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第六十三話 制度の設計者

薄暗い書庫の中、リィナは、震える手で、羊皮紙を読み進めていった。


「――鑑定紋制度、理論提供者に関する記録。以下、機密指定第一級」


 その書き出しに、三人は、揃って息を呑んだ。古びた羊皮紙は、長い年月を経て、端の方が黄ばみ、脆くなっていた。それでも、書き記された文字は、丁寧な筆致で、はっきりと読み取ることができた。


挿絵(By みてみん)


「提供者の氏名は、当機関の判断により、永久に非公開とする。これは、提供者本人の強い希望、および、当時の鑑定院上層部の判断による」


 その一文に、リィナは、思わず眉をひそめた。


「本人の希望、って……」


「先を読んでくれ」


 カイエルの促しに、リィナは、続きを読み上げた。


「提供者は、辺境の出身にして、生来、既存のいずれの分類にも当てはまらない、特異な紋を有していたとされる。その事実は、理論の信憑性に関わるため、当時、慎重に伏せられた」


「特異な紋……色を持たない、ってことか」


 ユリオの言葉を思い出しながら、カイエルが呟いた。


「間違いないわ。エルフの伝承と、完全に一致している」


 リィナの声には、確信と、そして、拭いきれない緊張が滲んでいた。


 これまで、断片的にしか繋がっていなかった様々な情報――老司祭の手記、エルフの伝承、そして、この機密記録。それらが今、一つの線として、はっきりと結びついていく感覚があった。


   ◇


 さらに読み進めると、より具体的な記述が続いていた。


「提供者は、若くして理論を完成させ、当機関に提供した。その功績は、計り知れないものであったが、提供者自身の紋が、理論のいずれの分類にも当てはまらないという事実が、後に、内部で大きな議論を呼んだ」


「議論、というのは?」


 カイエルの問いに、リィナは、次の一文を読み上げた。


「一部の上層部は、提供者の存在そのものを、制度の正当性を揺るがしかねない、危険な要素と見做した。結果として、提供者に関する全ての記録は、機密指定の上、厳重に秘匿されることとなった」


 その記述に、リィナは、思わず拳を握りしめた。


「つまり……制度の設計者自身が、その制度によって、都合の悪い存在として、扱われていたということ?」


「そういうことになるな」


 カイエルの声にも、抑えきれない怒りが滲んでいた。


「渾身の理論を作り上げた本人が、その理論のせいで、まるで存在しなかったかのように、扱われていたというのか」


 その理不尽さに、三人は、しばらく、言葉を失っていた。


「先ほどの、『本人の強い希望』という一文が、気になるわ」


 リィナが、ふと、そう呟いた。


「もし、本当に本人の希望だったとしたら……彼自身が、自分の存在を、消し去りたいと望んだ、ということになる」


「それは、なぜだと思う」


 カイエルの問いに、リィナは、静かに考えを巡らせた。


「想像でしかないけれど……理論の正当性を守るためだったのかもしれない。自分という規格外の存在が表に出れば、せっかく作り上げた制度そのものが、疑いの目で見られてしまう。それを恐れたのかもしれないわ」


 その推測に、フェルドも、重々しく頷いた。


「もしそうだとすれば、悲しい話だな。自分の理想を守るために、自分自身の存在を、隠す道を選んだということか」


 その言葉が、書庫の静寂の中に、重く響いた。


 ふと、リィナは、記録の欄外に、当時の担当官のものらしい、小さな書き込みが残されているのに、気づいた。


「『提供者は、自らの紋について、観測上の誤差として扱い、理論の枠外に留め置くことを、自ら申し出た』……」


 リィナは、その走り書きを、食い入るように見つめた。


「自分で、自分を、誤差として、扱った……」


 理論のどの分類にも当てはまらない、自分自身の紋。それを、彼は、理論の欠陥としてではなく、「観測の誤差」として、枠の外へと、置いた。まるで、渾身の理論を守るために、自分の方が、静かに身を引くかのように。


「どこまでも、理論に、誠実な人だったのね……」


 その呟きには、会ったこともない、名も知らぬ理論家への、言葉にしがたい感情が滲んでいた。


   ◇


「まだ、続きがある」


 フェルドが、別の羊皮紙を取り出しながら、静かに告げた。


「これは……提供者の、その後についての記録だ」


 リィナが、震える手で、それを受け取った。


「提供者は、理論提供の後、しばらくして、当機関との関わりを絶った。以後の消息は、不明。ただし、約三十年前――旧ヴェルニア領において発生した大規模な災害との関連を、一部の関係者が指摘している」


 その一文に、リィナは、思わず声を漏らした。


「旧ヴェルニア領……」


「間違いない。あの若者の話と、繋がっている」


 カイエルの声にも、確信の色が濃くなっていた。


「この記録が示唆しているのは、制度の設計者こそが、後の"ゼルギア"だったということだろう」


 その結論に、書庫の中に、重い沈黙が満ちた。


 やがて、リィナは、その羊皮紙の末尾に、もう一つ、短い書き付けが添えられているのに、気づいた。当時、提供者と面識のあった職員の、証言の写しだった。


「『最後に会った頃の彼は、どこか、受け答えのおかしいところがあった。こちらが話している最中に、まるで既に聞き終えた話であるかのように、相槌の先を口にする。そのくせ、直前に交わしたばかりの約束は、ひどく曖昧にしか覚えていない。目の前にいるのに、目の前にいない――そんな男だった』」


「……どういう、意味かしら」


 リィナの呟きに、カイエルも、静かに、首を振った。


「分からん。積み重なった疲労か、それとも……いや、憶測はよそう」


 ただ、その短い証言だけが、なぜか、リィナの胸の奥に、小さな棘のように、残った。


   ◇


「肝心の、名前は、どこにも記されていないのですか」


 リィナが、フェルドに尋ねた。


「見当たらないな。恐らく、名前だけは、別の記録に、さらに厳重に秘匿されているのだろう」


「その記録は、どこに?」


「わからん。少なくとも、この書庫には、存在しないようだ」


 その答えに、リィナは、小さく息を吐いた。ここまで辿り着けたことは、確かに大きな前進だった。それでも、最後の、最も重要な一片――彼の名前だけは、まだ、闇の中に留まったままだった。


「これだけでも、十分な収穫だ」


 カイエルが、静かに言った。


「制度の設計者と、災厄の正体が、同一人物である可能性が、これで、ほぼ確実になった。この事実だけでも、鑑定院の隠蔽体質を、明確に示す証拠になる」


「ええ、その通りね」


 リィナは、羊皮紙を丁寧に書き写しながら、静かに頷いた。


   ◇


「そろそろ、時間だ」


 フェルドの声に、三人は、慌てて、記録を元の場所へと戻し始めた。


「痕跡を残すな。全て、来た時のままに」


 その指示に従い、三人は、慎重に、書庫内を整えていった。木箱の配置、羊皮紙の順番――全てを、細心の注意を払いながら、元通りに戻していく。


「これで、大丈夫でしょうか」


 リィナが、最後の確認をしながら尋ねた。


「ああ、問題ない。よく見なければ、誰かが立ち入った形跡には気づかないだろう」


 フェルドの言葉に、リィナは、安堵の息を吐いた。


「行くぞ」


 フェルドの合図で、三人は、来た道を、静かに引き返し始めた。緊張は、まだ解けていなかった。行きと同じように、足音を殺し、巡回の間隔を計算しながら、慎重に、書庫を後にした。


 裏口を出て、鍵を元通りに戻し終えた頃には、既に、東の空が、微かに白み始めていた。


「無事に、終わったな」


 フェルドの言葉に、リィナとカイエルは、揃って、深い安堵の息を吐いた。


「フェルドさん、本当に、ありがとうございました」


 リィナが、深々と頭を下げた。


「礼はいい。それより、今夜得た情報を、これからどう活かすか、それが肝心だ」


「ええ、その通りです」


 フェルドとは、その場で別れることになった。


「また、連絡する。今日のところは、ゆっくり休むといい」


 その言葉を最後に、フェルドは、闇に紛れるように、静かに去っていった。


   ◇


 宿へと戻る道すがら、リィナとカイエルは、それぞれ、この夜得た情報の重みを、改めて噛み締めていた。


「制度の設計者と、ゼルギアの正体が、同一人物である可能性――これは、想像以上に、大きな発見だったな」


 カイエルの言葉に、リィナは、深く頷いた。


「ええ。でも、まだ、彼の名前には辿り着けていない。それに、なぜ彼がそこまで追い詰められたのか、その詳しい経緯も、まだ全ては分かっていないわ」


「焦る必要はない。今夜だけでも、十分すぎるほどの前進だ」


 その言葉に、リィナは、静かに頷いた。空が、少しずつ、明るさを増していく中、二人は、宿への道を、確かな足取りで歩いていった。


 この夜得た真実は、これから先の展開を、大きく動かすことになる――その予感を、誰もが、確かに抱いていた。

お読みいただき、ありがとうございます。

「巡り紋」は毎日更新予定です。

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