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第七十一話 ガレオンへの手紙

粗末な紙を前に、ユリオは、しばらくの間、ペンを構えたまま動けずにいた。


 伝えたいことは、山のようにあった。それなのに、いざ書き出そうとすると、どの言葉も、うまく形にならない。


(前に送った時は、こんなに悩まなかったんだけどな)


 最初の手紙は、王都に着いたばかりの、右も左も分からない戸惑いを、ただそのまま書き殴っただけのものだった。今は、あの頃とは違う。積み重なった月日の分だけ、伝えるべきことも、伝えたい想いも、複雑に絡み合っていた。


 ユリオは、一度、大きく息を吐いてから、改めてペンを走らせ始めた。


   ◇


 ペンを取る前、ふと、脳裏をよぎった光景があった。


 村を発つ前夜、丘の上の小屋で、ガレオンと交わした、最後の稽古の記憶だった。あの日も、ガレオンは、多くを語らなかった。ただ、いつものように、素振りの型を一つ、丁寧に見せてくれただけだった。


「型ってのは、いくら覚えても、それだけじゃ意味がない」


 あの時、ガレオンは、そう言っていた。


「大事なのは、型の奥にある理屈を、自分の頭と体で、掴み取ることだ。誰かに教わったことをなぞるだけじゃ、いつまで経っても、本当の意味では、強くなれねえ」


 当時のユリオには、その言葉の真意が、まだよく分かっていなかった。ただ、王都に来て、様々な出来事を経験する中で、その言葉の重みが、少しずつ、腑に落ち始めていた。


(爺さんの言う「理屈」ってのは、こういうことだったのかもな)


 待機の日々もまた、ただ耐え忍ぶだけの時間ではないのかもしれない。この焦りや苛立ちの奥にある「理屈」を、自分自身で掴み取ること――それこそが、今の自分に課された、目に見えない稽古なのかもしれない。そんな考えが、ふと、頭をよぎった。


 その気づきを、そのまま言葉にして、ガレオンに伝えたい。ユリオは、そう思った。


   ◇


「爺さんへ


 だいぶ間が空いちまった。元気にしてるか。ミラも、村のみんなも、変わりないか。


 こっちは、相変わらず、代わり映えのない毎日だ。朝晩、体を動かして、あとは、ひたすら待つだけ。前に送った手紙の頃と比べても、正直、状況はそんなに変わってない」


 書きながら、ユリオは、これまでの日々を、頭の中で辿り直していた。


「けど、周りは、どんどん前に進んでる。リィナは、機密指定の記録を暴くために、危ない橋を渡り続けてる。カイエルなんて、家族とまで正面からぶつかって、それでも、自分の信念を曲げなかった。あいつが、あそこまで変わるとは、正直、思ってもみなかった」


 ペン先を走らせながら、ユリオの脳裏に、カイエルの父との対話を聞いた時の光景が、蘇っていた。あの男が、かつての「紋こそが絶対」という思想から、ここまで遠く歩みを進めていたことに、素直な驚きと、ある種の敬意を覚えていた自分がいた。


   ◇


「正直に言うと、ちょっと焦ってる。いや、ちょっとどころじゃないかもしれない」


 その一文を書いた時、ユリオの手は、一瞬、止まった。誰かに弱音を吐くことに、慣れていなかった。それでも、相手がガレオンなら――あの老爺になら、飾らない本音を、そのまま届けてもいい。そんな気がした。


「俺だけが、何もできてない気がする。灰色の紋を持つ俺が、下手に動けば、それだけで反対派とかいう連中に目をつけられる。頭では分かってる。でも、それでも、こうして何もせずに、ただ日々が過ぎていくのが、たまらなく歯痒い」


 書き進めるうちに、これまで胸の奥に押し込めてきた感情が、堰を切ったように、言葉になって溢れ出してきた。


「爺さんが、いつも言ってたよな。『基礎を疎かにするな』って。今の俺は、その基礎すら、ちゃんと積めてるのかどうか、自信が持てない。剣は、毎日振ってる。だけど、この待機の日々に、本当に意味があるのか、正直、分からなくなる時がある」


   ◇


 ふと、ユリオの手が止まった。窓の外に目をやると、王都の夜空が、静かに広がっていた。


(爺さんなら、今の俺に、何て言うだろうな)


 村を発つ前、最後に交わした言葉を、ユリオは思い出していた。「基礎の意味」を説きながらも、多くを語らずにいたガレオン。それでも、その眼差しの奥には、いつも確かな信頼があった。何も言わずとも、見守ってくれている――そんな安心感が、あの老爺には、いつもあった。


 ユリオは、再びペンを取ると、少し違う調子で、続きを書き始めた。


「けど、な。ロトを見てると、少し、考えが変わる時もある。あいつ、光の力に戸惑って、教会からの勧誘も断って、それでも、少しずつ、自分の力の使い方を、自分の意志で選び取ろうとしてる。あんな小さい子が、そこまで腹を括れてるのに、俺がいつまでもうじうじしてちゃ、格好つかねえよな」


 書きながら、ユリオの口元に、自然と小さな笑みが浮かんだ。


「ガイっていう、カイエルの家の若い剣士とも、ちょくちょく稽古つけてもらってる。爺さんほど厳しくはないけど、なかなか骨のあるやつだ。今度、機会があったら、爺さんにも紹介したいな」


   ◇


「エルフの集落で聞いた話、覚えてるか。俺の力に、古い呼び名があるらしいって話。あれから、もう三回も、あの力が発動した。国境の町での夜襲の時、また死にかけて、また、気づいたら助かってた」


 その一文を書きながら、ユリオは、無意識のうちに、自分の胸元に手を当てていた。三度目の発動は、これまでよりも、わずかに長い空白があったという。その意味を、まだ、誰も解き明かせていない。


「正体不明のまま、こんな力を抱えたまま、この先、どうなっていくのか。正直、怖くないと言えば嘘になる。それでも――逃げるつもりはない。爺さんが、俺に基礎ばかり叩き込んだのには、きっと理由があったんだよな。色に頼る技を、あえて教えなかった理由が」


 ペンを持つ手に、自然と力がこもった。


「いつか、その理由を、ちゃんと聞かせてくれよな。俺も、その時までに、少しでも、爺さんに認めてもらえるような男になっておく」


 ペンを置く前に、ユリオは、もう一つだけ、書き加えることにした。


「そういえば、リィナのことも、少し書いておく。あいつ、鑑定院を相手に、正面から戦い続けてる。何度も壁にぶつかって、それでも、諦めるそぶりを見せない。時々、無理してねえかって、心配になる時もある。


 あいつがいなかったら、俺は、たぶん今も、村の外の世界を知らないままだった。あいつが、俺の紋のことを気にかけて、声をかけてくれたから、今の俺がある。柄にもなく、そんなことを思う時がある」


 書き終えた文面を、ユリオは、少し気恥ずかしい気持ちで、読み返した。それでも、消すつもりはなかった。今の自分の、偽らざる気持ちだった。


   ◇


 最後に、ユリオは、少し迷った末、こう書き加えた。


「王都は、色々あって、正直、疲れることも多い。でも、リィナも、カイエルも、ロトも、ガイも――ここには、俺を支えてくれる人たちが、ちゃんといる。だから、心配はいらねえよ。


 いつか、必ず、村に帰る。その時は、また、爺さんの飯が食いたい。稽古終わりに、たまに振る舞ってくれた、あの、いつも通り味の薄い、粗末な野菜スープでいいから。


 じゃあな。返事、待ってる」


 筆を置いたユリオは、しばらくの間、書き上げた手紙を、じっと見つめていた。


 一度目の手紙よりも、遥かに長く、そして、遥かに多くの本音が詰まった手紙になっていた。それでも、不思議と、恥ずかしさは感じなかった。


   ◇


 翌朝、ユリオは、長屋の大家に頼んで、手紙を村へと届けてもらう手筈を整えた。


「辺境の村までとなると、馬継ぎの早便でも、二週間近くはかかりますよ」


「構わねえよ。頼む」


 手紙を託した瞬間、ユリオの胸の中に、これまでとは少し違う、静かな落ち着きが広がっていた。焦りや苛立ちが、完全に消えたわけではない。それでも、想いを言葉にして誰かに届けるという行為そのものが、これほどまでに、心を軽くしてくれるものだとは、思っていなかった。


「よし」


 小さく呟いて、ユリオは、朝の光の中へと、一歩を踏み出した。


   ◇


 裏長屋に戻ると、ロトが、朝の読み書きの練習をしていた。


「ユリオさん、どこか行ってたんですか」


「ああ。爺さんに、手紙を出してきた」


「この間の手紙とは、別のですか?」


「そうだ。今度のは、ちゃんと、色々書いた」


 ロトは、興味深そうに、ユリオの顔を覗き込んだ。


「どんなこと、書いたんですか」


「秘密だ」


 ユリオは、そう言って、少し照れくさそうに笑った。ロトは、それ以上、深くは聞いてこなかった。ただ、どこか安心したような表情で、小さく頷いた。


「返事、楽しみですね」


「ああ。返事が来るまで、早くても一月はかかるらしいけどな」


「待つのも、悪いことばかりじゃないですよ。僕も、字の練習、続けます」


 その言葉に、ユリオは、小さく頷いた。


 待つことしかできない日々。それでも、その中で、自分に出来ることを、一つずつ積み重ねていく。ロトの真っ直ぐな姿勢が、そのことを、改めて教えてくれているようだった。


 狭い裏長屋の外には、いつもと変わらない、王都の喧騒が広がっていた。それでも、今日のユリオの足取りは、心なしか、いつもより軽やかだった。

お読みいただき、ありがとうございます。

「巡り紋」は毎日更新予定です。

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