「はいは〜い、みなさ〜ん、『お・は・し・も』ですよ~。お・は・し・も。『お・は・し・も』を守ってくださいね~。『押さない・走らない・喋らない・もどらない』ですよ~」

「いや泥走りなんだから、走らないとマズいだろ」

 危機的状況にもかかわらず、暗闇から抜け出せた安心感から、労働者たちからボソリと怒涛のツッコミが入る。

 粉末が撒かれた熱湯泥炭は、ダイラタンシー効果によって足を踏み込んだ瞬間カチコチに固まる。子供も大人も沈むことなく、青い光のラインに沿って、まるで氷の上を滑るように次々と大竪坑へ向かって駆け抜けていった。

 シュバァァッ!!

「キャッ! 高熱蒸気……!?」

 逃げ遅れそうになったおばちゃん労働者の頭上から、破裂した配管から噴き出した高熱蒸気が襲いかかる! だがそこに―――!!

『バサァァッ!!』

 マフィアが重鉄骨フリル日傘を豪快に広げ、高熱蒸気の遮断壁となって割り込んだ!

「あたしの後ろに隠れなさい! 一人残さず地上へ連れて行ってやるわよッ!」

 老人は馬蜘蛛たちの背に乗せられ、子供たちはモアとマフィアに手を取られ、シリアの完璧な音響誘導のもと、全員が光る走路を通って大竪坑から地上へと一気に駆け上っていった。

 ――地上へ脱出し、涼しい夜風が吹き抜ける安全なプラティア外縁の丘の上。

 息を呑んで静まり返るスラムの住民たちが、遠く地下の坑口を見つめていると、不意に重い水圧めいた空気の塊が耳腔を塞ぐような感覚が襲ってきた。

 と思う間もなく―――

 ドドォォォンッッ――――!!!!

 地下深くから、大気を激しく揺さぶる凄まじい大音響と地鳴りが沸き起こった。

 過圧蒸気と充満した泥炭ガスの大爆発により、地下スラムと不法採掘場全体が完全に陥没・落盤したのだ。

「う……うそだろ……あんな、あんな大爆発だったのか……」

「もしあそこに残っていたら……全員一瞬で骨も残らず吹き飛んでたぞ……!」

 夜空へ吹き出す黒煙と炎の柱を見つめながら、労働者もトム爺さんも全身に冷や汗をかき、自分たちが間一髪で生き延びた事実への安堵とともに、あらためて胸を撫で下ろすのであった。


第四節:

「――何事だッ!? 一体全体、ここで何が起きているッ!?」

 一般ではまずお目にかかれないようなシュッとした高級馬犬の二頭立て馬車と物々しい重装兵を引き連れ、大慌てで現場に飛んできたのは、『プラティア中央評議会・監察局』の特務監査官たちであった。

 伝書隼が放った物理テロ同然の告発筒、そして「放置すれば監督責任怠慢を追及する」というシリアの冷徹な官僚文書に青ざめ、大汗をかいて駆けつけてきたのである。

 おかげでこれでまた、ガルプ王国のテロ国家としての評判が一層盤石なものになった。

「査察のご協力、感謝いたします」

 シリアがポーカーフェイスのまま、押収した『二重帳簿』『作業日誌』『未精製樹脂サンプル』、そして密輸用の『偽造印章とその鋳型』をズラリと特務監査官の前に並べ立てた。

「精錬総監ガルドス・ボルドーによる公金横領、不法未精製樹脂の密売、および偽造印章の密輸に関する不可逆的な物証です。……言い逃れの余地はありません」

「う、うむ。確かに……大変証明力の高い、証拠ですな……!」

 監査官たちは顔を蒼白にして震え上がった。

 昨日今日入国してきたばかりの外国の貿易調査員が、数日を経ずして精錬ギルドの大物政治家のスキャンダルを暴き、ぐうの音も出ないほど決定的な証拠を揃えて見せたのだ。

 その上悪い事には、その外国というのが『中原一やっかいな国』でおなじみのガルプ王国である。

 場合によっては、「我が国の監査官は何をやってきたのだ」と追求される可能性もある不祥事だった。国際的な意味でも、自国の恥を海外に晒した形になるだろう。

 国内の監査官としては、色を失わざるを得ない。

 そこへ、重装兵によって引きずられてきたのは、全身ドブ泥と煤に塗れた精錬総監ガルドス・ボルドーであった。

 自爆スイッチを入れたあと、逃走用隠し通路の過圧蒸気パイプの破裂に巻き込まれ、哀れにも泥の中に吹き飛ばされていたところを捕縛されたのだ。

「放せ! ワシを誰だと思っている! 精錬ギルドの重鎮にしてプラティアの功労者だぞ! 泥豚どもを清掃して何が悪い!」

 手錠をかけられたガルドスは、それでも連行する重装兵を睨みつけ、相変わらず尊大な態度で騒いでいた。

 だが、引っ張られていくその姿は、どこか妙に力が抜けているようにも見えた。

 モアがその背中に声を掛ける。

「あ、さっきの騙されんぞのおじさんです~。騙されんぞのおじさーん」

「……」

「騙されんぞのおじさーん?」

 ガルドスは最初、それが自分の事を指しているのだという事に気付かないフリをして無視をしていたが、二度も繰り返されると流石に無視できなくなり、溜息をついて振り返った。

「……勝手に変な名前をつけて呼びつけるな。何だ貴様……ああ、さっきの盗人の小娘か」

「おお~、顔つきが変わってる。良かったですね~」

「何が良かったですぅ、だ! バカモノが! これが見えんのか」

 そう言って、手首にはめられた手錠を持ち上げた。

「貴様らのせいで、ワシは全てを失ったんだぞ! どうしてくれる!」

「そうですか~。全部なくなりましたか~。断捨離ってヤツですね~」

「断捨離じゃないわい!……ふん。頭のおかしい小娘とは話にならんわ」

 ガルドスは吐き捨てるようにそう言うと、そっぽを向いて再び歩き始めた。

「モアちゃん、捕まった人をあんまり煽るもんじゃないわよ」

 マフィアが苦笑しながら窘める。

「え~、煽ってないですよ~」

「ですが、執務室で遭遇した折の過度な狂乱に比べ、現在の彼は心拍数も呼吸も驚くほど安定しています。全てを失い、モアに不躾な挑発をされている現状からすれば、より激越な怒りを示すのが合理的なはずですが……彼のこの静穏な生体データは実に不可解です」

「不躾な挑発ってなんですか~。うち、そんな事しませんよお~」

「いや、自覚はないと思うけど、アンタ結構してるから。不躾な挑発」

 真顔で言うマフィアに、モアは「え……」と本気で目を丸くして、凝固した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。