エピローグ
激動の事件から明けた翌日。
三人はプラティアの宿で一泊し、昼近くまで泥のようにぐっすりと眠りこくっていた。
すっかり整備されたプラティアの西口関門。
暑くなりはじめた昼前の陽光が降り注ぐなか、シリアとモアはすっかり元気を取り戻した愛馬――馬蜘蛛(シュティル、ソノラ)たちの背に跨がり、出立の準備を整えていた。
マフィアの愛馬──馬蜘蛛は主人が戻ってくるのを大人しく待っている。
「ちょっとちょっと。聞いてきたわよ」
そこへマフィアが軽快な足取りで戻ってくるなり、声を弾ませた。
「何を聞いてきたのですか?」
シリアが手綱を握りながら首を傾げる。
「あのガルドスってヤツの顛末よ」
「ガルドスって誰ですかぁ~」
モアがあくび混じりに聞いてきた。
「やあねえ。騙されんぞのおじさんじゃない」
「ああ~、そんな名前だったんですね~」
「顛末も何も、まだ裁判も始まっていないのでは?」
「だからそーじゃなくて、裁判で刑が確定した後の話よ」
「マフィア、会話の時系列が破綻しています。記憶の混乱は強いストレスや深刻な睡眠不足、アルコールや薬物の影響、低血糖、脱水、高熱、認知症や脳血管障害、頭部外傷や脳震盪などで引き起こされます」
「診断しようとするんじゃないわよ! そうじゃなくて、ガルドスの隠し財産なんだけどね、数百万銅貨にも上るんですって。それでね、それらが差し押さえられた後には、例のスラムの労働者たちの地上移住費や生活再建資金として全額分配されることになるらしいのよ」
「ほ~。それは朗報ですね~」
「ちょっと待ちなさい。裁判も始まってないのに、どうしてそんな事が分かるんですか」
「いやだから、たぶんそうなるだろうって、昨日現地にいた監査官のお兄さんが」
シリアはそれを聞いて、ふっと微笑んだ。
「なるほど、それは貴重なノイズ情報をありがとうございます。しかしそういう類いの話なら、私もひとつ、朗報と呼ぶべき良い話をもっています」
「あらやだ、朗報ですって!? いやだわ、そんなイイ話があるなら真っ先に言いなさいよ! なにシレっと溜めてんの、やだわぁもう。で、なになに? どーゆーお話なのよ?」
マフィアが身を乗り出して食いついた。
「ガルドスは公金横領や密売のみならず、総監の座に就く過程において、多数の労働者を過酷な違法環境へ投じ、冤罪の捏造、ならびに政敵への暗殺者手配など、夥しい数の非道を重ねたと記録されています。結果として彼に深甚な怨恨を抱き、反乱に組した者も多く……その大半が現在、プラティア中央大監獄に収監されているわけです」
そこでシリアは、ピタリと言葉を途切れさせた。
マフィアは聞く体勢になって、シリアが続きを話し出すのを待っている。
だがシリアは、もう言うべき事は全て言い切ったという顔をして、沈黙を守っていた。
「……え、ちょっと待ちなさいよ。そこで終わり? やあねぇ、アンタそれのどこが朗報なのよう」
「おや、ご理解いただけませんか? 万一、彼が死刑を免れた場合、待ち受けているのはその怨念渦巻く大監獄への収監です。すなわち、彼に恨みを抱く者たちが、自らの手で直接的に手を下せる機会が得られるわけです。朗報でしょう?」
どこを見ているか分からない白濁眼のまま、シリアはニコリと微笑んだ。
マフィアは「うわぁ~」と顔を歪めて、少し身を引いた。
「なるほど〜、監獄の同窓会が極上の地獄になるわけですね〜」
モアが呑気になにげに韻を踏んでコメントを挟む。
「アンタ韻を踏んで喜んでるけど、笑って言う事じゃないからね、それ」
「さて、流言飛語の流布はそれくらいにして、そろそろ出発しますよ」
シリアが手綱をクイッと軽く引くと、シュティルが心得たように常歩で前進を始める。
大きく伸びをするモアを背に乗せたソノラは、脚をトントンと楽しげに鳴らすと、乗り手の意向を伺う事もせずに、勝手にシュティルの後を追い始めた。
「え、もう出発するの? お昼ご飯まだ食べてないわよ?!」
「キュイ」と可愛らしく鳴くボナに早く乗れと催促されて、マフィアも慌ててその背に飛び乗った。
「何を言ってるのですか、マフィア。お昼ご飯はさっき食べたでしょう」
「食べてないわよ! なにシレっと、人をおばあちゃん扱いしようとしてんのよ。あたしはおばあちゃんじゃなくて、お・ば・さ・ん。永遠の三十七歳よ」
「ほえ~、マフィアさんの設定年齢、初めて聞きました~。でもさすがにそれはちょっと、ムリがありませんか~?」
「マフィア、あまり現場を混乱させるような事を言わないように。あなたまだ十八歳でしょう」
「実年齢は関係ないの! 心意気の問題よ」
「実年齢で統一してください」
「西はたしか、アンダルシア琥珀砂漠首長国でしたね~。えーっと...…っと、西って、こっちで合ってます? 」
「合ってます。ほら、ごらんなさい。あれがアンダルシア琥珀砂漠首長国です」
「アンタそんなわけないでしょう! あたしたちさっきようやく入国したばっかりよ。どんだけ国土狭いのよ、プラティア」
「西って……お箸を持つ方でしたっけ?」
「アンタはもう、東西南北を語るの禁止ね。いいわね?」
「え~、なんでですか~」
視線を上げれば、背後に佇むプラティアの重厚な黒鉄関門が少しずつ小さく遠ざかり、真っ直ぐに伸びる街道の左右には、切り出された黒い泥炭層が覗く湿原、そして石組みの排水路が広がっていた。
右手を見れば泥炭がうずたかく積み上げられた作業場跡や遠く霞む精錬所の煙突群。
左手には水気を多く含んだ低い灌木林と一定間隔で立つ黒鉄製の道標。
プラティア特有の少し湿った風を感じながら、三頭の馬蜘蛛たちがリズミカルに八本の脚を鳴らし、のんびりと街道に影を落として進んでいく。
マフィアの賑やかな叫び声と、シリアの冷静なツッコミ、そしてモアの笑い声が、青空の下の街道にどこまでも響き渡っていくのであった。




