第二幕:地下に軟禁たまスダレ
第一節:
1
旧・第7採掘区画の奥深く、廃絶された巨岩の亀裂にへばりつくようにして存在する『第十四集会所』。
そこは、かつて大口の採掘現場であった頃の巨大な換気用縦坑の直下に位置しており、頭上数十メートルからかすかに吹き下りてくる生温かい風が、スラム特有の重苦しい硫黄臭と強酸性の湿気を幾分か和らげている場所であった。
集会所とは名ばかりで、湿気で半ば腐りかけた泥炭煉瓦の壁に、破棄された鋳鉄の歯車や蒸気管を組み合わせて風よけとした、だだっ広い掘立小屋に過ぎない。扉すらなくて前面が開放されているので、単なる休憩所にも見える。
しかし、床板が強酸性の黒泥から三十センチほど持ち上げられているだけでも、このスラムにおいては「特等席」と言えた。
「――ふぅぁあぁぁ……!! やっぱり風が通る場所は全然違うわねぇ! あのドブの真ん中に比べたら、まるで王宮のテラスにでもいるみたいだわ!」
ソフィア・マフィアが、フリルコートの泥を大雑把に払い落としながら、集会所の太い木柱にドカッと背中を預けた。
その足元には、トム爺さんの手配によって運び込まれた古い木箱やボロ布が敷かれ、馬蜘蛛たちが巨躯を休めている。
マフィアの愛馬───馬蜘蛛は、脚関節に嵌め込まれた黒鉄の『重鋼ダンパー』の重みに溜息をつくように、頭胸部を「ズシン」と床板に落として丸くなっていた。
「ボナ、もう少しの辛抱よ。シリアちゃんがなんとかしてくれるからね」
マフィアが馬蜘蛛の背の皮膜を優しく叩き、ポケットから残っていた「発酵果実の煎餅」を小さく割って口元へ放り込んでやる。
「えへへ〜、ソノラちゃんもどうぞ〜」
ノア・モアが金褐色のサイドポニーを揺らしながら、馬蜘蛛の前に座り込み、水上カフェで買った乾いたパンくずを手のひらに載せて与えていた。馬蜘蛛は金褐色の長い脚を器用に折りたたみ、嬉しそうに触角をピコピコと動かしている。
部屋の最奥、最も風通しの良い換気口の直下に佇んでいたミリア・シリアが、能面のポーカーフェイスのまま静かに振り返った。
黒スーツの胸元から長銀のステッキを引き抜き、その石突で床板を『コツン』と叩く。
「……シリアちゃん、さっき言ってた『化学封蝋の特定が完了した』ってやつ、本当に解けるんでしょうね? あたしの日傘も、モアちゃんのチャクラムも、ガチガチに固まったままで、このままじゃ肩が凝って仕方ないのよ」
「もちろんです。私の計算に狂いが生じたことはありません」
シリアは一切の感情を排した冷徹な声で断言すると、長銀ステッキを両手で水平に構えた。 その柄と鞘の継ぎ目には、ガルドスの配下によって塗られた粘性の高い黒紫色の樹脂――『化学封蝋』が、まるで漆黒のガラスのようにカチコチに硬化して固着していた。
2
「粉塵が集会所に飛散すると清掃コストが発生します。屋外の排熱溝の上で作業を行います」
シリアは集会所の出口へ向かいながら、誰に聞かれるまでもなく、勝手に説明を始めた。
自分の武器の化学封蝋をどうにか出来るらしいと察して、マフィアとモアがその後を追う。
そうして集会所の外。シリアは排熱溝の格子から白く湿った湯気がゆらゆらと膝下を覆う中へ足を踏み入れると、黒スーツの裾を少し引き上げて言った。
「モア、貴方のチャクラムをお貸しください」
「は〜い、どうぞ〜」
モアが腰のホルダーから、環状の刃先や糸が黒紫色の樹脂で丸ごと塗り固められた偏心チャクラムを差し出した。
シリアは白濁眼を伏せたまま、その固まったチャクラムを左手に持ち、右手の長銀ステッキの先端(石突)を静かにあてがった。
「この『化学封蝋』は高分子重合を起こした特殊結晶樹脂です。物理的打撃ではなく、固有の分子結合周期に基づく共振周波数の連続入力……即ち、結晶格子の構造疲労誘導により無力化させます」
シリアは表情を動かすことなく、小難しい専門用語を淡々と並べ立てる。
マフィアが呆れ顔で腰に手を当て、口を挟んだ。
「アンタそーゆー小難しい話はいいから、結局どういうことよ」
「つまり、こういう事です」
シリアは短く返すと、長銀ステッキの先端で、チャクラムの樹脂表面を規則正しいリズムで小刻みに突き始めた。
コツン……コツン……コツン……
一秒間に正確に四回。
音の高さ、叩く角度、打撃の圧力を、シリアは自身の皮膚感覚と超鋭感だけでミリ単位で微調整していく。
コツコツコツ……チリン……コツコツコツ……
ピキ……ピキピキッ……!!
カチカチに固まっていた黒紫色の樹脂の表面に、まるで蜘蛛の巣のような細い亀裂が一瞬で走り抜けた。
パリィンッ……!!
乾いたガラスが割れるような音とともに、チャクラムを覆っていた黒紫色の樹脂が、一粒の破片すら残さず、サラサラとした黒い砂となって、足元で煮えたぎる熱湯泥炭の中へ落ちていく。
顕わになったのは、傷一つついていない滑らかな鋼鉄の環状刃と、その柄から伸びる目に見えないほど細い『耐熱極細糸』であった。
「わあぁ〜! 糸です! 刃です! チャクラムが元通りです〜!」
モアが嬉しそうに刃先に指先を滑らせ、歪みが生じていない事を確認する。そして糸を手繰って空中に躍らせると、チャクラムは「シュルルルッ!」と可憐な音を立てて空中を旋回し、吸い付くように手元へと戻ってきた。
「見事なものねぇ……!」
マフィアも感心して目を丸くする。
しかしシリアの関心は別の方に向いていた。足元の熱湯泥炭の方に聞き耳をたてている。
「何か、熱分解が誘起されているような音がしています。モア、何が起こっているか、ちょっと見てください」
言われてモアは、足元の排熱溝の中を覗き込んだ。すると───
ボォォォッ……!
黒泥の奥深くで、沈んだ粉末が鮮やかな青白い光を放ちながら、ドロドロのゲル状に溶けて広がっていた。
「わぁぁ〜! すごい! 青く光ってドロドロになってますよ〜!」
モアが目を丸くして歓声を上げる。
「うへー、こんな暗い所で勝手に光って。薄気味悪いわねえ」
横から覗き見たマフィアは対照的に、顔をしかめて忌避する表情だ。
「ほう。……興味深い。強酸を触媒として、液中かつ高温の環境下で一気にエネルギーを解放する事で、急激な熱分解と強い燐光現象を引き起こした、といった所でしょうか。何も検証していない現状では、この仮説の確度はせいぜい六十%程度ですが、もしもその通りであれば、それはチャクラムに塗られる前の状態と同じもの、という事になります」
「え~、あの黒鉄の壺に入ってたドロドロですか~? う~ん……」
モアは納得しかねると言うように、腕を組んで首をかしげた。
「あの時はお外で明るかったから、もしかしたら分からなかっただけかもですけど~……こんな風に光ってましたっけ~?」
「いや、私の仮説が正しければ、おそらくその光は、内包されていたエネルギーを放出仕切るまでの一時的なもののはずです。壺に入っていたようなものは、すでに光ってはいなかったと推測します」
それを聞いてマフィアが、黒紫のガラスっぽい化学封蝋を固着させた鉄日傘を、パシっと左手に打ち付けて言った。
「ちょっとアンタ、もうちょっとあたしにも分かりやすいように説明しなさいよ! 結局なんだってゆーのよ。てゆーか、アンタたちさっきから何の話をしてんのよ!」
「そうですね。端的に言うと━━━」
とシリアが説明の仕方を検討しながら口を開いた所で、モアがさかんに手を上げる。
「うちが! うちが説明します~! シリアさんが説明すると、結局また「もっと分かりやすく説明しろ~」って怒られますよ~。ここはうちが説明した方が絶対いいです~」
「……なるほど。一理ありますね。ではモナ、説明の方は任せました」
「任されました! えっとですね~、端的に言いますとですね~、マフィアさんの鉄日傘の化学封蝋は、なんと! あのアツアツの泥の中に突っ込むと光るんですよ~!」
「全然違います」
間髪入れずにシリアが否定した。
「モア。それでは説明になっていませんし、端折ってはいけない部分までがごっそり端折られて、むしろ語弊しか残っていません。しかし……そもそも不確定情報が多すぎて、説明するのは元々困難だったのかも知れません。そうですね……いずれ検証せねばならない事でもありますし、マフィアの日傘の化学封蝋を利用して、実際に検証してみましょう。マフィア。集会所の中で、捨ててもいいような木皿があったら持ってきてください」
「またもう! こんな所にそんなものがあるわけないでしょーが! 木皿に穴が開いてたら、その穴をふさいで使い続けるもんよ。まったく、これだからお貴族様は」
やれやれ、というようにマフィアは首を振りながら肩をすくめて、集会所の建物の中に入っていった。
「……マフィアは自分も貴族であることを時々忘れるようですが、華美なドレスを着たり高級なお菓子を食べる時だけ思い出すのは、少し調子が良いですね。これは後日、何かの折に交渉材料として使える可能性があります」
それを聞いたモアが、何か素晴らしいものを発見したかのように目を丸くして、パンと手をうった。
「シリアさんが負け惜しみを言ってます~!! かわいいです~!」
「負け惜しみ? モアは何を言っているのですか?」
「シリアさんかわいいです~!」
突然モアに抱きつかれ、シリアは「あ」と呟いた。
「モア。あなた、抱きつく瞬間、呼吸を止めて足音を消して、完全に気配を絶ちましたね。目の不自由な人に、気配を消して抱きついてはいけません」
「え~、だってそーしないとシリアさん、逃げると思って」
「正しい認識です。即時の解放を要求します」
「……アンタたち、何してんのよ」
端の欠けた木皿をもって集会所から出てきたマフィアが、これはどういう状況なの?というように、怪訝な顔を向けてきた。
「あらぬ冤罪の嫌疑をかけられて不当な拘束を受けています」
「あ、マフィアさん。聞いてください。今さっきシリアさんが凄くかわいくてですねー……いたたたっ」
シリアの黒スーツの襟元から覗いていた長銀ステッキがニューッと伸びて、モアの顎を下から突き上げていた。モアは痛みに耐えかねて、思わずシリアから離れてしまう。
「??? 今何をしたんですかぁ~?」
シリアがマフィアから木皿を受け取る。
「あとで買って返すからって言ってもらってきたわ。それで? これ、どうすんの?」
「この化学封蝋のガラス質を破砕して生じる粉末の受け皿にするのです」
排熱溝を下に見る格子の上に木皿を置き、その真上でマフィアに、鉄日傘をぶら下げるように持ってもらう。
「なるべく接触面が少なくなるように、指で摘むように持ってください」
「無茶言うわねぇ」
と言いつつ、マフィアが言われた通り、指で摘むように持ち上げたが、言うまでもなく、うかうかとそんな事が出来るような重さではない。こんな事が出来るのはマフィアだけだ。
シリアが慎重な手つきで「コツコツコツ」と注意深く、ステッキで叩き始める。
そこにモアが疑問を挟んできた。
「さっきのお話だと~、そんな事しなくても、そのまま泥に突っ込めば、ドロドロに戻るんじゃないですか~?」
「それはないでしょう。それくらいでゲル状に戻るようなら、つまりこの固着状態を解除できるのならば、という意味においてですが、彼らもそれを把握しているでしょうから、あんな風に固着状態の化学封蝋の堅牢さに絶対の自信はもつ事は出来ないはずです。同じ理由で、音響破砕で粉砕できる事も把握していない」
それを聞いてモアがあははと笑った。
「シリアさんみたいに、耳コピで固有振動数を把握する人がいるなんて、想定できないですよ~。てゆーか、そんな人がいるなんて心配しはじめたら、もう被害妄想の域じゃないですか~。正気を疑われますよ~」
「モアに人外扱いされるのは心外です」
シリアのその言葉と前後して、黒紫のガラス質の樹脂が、パリィンと砕けた。
一瞬で粉末化してサラサラと木皿の上に落ちる様は、なんとも不思議な光景だ。
「おそらく、高分子結晶構造が音響破砕で微粉末化したことがミソになっているものと思われます。それによって表面積が増大し、ゲル化の反応が爆発的な速度で起こったのではないかと推測しました。しかし、条件がそれだけかどうかはまだ断定できません。故に検証するのです」
シリアはそう言って、木皿に溜まった粉末の山を、三つに分けた。
「熱湯泥炭の中で反応が起こった事だけが明らかになっていますので、段階を追って、その反応環境から条件を消していきます。モア、あちらの方角から強酸性の独特の強い刺激臭がしますので、一杯もらってきてください」
モアが示された方向に鼻を向けて、スンスンと嗅ぐ。
「え~。そんな匂い、しませんけど~?」
「バカねぇ。シリアちゃんの嗅覚よ? 人間の嗅覚の何倍あると思ってるのよ」
「マフィアに人外扱いされるのは心外です」
「そうでした~! じゃあちょっとひとっ走り見てきま~す!!」
モアが走り出したのを尻目に、マフィアがシリアにジト目を向けた。
「アンタ、もしかしてその言い方、気に入ったの?」
「はい。何気に韻を踏んでいて我ながらウマい事を言ったと密かに自負しています」
「そ、そう……それは、良かったわねぇ。でもそういうのは、あまり何回も言わない方がいいいと思うのよ。ね? そうねぇ、せめて同じ人に何回も言わないようにするとか……」
「いいえ、機会があったら積極的に多用していくつもりです」
「聞いてる方がツラくなるから止めろって言ってんのよ!」
そこへ液体を入れた鉄バケツをもって、モナが戻ってきた。
「ありましたよ~。ツルハシとかのガラ洗いの溶液だそうですよ~。シリアさんの言ってたのはこれの事ですか~?」
七・八割くらいの量なので、そこそこの重さがあるはずだが、モアの卓越した平衡感覚は、その水面にほとんど波をたてていなかった。
「ありがとうございます。これで間違いありません。これは鉄バケツの臭いですね。非常に都合がよろしい」
目の不自由なシリアが、顔を声のする方向に向けて礼を言う。
「これは酸洗いに使用する強酸性溶液です」
咄嗟にその強酸性溶液の用途に思い至ったシリアは、解説を付け加えた。
「キレーな黄緑色です〜」
「えー? アンタこれ、キレーではないでしょ。なんか虫の死骸みたいなのとか浮いてるし」
「命のデコレーションですね~」
「いやだから死んでんのよコレ。命なんかとっくに抜けて、その抜け殻が浮いてるだけなの」
「なるほどー。命の記憶をデコレーションしてるわけですねー」
「アンタなんでそんなに強引にデコりたがんのよ」
「これに先程の高分子結晶粉末を入れて発光現象が誘起されるかを検証します。もしも発光現象が誘起されたら、温熱泥炭でなくても強酸性溶液ならなんでも反応する、という事になりますが」
鉄日傘を拘束していた化学封蝋の粉砕粉末を、バケツの中の強酸性溶液の中にサラサラと流し込んだ。
「……反応は認められないようですね。つまり、『温熱泥炭でなくても強酸性溶液ならなんでも反応する』という可能性は否定されたという事です」
「ちょいお待ち! なにコレ、この、まどろっこしい実験! この実験、何か、必要な事なの? いいえ答えなくていいわ。必要ないの。必要ないのよ。いい? カチカチのヤツが元のドロドロに戻って光る? いやなにそれ。これから上に上がってって、あのどこ切っても脂身しかなさそうな親父を角切りにして油をひくのに使ってやろうって言ってんのに、アンタたち何始めてんの?」
「マフィア。人間は、そんなに効率化ばかりでは生きていけないものです」
「アンタが言うな! てか、アンタ、実験したいだけでしょうが!」
「その通りです。では次に、この粉末を入れた強酸性溶液のバケツを━━━」
「コラ! なにシレっと続行しようとしてんの!人の話を……アンタはアンタでなに。急に人の頭ヨシヨシしてきてからに」
「よしよし。シリアさんとうちがマフィアさんの興味ない話で盛り上がってるから、寂しくなったんですね~」
「違うわよ! アンタ喋り方お花畑なのに、ちょいちょい煽ってくるような事言うわよね」
「二人とも、漫才はそこまでです。ご覧なさい。発光現象です」
シリアが排熱溝のある地面を右手で指し示した。格子の蓋が取り払われて、その底の方に、闇の中、湯気を立ち上らせる泥炭の細流が見えた。その細流の只中に、先ほどのガラ洗いのバケツが降ろされていた。
そのバケツの強酸性溶液の底に沈められた微粉末が───
「光ってます〜! 青く光ってますよ〜! どーゆーことですか〜!?」
モアが興奮気味に叫んだ。
「あらやだホント。排熱溝の暗い所で見た時は、泥炭の底でボウッと青白く光って、なんだか幽霊みたいで気味が悪かったけどねえ。バケツの溶液は泥炭よりずっと澄んでいるせいかしら、こうしてみると存外キレイなものねえ」
マフィアは片手を右頬にあてて感心したように呟いた。
「バケツの強酸性溶液を、排熱溝の熱湯泥炭でバケツごと温めたのです。そうしたら、ご覧の通りの、発光現象です。これで化学封蝋の特殊樹脂がゲル状に変化する際の必要条件が、だいぶ絞れてきました。一つは温度です。次はお湯で試してみましょう。それでまた発光現象が認められれば、強酸性は無関係という事になります」
「はぁ? それ試す必要あるぅ? お湯だけで光るわけないでしょうが」
「おや、これはまた実証主義に真っ向から殴りかかるようなマフィアさんらしい意見ですね。よろしい。では何か賭けますか。そうですね。もしもお湯だけで光ったら、先ほどマフィアさんのお話にあった精錬総監の脂身をひいて焼いた焼肉を食べていただきましょうか」
「イヤよ!? なんでそんな猟奇的な罰ゲームしないといけないのよ。アンタちょっと、賭け事するんなら、もっと自分に得するようなものを賭けさせなさいよ。その罰ゲームに勝者はどこにもいないわよ!?」
そこに、モアがボコボコに変形した鉄バケツを持って「お水もらってきましたよ~」と走ってきた。
走っているのに鉄バケツの水にはやはり波一つ立っていない。こうなるともう、「抜群の平衡感覚」などという表現には収まりきらない。ほとんどホラーだ。
「お水って、アンタその水、どこからもらってきたのよ」
とマフィアはモアが走ってきた方向━━━集会所のある方に目を向けてキョロキョロした。
「あのガレキ置き場みたいなの、アレ、ここのスラムの人たちが廃材とかで作った蒸留装置だったんですよ~」
「あらやだ。アレ、ゴミ置き場じゃなかったの?」
「う~ん、あの様子だと、ゴミとか、あんまり出なさそうですね~」
「ふむ、なるほど。環境温度四一度、相対湿度九六%。空気中の水蒸気はほぼ飽和状態。この環境なら、そういう施設が作られていて然るべきですね。ではさっそく、そのバケツの水にこの粉末樹脂を入れて、また排熱溝で熱を加えてみましょう」
「ちょっとお待ちなさい! それはスラムの人たちがこの劣悪な熱泥から血の滲むような思いで蒸留した、貴重な『命の水』じゃないの! アンタたちがおもちゃちしていいもんじゃないのよ!」
「容器からダラダラ溢れていましたけど、『ちょっと分けてください』って言ったら、『貴重な水ですが、どうぞ好きなだけもっていってください』って言ってくれましたよ~。ここでは凄く貴重で命の水って言われてるんだけど、なにしろ容器が足りなくてね~って。命がこぼれ放題なんだよ~って。なんか、圧が~」
「ヤだ、なにそれ。代わりに容器寄越せってこと? 生活が大変なのはわかるけど、露骨ねえ」
「ソフィア・マフィア。言い方一つでそこまで相手に対する態度がコロリと変わるあなたはとても面白い。しかし、ここにはソフィア家のような庇護してくれる領主がいませんからね。彼らも必死にならざるを得ないということでしょう」
「あらいやだ。シリアちゃんってば、そういう気遣いも出来るのねえ。平民なんて書類上の頭数で処理してるもんだとばっかり思ってたわー」
「書類上の頭数で民衆の生活を把握するのが官僚の仕事です」
「そーですね~。あとでお鍋とかいっぱい送っときましょ~」
そして結果は━━━予想通り、発光現象は起きなかった。
「ほらご覧なさい。賭けはあたしの勝ちよ。猟奇焼肉はアンタが食べなさいよね!」
「お断りします」
「なんですかその猟奇焼肉って~……ちょっとお腹空いてきました~」
「モアちゃんのマインドマップって、一本道しかなくて簡単そーよねえ」
「以上の結果から、化学封蝋の特殊樹脂がゲル化するには、『1.微粉末状態によって表面積を最大化させる事』『2.強酸性溶液につける事』『3.加熱する事』と、現状三つの条件が満たされる事が必要と判明しました。より詳細には加熱の変化点とか、また、空気に触れる事で硬化する事を考え合わせると嫌気性にも言及したい所でしたが」
様子を見に出てきたトム爺さんがハタでそれらの会話を聞いて
「あんたらそれで会話が成立してるのかい……?」
と呆れ混じりに感心して呟いた。
「……ハッ! 閃きました!」
シリアの独り言のような総括を聞いて、モアが背筋をピンと伸ばし、挙手をしてシリアに訴え出た。
「そのコンコンするの、今度はうちにやらせてくれませんか~? うちもそのコンコンを覚えて、この粉末をいっぱい集めたいんです~!」
「それは……構いませんが、何を閃いたのですか?」
「エヘヘ~。あのですね~、この粉末でお父さんのお誕生日プレゼントを作るのです!」
「あらあら、手作りのお誕生日プレゼントなんて、奉公前のお稚児さんみたい事を考えるのねえ。でも、この粉末でどんな誕生日プレゼントが出来るのかしら?」
「えっとですね~、まず底に『お誕生日おめでとう』って文字を彫り込んだ陶器を作るんですよ~。そして、その窪みにこの粉末を敷き詰めて、熱した塩酸を注ぐんです! 明かりを消したら、文字が青く光って浮き出てキレイですよ〜!」
「アンタ親父さんの誕生日プレゼントに熱した塩酸送るつもりなの!?」
「え~、ダメですか~? キレイだと思うんですけど~」
「キレイさより分別があるトコ見せた方が親父さん喜ぶわよ?!」
「分別があるモア、ですか? ちょっと想像が出来ませんね。そんな事をしたら家族から、本物のモアかどうか疑われるのではないですか?」
「もう。シリアさんたち、ちょっとひどいですよ~」
モアは不服そうに首を傾げながら
「あ、実験は終わりですからこの粉末はもういらないですね~」
とちゃっかり、余った微粉末を携帯食用の小袋に入れた。元々入っていた携帯食の方は既に食べてしまっていたので問題ない。
「さあシリアさん。次はシリアさんのステッキの化学封蝋ですよね~。コンコンするやり方、教えてくださ~い」
自分の得物━━━偏心チャクラムを掲げて、モアはにっこりと笑った。
「よろしいでしょう。もちろん、理屈の共有自体は拒みません。しかし結論から言いますと、モアがこれを習得するのは不可能です」
「え~。いきなりショックな事を言われてしまいました~」
モアがへにょんと気落ちした顔で前かがみになり、身体全体を使ってへにょんとした気持ちを表現する。
「この破砕現象は、対象の持つ固有振動数に合わせた共振打撃によって発生します。物質の結晶構造に応じた周波数波形を算出し、連続的な微少打撃によって分子結合の構造疲労を誘導するのです。私のステッキでなくとも、貴方のチャクラムの特殊合金刃の縁を、特定の角度と速度で打撃すれば、同様の共振音波を励起させることは、理論的には可能です」
シリアは、化学封蝋が固着した自分の長銀ステッキを眼の高さに掲げて、一切の感情を排した声で淡々と数式のような理論を並べ立て、最後に短く付け加えた。
「――ただし、これには微小な周波数のズレを指先の皮膚感覚で一ミリ秒単位で微修正し続ける、極めて高度な感覚補正が必要です。概念を理解した程度で容易に模倣できるものでは――」
言い終わるより先だった。
「ふむふむ。要するに、この手応えと『キィィン……』っていう音ですね~!」
モアはシリアの講釈を半分も聞かないうちに、自分のチャクラムを、シリアの掲げる長銀ステッキに固着したガラス質の化学封蝋に触れさせ、指先でチャクラムの縁を「チョン」と軽やかな手つきで弾いた。
『キィィィィン――――……』
澄み渡る金属共振音が静かな排熱溝の上に響き渡る。
次の瞬間、長銀ステッキを覆う黒紫色のガラス質樹脂に、まるで蜘蛛の巣のような細い亀裂が一瞬で走り抜けた。
『パリィィンッ……!!』
何事もなかったかのように綺麗に砕け散り、サラサラとした黒い微粉末となって、足元の排熱溝の上へ落ちていく。
「……」
シリア沈黙。
能面のポーカーフェイスこそ崩さないものの、その皮一枚下の表情筋に、明確な驚愕の気配が走る。
「あー、失敗しました~。受け皿を用意してませんでしたよ~。せっかくの粉末が~」
モアが悲壮な顔で排熱溝の格子に手をかざした。
「……たった一回の試行で固有振動数のノードを特定し、指先の弾き方一つで完璧な共振波形を成立させましたね。……恐ろしい身体感覚です。職人たちの数年の修練を数秒で無に帰す暴挙と言えます」
「えへへ~、チャクラムで糸をコントロールするのに比べたら、ずっと簡単ですよ~!」
モアは天真爛漫に笑いながら、「職人たちの数年の修練を数秒で無に帰す暴挙」の重ねがけをするような発言をした。これがSNSなら間違いなく炎上していたであろう。
3
「と、とにかくっ! これで傘が開かないストレスから解放されたわ!」
マフィアが鉄日傘のレバーを引き絞ると、『バサッ!』と豪快な音を立ててフリル付きの重鉄骨が力強く開き、室内の湿った空気を押し散らした。
「で、次はこの馬蜘蛛たちの脚についてる『重鋼ダンパー』ね。シリアちゃん、このダンパーの鍵はどこにあるの?」
「この施設内のどこかに解錠用鍵体が存在します。組織における鍵の管理責任は一元化が原則です。九一%の確率で、警備部門に管理責任者が配置されているか、あるいは鍵を集中保管する特定の区画が存在します。……なお、残りの九%は責任者が無能で管理が杜撰なケースですが、その場合は鍵そのものを紛失している可能性も考慮すべきでしょう」
「そんな可能性があったら困ります~!」
モアが悲鳴のような声をあげた。
「……前からちょっと思ってたけど、アンタがちょいちょい口に出すその可能性のパーセンテージ、どうやって計算してんの?」
マフィアが半目でジト目を向けると、シリアはアサッテの方向に顔をそむけて無言で受け流した。
「さっきシリアさんが言ってた『鍵を持ってそうな兵士を片っ端から潰して回る』って作戦、本当にやるんですか〜?」
モアが目を輝かせて、偏心チャクラムを指先でくるくると回す。
「あれは冗談です」
シリアは淡々と返した。
「我々の目的は、ガルドス総監を物理的に討伐することではなく、彼が隠蔽している『公金横領』および『密売』の公的証拠を押さえ、彼を法的・政治的に完全自爆させることです。無用に警備兵を襲撃して警戒レベルを引き上げれば、総監執務室の裏帳簿を処分されるリスクが高まります」
「そうよモアちゃん。あたしたちは正当な調査員なんだから、暴力に頼っちゃダメなのよ。……で、シリアちゃん、具体的な手順はどうするの?」
マフィアの問いに対し、シリアはあらかじめ整理していた思案を、冷静な口調で二人に共有し始めた。
「調査手順は以下の二点です。 第一に、ガルドスが密かに開削させているという深層の『新採掘区画』へ潜入し、化学封蝋の原料となる未精製樹脂の密採現場を確認。物的証拠および現場の状況を押さえること。 第二に、スラムの地下排水路を遡上し、上層の総監執務室直下への侵入ルートを特定。執務室内の『二重帳簿』を確保すること。そしてこの二点と並行して、第三に鍵関係の保管場所、もしくはそれらの管理を担当している者を特定して、『重鋼ダンパー』の鍵を確保する。……この三点を並行して進めます」
「なるほどねぇ! 鍵を探しながら、現場の証拠と、上の裏帳簿のダブルで退路を断つってわけね! いいじゃないの!」
マフィアがパンッと手を叩く。
「よし! じゃあいつものように、手分けをして仕事を進めましょ!」
マフィアがフリルコートの袖を豪快に捲り上げ、バシッと二人を指差して仕切り始めた。おばちゃん特有の、手際が良く迷いのない仕切りである。
「その新採掘区画にある現場の物証はあたしが取りに行くから、執務室の帳簿はシリアちゃんが押さえて。モアちゃんは重鋼ダンパーの鍵を探す。それでどう?」
「承諾します。多並行処理による時間短縮は最も合理的です」
シリアが能面のまま頷く。
「は〜い! モアはカギ探しですね〜! 任せてください〜!」
モアも元気よく返事をした。
そこへ、集会所の入口から、片目のトム爺さんが静かな足取りで入ってきた。
その手に、泥で汚れた古い坑道図の羊皮紙を抱えている。
「――どうだね、お嬢さん方。準備は整ったかい?」
トム爺さんは、手拭いと傷薬のおかげですっかり落ち着いた顔で苦笑いを浮かべ、テーブル代わりに置かれた泥炭樽の上に坑道図を広げた。
「アンタらが話してた『新採掘区画』だがね……あそこはまともな人間が行くような場所じゃねえぞ。ガルドスが雇った極悪な傭兵どもと、有毒な泥炭ガスが充満するモノホンの地獄だ。……だが、どうしても行くってんなら、ワシが抜け道を案内してやる」
「あら、頼もしいじゃないのトム爺さん!」
マフィアが華やかに微笑む。
「『新採掘区画』へはあたしが行くわ。案内、よろしくお願いするわね」
トム爺さんは小さく身体を傾けて、怪訝な表情を浮かべた。
「おいおい。もしかして、あんた一人で行くのかい?」
「ええ。この子たちは別に用事があるのよ」
「ほう……威勢の良いこった。ま、好きにするがいいさ」
シリアとモアと別れたマフィアは、薄暗い第十四集会所を後にし、プラティアの深層――さらなる闇と毒煙が渦巻く『新採掘区画』への潜入調査へと足を踏み出すのであった。
第二節:
1
旧・第7採掘区画のさらに地下深部へと続く暗い小坑道は、まさに「生の終わり」を予感させる異様な空間であった。
『ポタ……ポタポタ……シュウゥゥ……』
岩肌は漆黒から不気味な黒紫色の結晶層へと変化し、空気は目に見えるほど濃い白灰色の毒煙と、ツンと鼻を刺す強酸性の刺激臭に満ちていた。
頭上の岩盤からは、過熱された泥炭汚水が熱湯となって滴り落ち、足元の木道はすでに途切れ、煮立った黒泥の沼がゴボゴボとグロテスクな泡を噛んでいた。
「うぇぇぇ……なにこの匂い……!! さっきのスラムより十倍酷いわねぇ……!!」
ソフィア・マフィアが、フリルコートの袖口で固く鼻口を覆いながら、眩暈に耐えるように眉をひそめた。
十万銅貨の高級コートは、すでに裾どころか全体に黒い煤と酸性の飛沫を浴び、ボロ布に近い惨状を呈している。しかしマフィアは文句を言いながらも、足元をしっかり踏みしめて歩みを止めない。
「だから言ったじゃねえか。まともな人間が行くような場所じゃねえってよ」
トム爺さんが呆れた声を上げる。
ソフィアの横を進む馬蜘蛛も、脚関節の重鋼ダンパーに苦しみながら、太い脚を泥の中に沈めてたくましくついてきていた。
前方から、大型の機械のような機械振動と、多数の作業員の熱気が伝わってくる。
「ワシの案内はここまでだ。ワシも、勝手にこんな所をウロウロしてんの見つかったら、どやされた挙句にそれこそこの、『新採掘区画』に放り込まれちまう」
「ええ。ありがとうね、トム爺さん」
トム爺さんは、深い皺の刻まれた顔に、ニヒルな笑みを浮かべて去っていった。
巨岩の影から覗き込んだ先には、広大な地下空洞が広がっていた。
そこが、ガルドス精錬総監が極秘裏に開発を進めさせていた『新採掘区画』の最深部であった。
空洞の中央には、巨大な真鍮製の蒸気ピストン削岩機が鎮座し、「ドスッ! ドスッ! ズシューッ!」と地響きのような大音量を立てて黒紫色の岩盤を穿っていた。
削られた岩肌からは、ねっとりとした黒紫色の液体樹脂が血のように滲み出し、それを防毒マスクを被った数十人の労働者たちが、鉄のバケツで汲み上げて特大の黒鉄壺へと移し替えている。
そして、その労働者たちを、防毒マスク付きの黒鉄の甲冑を着込み、太い仕込み鞭を持った精錬ギルド直属の武装傭兵たちが、容赦なく鞭打っていた。
「働け、泥ブタどもッ! 今日のノルマを達成できん奴は、あの強酸汚水の溜め池に叩き落としてやるぞッ!」
バシィンッ!!
鞭の乾いた音が響き、痩せこけた労働者が悲鳴を上げて泥の中に倒れ込む。
「……ひどい。スラムの監視員よりさらに下劣な連中ね」
マフィアのアンバーブラウンの瞳に、激しい怒りの炎が宿った。
そのマフィアの視界に、黒鉄の壺が映る。
「あら、あの壺に汲み上げられてる黒紫色のドロドロ……さっきあたしたちの武器に塗られた『化学封蝋』と同じヤツじゃないかしら」
だとすると、あとはそれを奪い取るだけだ。
マフィアは岩の影で、手に持ったフリル付き鉄日傘をチラリと見やった。
先端から柄までカチコチの黒樹脂で覆われているように見えるが――もちろん、これはシリアの音響破砕で砕けた破片を、ただ表面に薄く「見せかけ」として乗せているだけの偽装である。
マフィアは華やかなウェーブ髪をふわりとなびかせると、両手をひらひらと振りながら、無防備を装ってズカズカと採掘現場の真ん中へ歩み出た。
「あらやだ〜お兄さんたち! こんな暗い場所でドロドロの作業なんて、ほんとご苦労様ねぇ!」
「な、なんだッ!? 誰だ貴様はッ!?」
削岩機の横に立っていた傭兵隊長が、突如現れた派手な美女に驚愕して太刀を構えた。
「おい……! こいつ、ガルドス総監閣下から連絡のあった『ガルプの危険人物』の一人だぞ!」
「なんで女が一人でこんな地下深層にいるんだ!?」
傭兵たちが一斉に囲い込んでくるが、隊長がマフィアの手元を見て、下品なニヤニヤ顔を浮かべた。
「ケッ! なんだ、自慢の武器も化学封蝋でカチコチに固まったままじゃねえか! 丸腰の女が一人で迷い込んでくるとは、良い度胸だな!」
「いやねえ、女一人に数人がかりで殺気だっちゃって。アンタ、こーゆー時にはお茶の一つでも出すもんよ? 親に教わらなかったの?」
マフィアが下町風のお節介なおばちゃんスマイル全開で、不用意に近付いていく。
「ハハハハッ! バカかお前は! 殺されに来たとしか思えんぞ! おい野郎ども、引っ捕らえて酸性のドブへ叩き落としてやれッ!」
傭兵たちが「ギャハハッ!」と下品な笑い声を上げ、完全に油断しきった様子で、丸腰の(と思っている)マフィアへ向けて手を伸ばしてきた。
2
一方マフィアは━━━敵が間合いに入ったと見るや、そのアンバーブラウンの瞳から、一瞬で親しみやすい笑顔を消し、冷酷な狩人の光を宿らせた。
「――バカはお前たちよ、この甲斐性なしども」
マフィアは固まっているはずの『フリル付き鉄日傘』の開閉レバーを、容赦なく力強く引き絞った。
バサアァァンッ!!
「「「な、なにぃぃッ!??!?」」」
豪快な音とともに、表面に乗っていた見せかけの黒樹脂が粉々に弾け飛び、幅二メートルを超える漆黒の重鉄骨フリル日傘が力強く開いた。
「ゲゲぇぇぇーッ!? か、化学封蝋でカチコチに固めたはずなのに、なんで傘が開くんだぁぁぁッ!?」
傭兵隊長が目玉が飛び出さんばかりに絶叫する。
「あらイヤだわ、あたしの傘が開かないわけないじゃないの!」
驚愕で硬直した傭兵隊長に向け、マフィアは開いた鉄日傘を勢いよく『バタン!』と閉じると、その重鉄骨のパイプを、まるでハタキを振り下ろすような手慣れた動作で、隊長の弁慶の泣き所(脛)へ向けて全力で叩きつけた。
『ゴカァンッ!!』
「ひぎゃあぁぁぁっっ!??!?」
脚を抱えて白目を剥き、泥の中に転がる傭兵隊長。
「野郎ども! 手分けしてこの女を叩き潰せぇッ!」
パニックになりながら襲いかかってくる傭兵たちに対し、マフィアはフリルコートの裾をひらりと翻し、閉じた日傘をバトンのように軽やかに旋回させた。
ガンッ! ガコンッ! ゴカァンッ!
「ひぐっ!?」
「あがっ!?」
日傘の重鉄骨が描く完璧な円運動。
ある者は顎を撃ち抜かれて宙を舞い、ある者はフリル日傘をシールド代わりに攻撃を跳ね返され、体制を崩したところを強烈な前蹴りで酸性の泥の中へと叩き落とされた。
まさに、たった一人の手練れによる、圧倒的な『お掃除』作業。
わずか一分足らずで、二十人近くいた武装傭兵たちは、誰一人として起き上がれず、泥の中でうめき声を上げるだけの全滅状態となった。
3
「ふぅ……やれやれ。やっぱり男連中の相手は骨が折れるわねぇ」
マフィアはフリル日傘をポンと肩に担ぎ、モデルのような美貌に満足げな笑みを浮かべた。
物的証拠の黒紫のドロドロを確保する為、なにか適当な容器はないかと見回すと、壁際に作業台があった。
怯えていた労働者たちの間を悠々と通り抜け、作業台に近付く。そこに黒紫色の樹脂が詰まった『試薬瓶』を見つけた。
「あら、ちょうどいいのがあるわね。これでいいじゃない」
と持ち上げる。
「でも、これだけで物的証拠ってヤツになるのかしら?」
と首をかしげる。そこで、同じ作業台に厚手の『作業日誌』が置いてあるのに気付いた。
「そうねえ……」
と手にとってパラパラとめくる。するとそこには───
「あらあらあら、まあまあまあ」
この現場で化学封蝋の原料を採掘している様子はもちろん、搬出先の情報と搬出量も逐一記載されていた。
「そうそう、こーゆーの。こーゆーのでいいのよ」
頭の上に音符が飛び出るほど上機嫌になってその『作業日誌』を抱え込んだ。
「よし! 現場の物証はバッチリ確保ね!」
マフィアはポケットから手拭いと傷薬を取り出し、呆然としている労働者たちへ投げ渡した。
「ほらアンタたち、これで傷の手当てをしなさい! じきにあの自爆タヌキオヤジの悪事を全部暴いてやるから、もうちょっとの辛抱よ!」
「あ……ありがとうございます……?」
とはいえ、急にやってきてそんな事言われても、理解が追い付くはずもない。戸惑う労働者たちに手を振り、マフィアは手に入れた証拠品を抱えて、軽やかな足取りで第十四集会所へと引き返すのであった。
第三節:
1
一方、ノア・モアの方はというと━━━金褐色のサイドポニーを元気に揺らしながら、警備兵たちの詰所や倉庫が立ち並ぶ『警備管理エリア』の裏道を探っていた。
相棒の馬蜘蛛の脚を縛り上げている装置の鍵を保持している兵士か、あるいはその保管場所を特定するためである。
「重鋼ダンパーの鍵はまだ見つかっていませんが~ 化学封蝋の黒鉄壺がたくさん保管されている倉庫は~ 見つけましたよ~ これは大変~すばらしい成果です~♪ あ~ お父さんの誕生日プレゼントよ~」
勝手なフシをつけて機嫌よく鼻歌を歌っている。声も音程もテンポもキレイなものだったが、歌詞と作曲の才能は皆無だとハッキリと分かる鼻歌だった。
ドロドロの黒泥が広がる木道の角を曲がったところで、モアの耳に荒々しい怒声と悲鳴が飛び込んできた。
「おい泥ブタ! サボってんじゃねえぞッ! 今日の採掘ノルマが足りねえんだよ!」
バシィンッ!!
「ひぎゃあぁぁっ! ゆ、許してください! 体調が悪くて……!」
黒鉄の防毒マスクを被った精錬ギルドの警備兵が、痩せこけた若い男性労働者を地面に蹴り倒し、仕込み鞭を振り下ろそうとしていた。
「あらら〜、いじめはいけませんよ〜」
モアがニコニコしながら、すっと二人の間に割って入った。
「なんだ貴様はッ!? ガルプの不審者かッ!?」
警備兵が驚愕して鞭をモアへ向けようとしたが、その様はモアの目からは隙だらけで、まるで無防備に見える。
シュルルッ……ピッ!!
モアの指先から放たれた『偏心チャクラム』が弧を描く軌道で飛翔し、そのチャクラムとモアの間を結ぶ極細糸が、警備兵の鞭を振り上げた腕に厳しく絡んだ。
「ふえっ?!」
極細糸は目に見えづらく、警備兵には何が起こったか一瞬分からなかった。その一瞬の間に環状刃は糸に引かれて警備兵を中心にクルリと回り込み、背後から警備兵の首をすっぱりと切り落とす。
声帯ごと綺麗に切断されているので悲鳴はない。断面のいくつもの血管から、間欠泉のような勢いで血が盛大に吹き上がった。
「大丈夫ですか〜?」
その血が降りかかってくるのを意にも介さず、モアはニコニコ笑って倒れていた若い労働者に手を差し伸べ、抱き起こしてやった。
「あ……ありがとう、お姉さん! 助かったっす……!」
若い労働者はボロ泣きしながら頭を下げた。モアが「馬蜘蛛ちゃんの脚についてる重鋼ダンパーの鍵を探してるんです〜」と尋ねると、若者は泥に汚れた袖で鼻を擦りながら首をひねった。
「じゅうこうナントカって難しい名前は知らねえっすが……カギなら、あの奥の隊長の小屋っすよ! 隊長が『これは俺しか開けられねえ大事なカギだ』って、腰にジャラジャラたくさんぶら下げて自慢してやがりましたから、きっとその中にあるはずっす!」
「わあぁ〜! ありがとうございます〜! それじゃあ行ってきま〜す!」
モアは元気に手を振ると、勢いよく木道を飛び出し、黒泥の広場へと駆け出していった。
しかし、足を踏み出した直後――
『ズブブブブッ……!!』
「ふぇ……!? うわぁぁぁ〜〜〜っ!??!?」
勢いよく踏み込んだモアの脚が、底なしの強酸性泥炭層に一瞬で太腿まで沈み込んだ。
「ひゃ〜っ!? 抜けません〜! 泥が脚に吸い付いてきます〜! もがけばもがくほど沈みますよ〜〜っ!?」
金褐色のサイドポニーを振り乱し、泥の中でドタバタともがいて溺れそうになるモア。
「お、お姉さんッ!? 危ねえッ!」
若い労働者が慌てて木道から手を伸ばし、モアの服の襟首を引っ張り上げた。
「ふはっ……! 助かりました〜……。この泥、すごく意地悪ですね〜……」
泥塗れになった服をパンパンと叩きながら、モアがヘニャッと情けない顔で溜息をつく。
「あはは……お姉さん、あんなに強いのにドジっすねぇ! そんな普通に走ったら沈むに決まってるっす!」
若者は苦笑いしながら、懐から石灰や鉱物を粗く砕いた『乾燥鉱物粉末』の袋を取り出してみせた。
「この泥の上を走るのにはコツがあるんすよ」
そう言って若者は、取り出した袋の中の粉を、泥にパパっと軽く撒いた。
「こうしといて、足を素早くバシッ!と強く踏みつける!」
言いながら、その泥の上にバシッ!と強く踏みつけた。
「凄いですぅ! 加減したふうもないのに、足が泥に沈み込みません! どうやったんですかぁ?」
モアは目を見張ってその泥に指を差し入れ、ちゃんと泥である事を再確認した。
「いや、だからこの粉をっすね……」
若者はもう一度同じ説明をさせられた。
「ふむふむ。水分を含んだ泥炭にこの粉が混ざることで、強い衝撃を受けた瞬間だけ、中のツブツブがギュッと噛み合って、一瞬だけ岩みたいにカチコチになると……なるほど! つまりダイラタンシー効果の応用ですかぁ~!!」
「ダイ……? いやそれは知らねえっすけど、これで足を止めずにバシッ!バシッ!と強く踏みつけりゃ、沈まずに泥の上を走っていけるってわけっす。俺たちは『泥走り』って呼んでるんすけど、泥の中を急いでいかないといけない時とか、多いっすから」
「なるほど、現場の知恵ですねぇ~。とりあえず私もやってみますよ〜」
モアは教わった通り、足元に粉末を軽く撒くと、ポンと跳ね上がって泥の上へバシッ!と勢いよく足を叩きつけた。教わって初めてやる事なのに、動作に全く躊躇がない思い切りの良さは、さすがノア・モアといったところか。
バシィンッ!
泥が跳ね返るどころか、一瞬だけ固い岩盤のような手応えが返り、モアの身体が弾むように前へ進んだ。
「きゃ〜っ! 本当です〜! カチカチになりますよ〜!」
モアは目を輝かせると、バシッ!バシッ!とリズミカルに泥を踏みつけ、まるで氷の上を滑るかのように泥炭層の上をすいすいと跳ね回ってみせた。
「うわわっ……!! 一回教えただけでコツ掴んじまいやがった……! お姉さん、めちゃくちゃカンいいっすね……!!」
驚いて呆気にとられる若者に、モアはニコニコと手を振った。
「ふふ〜ん♪ これならカギ探しもサクサク進みますね〜! お兄さん、教えてくれてありがとうございます〜!」
モアは体得した『泥走り』の極意に大喜びしながら、軽快な足取りで警備隊長の執務室へと向かって駆けていくのであった。
2
すっかりマフィアたちの拠点と化した『第十四集会所』では――マフィアが新採掘区画から持ち帰った物証をそこらへんの机に放り投げて、スラムの住民たちへの世話焼きを行っていた。
「あら嫌だわ! アンタたち、そんなガリガリに痩せ細って! こんな湿気と毒煙だらけの場所で、毎日ちゃんとご飯食べてんの!?」
集会所の土間にどっかりと座り込んだソフィア・マフィアは、持ち前の「お節介なおばちゃん」の本領を全開にさせていた。
ポケットや馬蜘蛛のサイドバスケットから、発酵果実の煎餅や塩漬け干し肉を容赦なく引っ張り出し、周囲に集まったおばちゃん労働者や子供たちの手へ「ほら持ちなさい! 遠慮しないで食べなさいな!」と力ずくで押し付けていく。
「こんなドブ底に押し込められて、上にいる肥え太った役人どもに美味いもん全部吸い取られてるなんて、ほんと腹が立つわねぇ! 食わないと戦えないんだから、しっかり噛んで飲み込みなさい!」
「あ、ありがとうごぜえます、お嬢様……!」
「こんな上等の肉、何年ぶりだろうか……!」
手拭いで涙を拭うおばちゃん労働者たち。マフィアの図々しくも温かい世話焼きに、住民たちもすっかり毒気を抜かれて心を許していた。
そこへ、片目のトム爺さんが、かつてないほど引きつった険しい顔で駆け込んできた。
「――おい、お嬢さん方。呑気に肉を食ってる場合じゃなくなったぞ」
「あら、どうしたのトム爺さん? 怖い顔して」
トム爺さんは周囲を警戒するように声を低め、恐ろしい裏情報を吐き捨てた。
「上層の警備兵の伝令から聞き出した……。ガルドスの奴、近いうちにこの旧・第7採掘区画の排水バルブを全開にして、泥炭ガスと高熱蒸気を一気に逆流させて……ワシら労働者もスラムもろとも吹き飛ばし、『不運な事故』に見せかけて証拠隠滅するつもりだ!!」
「「「なっ……!??!」」」
集会所にいた労働者たちから、悲鳴と絶望のどよめきが上がった。
「爆殺……!? この地下にいる何千人もの人間を、丸ごと爆発で吹き飛ばして泥の中に沈めるっていうの!?」
マフィアが立ち上がり、怒りで拳を激しく握りしめた。
「な、なんでそんなことを?」
いきなり殺されると聞かされて、労働者たちの間から戸惑いの声があがる。
「決まってるでしょ、自分だけ助かりたいからよ! 横領やら密売やらがバレそうだってんで、あのタヌキオヤジ、頭がパーになっちゃってんの。アンタたちがここで生きて泥塗れになってること自体が、奴の悪事の『動かぬ証拠』なのよ! だからスラムごと爆破して事故に見せかけて、証拠隠滅しようとしてんの。……ったく! 散々使い潰しておいて最後は爆殺だなんて……許せないわ! あたしがあの脂ギッシュなタヌキの尻からこの鉄日傘を突っ込んで開け閉めしてやるわ!」
「落ち着きなさい、マフィア。そして鉄日傘の開け閉めしてその下品な刑を執行するイメージトレーニングを止めなさい」
マフィアのどこまで本気かよく分からない怒気を受け止め、静かに制しながらツッコミを入れたのは、最奥で机に向かっていたミリア・シリアであった。
3
シリアの前の机には、マフィアが持ち帰った『作業日誌』に加え、スラムの廃棄場から集められたシュレッダー状の裁断紙片や公文書の束が山と積まれていた。
シリアは透き通る白濁眼を伏せたまま、一切の視覚に頼ることなく、指先の恐ろしい超鋭感だけで紙片の表面を滑らせていた。そのシリアの動きが、ピタリと止まるのを見計らって、マフィアが近付く。
「シリアちゃん、アンタずっと紙を触ってたけど、何か分かったの?」
「はい。パズルのピースが全てハマりました」
シリアは能面のポーカーフェイスを一切崩さず、指先を紙の裏面に滑らせながら淡々と解説した。
「紙の表面のインクは削ぎ落とされておりますが、文字を執筆する際の『筆圧による紙繊維の凹凸となぞり傷』は、紙の深層に100%保持されています。私の指先の触覚プロファイリングにより、廃棄文書の裏面から元の数値を復元いたしました」
「紙の凹凸を指で触っただけで、書いてあった文字が読めちゃうの……? 相変わらず変態的な指先ねぇ……」
マフィアが感心と呆れが混じった声を漏らす。
「私の類まれなる見事な手腕を卑猥な言い回しで貶めるのは止めていただきましょうか」
シリアは冷徹な声で続けた。
「復元されたデータにより、精錬総監ガルドス・ボルドーによる『泥炭採掘費用の公金横領(総額四百二十万銅貨)』、および『他国への偽造印章の密輸ルート』の正確な口座番号、取引日時、受取人の署名が完全に特定されました。……マフィアが押収した『作業日誌』と合わせることで、ガルドスの罪状は100%立証されます」
「あらやだ! すごいじゃないの、シリアちゃん!」
「ですが、我々がこの地下でどれほど決定的な証拠を持っていようと、上がスラムごと爆殺を図ればすべて無に帰します。……故に、審議機関への『即時告発』が必要です」
シリアは胸元から取り出した薄い羊皮紙――撥水加工が施された丈夫な『薄革』をテーブルの上に広げた。そして、長銀ステッキの先端から微細な金属針を露出させると、寸分の狂いもない正確な動作で、薄革の表面に文字を刻み込み始めた。
『カリカリカリ……カリカリカリ……』
静かな刻印音が響く。
シリアは官僚としての完璧な書式に従い、ガルドスの全悪事と証拠の所在を、薄革の上に精密な点刻文字として刻み込んでいったのだ。
「……なぁ、シリアのお嬢さん。だが、実物の帳簿や日誌を一緒には送れねえんだろう? ただの手紙で上のお偉いさんが信じて動いてくれるもんかね?」
トム爺さんの当然の疑問に対し、シリアは能面のまま口元を微かに弛ませた。
「問題ありません。相手を100%動かすための『三重のロジック』を仕込んであります」
シリアは淡々と説明を重ねた。
「第一に、ガルドスと密売相手しか知り得ない極秘の『裏口座番号』および『未精製樹脂の化学成分比率』を詳細に記載いたしました。この数値の具体性だけで、単なるイタズラや狂言の可能性はゼロに否定されます。第二に、マフィアが押収した未精製樹脂から『黒紫色の樹脂結晶の微粒子』を数粒、この密封筒に同封いたします。公的に存在しないはずの危険物質の現物です。 そして第三に……プラティア中央評議会の『緊急監査暗号様式』に従い、本告発を放置してスラム爆発事故が発生した場合、監察局自身の『監督責任怠慢』を評議会全体で追及する旨を明記いたしました」
「なるほどねぇ……! 監察局の役人どもは、自分の保身と手柄のために、飛んで来ざるを得ないってわけね!」
マフィアがパンッと手を叩く。
「はい。実物の二重帳簿と現場証拠は査察時に渡す旨を添えれば、彼らは即座に調査隊を派兵します」
4
「しかしなあ、シリアのお嬢さん……こんな地下深くから、どうやって上の監察局までその手紙を届けるつもりだ? 昇降機は止められてるし、ワシらが上で渡すわけにもいかんぞ」
トム爺さんが眉をひそめて問うと、シリアは静かに天井の換気竪坑を見上げた。
しゅううぅぅーーーるるるるる!!
集会所の天井に開いた太い竪坑の暗がりの中で、目にも留まらぬ超高速の「影」が、円を描いて旋回していた。
空気を引き裂く静かな風切り音。
ガルプ王国が誇る、情報伝達のためだけに品種改良された足のない鳥――『伝書隼』である。
「あらあら! 隼ちゃんね!」
マフィアが、ニコニコしながら乾いた肉の小粒を取り出し、手のひらに載せて上空へ掲げた。
シュバッ!!
矢よりも速く、砲弾に迫る圧倒的なスピードで急降下してきた伝書隼が、一瞬の減衰もなくマフィアの手元すれすれでピタリと旋回し、掬う形にした両手の中に、静かに着地した。
生まれつき足を持たず、一度飛び立てば目的地へ着くまで羽を休めることもできない鳥。 その丸く滑らかな胴体には、足がない代わりに革ベルトでしっかりと固定された黒鉄の『胴体背負い筒』が備え付けられていた。
「よしよし、お腹空いてたのね。えらいえらい」
マフィアが手際よく隼に餌を与え、その頭を撫でてやる。
シリアが薄革をくるくると手際よく丸め、樹脂の微粒子とともに耐水蝋の被膜でしっかりと密封した。
「刻印およびサンプル同封、完了いたしました」
指先の手慣れた所作で、マフィアが保持する伝書隼の背中――『胴体背負い筒』にセットされた金属筒のキャップを外し、その中へ寸分の狂いもなく装填した。
『カチッ』と強固なロック音が響く。
「宛先は『プラティア中央評議会・監察局』。……ガルドスの自爆工作が実行される前に、上層の最高機関へ直接この証拠を叩きつけます」
シリアが能面のまま、伝書隼の胴体をそっと両手で包み込んだ。
「行きなさい。……一刻の猶予もありません」
とシリアが手を離した次の瞬間━━━
ドドォォンッッ―――!!!!
大気を激しく振動させ、音速を超える衝撃波の音が縦穴全体に響き渡った。
伝書隼は、まさに「一射の鋼鉄の弾丸」と化して跳ね上がり、暗い換気竪坑の垂直孔を、目にも留まらぬ光の筋となって一瞬で駆け上っていった。
あまりの速度に、縦穴に残された白煙の渦が、遅れて「ズシューッ!」と激しい風圧を巻き起こす。
「……相変わらずとんでもないスピードねぇ……!」
マフィアがフリルコートの袖で風圧を遮りながら、感嘆の声を上げた。
「……送信完了です。これより中央評議会監察局への到達まで、推定三分四二秒。……ガルドス総監の退路は完全に塞がれました」
シリアが長銀ステッキを『コツン』と鳴らし、能面のポーカーフェイスの裏で、静かな勝利のロジックを完成させた。
「よしっ! 証拠の射出はバッチリね!」
マフィアがフリル日傘をポンと肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべた。
「ふえ~、こいつは驚れぇた。あのものすげえ鳥がお嬢さんの手紙を運んでくれんのかい。だが、監察局にはガルプ王国の出張所なんてねえだろ。あれは、どうやって監察局の人間に手紙を渡すんだ?」
「心配は無用です。伝書隼の受け取り手が存在しない場合は、伝書隼は目標に向かって『胴体背負い筒』の金属筒を射出します。伝書隼のスピードが乗った金属筒ですので、薄い壁くらいなら簡単に貫通します」
「お……おめぇ、そりゃあ……ちょっとしたテロじゃねえか……」
トム爺さんは額に手をやって絶句した。




