第六十六話 反対派
監視の気配を感じるようになってから、リィナは、これまで以上に、慎重な行動を心がけていた。それでも、真実に近づく歩みを、止めるつもりはなかった。
「フェルドさんから、伝言よ」
ある朝、宿に届けられた、一見なんの変哲もない手紙。だが、その中には、暗号めいた符丁が、密かに記されていた。
「これは……?」
カイエルが、その手紙を検分しながら尋ねた。
「フェルドさんと、事前に決めておいた、緊急連絡用の符丁よ。会って話したいことがある、という意味だわ」
リィナの説明に、カイエルは、緊張した面持ちで頷いた。
◇
指定された、目立たない場所――王都郊外の、古い礼拝堂。既に使われなくなって久しいその建物は、蔦に覆われ、静寂に包まれていた。そこで、リィナとカイエルは、フェルドと落ち合った。
「わざわざ、こんな場所まで」
カイエルの言葉に、フェルドは、周囲を警戒しながら答えた。
「用心に越したことはない。それに、伝えねばならないことがある」
朽ちかけた長椅子に腰を下ろしながら、フェルドは、疲労の色を隠せない様子で、話を続けた。
「ここ数日、危険を承知で、色々と探りを入れてみた」
「大丈夫だったのですか」
リィナの心配そうな問いに、フェルドは、小さく笑った。
「まだ、こうして生きている。それが、答えだろう」
その真剣な様子に、二人は、揃って居住まいを正した。
「例の件、少し調べを進めた。反対派の中心人物が、ようやく見えてきた」
その報告に、リィナとカイエルは、思わず息を呑んだ。
◇
「鑑定院上級顧問、ヴォルガー・ライネン」
フェルドが、その名を告げた。
「上級顧問……随分と、上の立場の方ですね」
「ああ。鑑定院創設当初から、上層部の一角を占めてきた人物だ。制度の運用に関して、絶大な発言力を持っている」
その説明に、カイエルは、険しい表情を浮かべた。
「その人物が、なぜ、隠蔽に関わっていると?」
「三十年前――ちょうど、旧ヴェルニア領の崩壊があった時期、ヴォルガーは、当時の鑑定院内で、機密記録の管理を一手に担う立場にいた」
フェルドの説明に、リィナは、これまでの断片的な情報が、一つの線として繋がっていくのを感じた。
「彼が、あの記録を、機密指定にした張本人、ということですか」
「その可能性が高い。そして、それ以降も、彼の影響力は、衰えるどころか、むしろ強まり続けている」
「今の彼の立場は、具体的には?」
カイエルの問いに、フェルドは、深く息を吐いた。
「表向きは、制度運用に関する助言を行う、名誉職に近い立場だ。だが、実際には、鑑定院内部の様々な決定に、隠然たる影響力を及ぼしている。特に、機密指定の可否を決める委員会には、彼の意向が、色濃く反映されると言われている」
「つまり、あの開示請求が却下されたのも……」
「ヴォルガーの意向が働いていた可能性が、極めて高い」
その結論に、リィナとカイエルは、揃って重い沈黙に沈んだ。
「それと、忘れるな。相手は、ヴォルガー一人ではない」
フェルドは、声を、一段、低くした。
「あの男の周りには、同じ考えを持つ職員たちが、一つの派閥として、集まりつつある。院の内部では、彼らを、制度への疑義を封じる『反対派』と、密かに呼ぶ者もいる。敵は、一人の老人じゃない。一つの、勢力だ」
反対派――その言葉の重い響きに、リィナは、自分たちが挑もうとしている相手の、根の深さを、改めて、思い知らされていた。
◇
「なぜ、彼は、これほどまでに、この件を隠そうとするのでしょうか」
リィナの疑問に、フェルドは、重々しく答えた。
「想像でしかないが……制度そのものの正当性が揺らげば、彼自身の、これまでの功績も、大きく損なわれることになる。彼は、鑑定紋制度の運用を、長年にわたって主導してきた人物だ。その根幹に疑問符がつくことを、何よりも恐れているのだろう」
「保身のため、ということですか」
「それだけではないかもしれん。彼なりに、秩序を守ることこそが正義だと、心から信じている可能性もある」
その分析に、カイエルは、複雑な表情を浮かべた。
「その理屈は、以前の私にも、通じるところがある」
その自嘲めいた言葉に、リィナは、静かにカイエルを見つめた。
「でも、あなたは、変わったわ」
「ああ。だからこそ、ヴォルガーという人物の考えが、痛いほど理解できてしまう。同時に、それが、いかに危険な思想であるかも」
カイエルは、拳を強く握りしめながら、続けた。
「秩序を守るという大義名分の下で、真実を隠し、一人の人間の存在そのものを、なかったことにする。それは、私がかつて信じていた在り方の、最も歪んだ延長線上にあるものかもしれない」
その自省の言葉に、フェルドは、静かに頷いた。
「その気づきこそが、お前を、ヴォルガーとは違う道へと導く力になるはずだ」
その言葉に、カイエルは、確かな決意を新たにした。
◇
「これから、どうすればいいでしょうか」
リィナの問いに、フェルドは、しばらく考え込んだ。
「正面から対峙するのは、時期尚早だ。ヴォルガーの権力基盤は、想像以上に強固だ。生半可な証拠では、返り討ちに遭う可能性が高い」
「では……」
「まずは、さらに証拠を固めることだ。彼が、具体的にどのような形で、隠蔽に関与してきたのか。その決定的な証拠を、掴む必要がある」
その方針に、リィナとカイエルは、揃って頷いた。
「危険な相手だ。慎重に、だが着実に進めよう」
フェルドの言葉を胸に、三人は、これから続く、より困難な戦いへの覚悟を、改めて固めていった。
◇
宿に戻った二人は、この日得た情報を、ユリオとロトに報告した。
「ヴォルガー・ライネン、か」
ユリオが、その名を、口の中で繰り返した。
「ああ。恐らく、この一連の隠蔽の、中心にいる人物だ」
カイエルの説明に、ユリオは、拳を握りしめた。
「そいつが、全部隠してきたってことか」
「断定はできない。だが、その可能性は、極めて高い」
その報告に、ユリオの中で、これまで漠然としていた「敵」の輪郭が、ようやく、明確な形を持ち始めていた。
「これから、どうするんだ」
「証拠を固める。時間はかかるだろうが、それが、最も確実な道だ」
カイエルの言葉に、ユリオは、静かに頷いた。焦る気持ちはあった。それでも、これまでの旅で学んできた、粘り強さの大切さを、改めて胸に刻みながら。
「ヴォルガーって奴、どんな見た目なんだ」
ふと、ユリオが尋ねた。
「言葉を交わしたことは、まだない。鑑定院の廊下で、遠目に姿を見かけた程度だ。白髪交じりの、鋭い眼光の老人だ。物腰こそ丁寧だと聞くが、格式張った、近寄りがたい雰囲気を纏っていた」
カイエルの説明に、ユリオは、眉をひそめた。
「そんな奴が、裏で色々隠してるってことか」
「見た目や、表向きの評判だけでは、人の本質は測れない。それは、お前が、誰よりもよく知っていることだろう」
カイエルの言葉に、ユリオは、静かに頷いた。灰色の紋を持ちながら、誰よりも確かな強さを持つ自分自身の経験と、重なるものがあった。
「その人が、本当の敵、ってことだな」
「ああ、その可能性が高い」
その確認に、ロトも、真剣な面持ちで耳を傾けていた。
「僕たちも、気をつけないといけませんね」
「ああ、その通りだ」
カイエルの言葉に、その場にいた全員が、改めて、これから続く戦いへの覚悟を、確かに固めていった。
見えなかった敵の輪郭が、少しずつ、明らかになっていく。それは、確かな前進であると同時に、これから待ち受けるであろう、より大きな困難への予兆でもあった。
窓の外に広がる、王都の夜景を見つめながら、ユリオは、この静かな、しかし確実な戦いの行く末に、想いを馳せていた。
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