第五十九話 ロトの選択
大聖堂での一件から数日、ロトの表情には、これまでとは違う、確かな落ち着きが宿るようになっていた。
「なんか、最近、吹っ切れた顔してるな」
朝食の席で、ユリオが、そう茶化すように言った。
「そうですか?」
「ああ。前より、堂々としてるっていうか」
その指摘に、ロトは、少し照れくさそうに笑った。
「自分で、ちゃんと選んだから、かもしれません」
その言葉には、確かな実感が込められていた。これまで、常に誰かに決められてきた人生。だが、大聖堂という、破格の待遇を提示された状況の中で、初めて、自分自身の意志で、進むべき道を選び取ることができた――その経験は、ロトにとって、何よりも大きな自信になったようだった。
「今日は、何をして過ごすの?」
リィナが、そう尋ねると、ロトは、少し考えるように首を傾げた。
「午前中は、いつも通り読み書きの練習をして、午後は……」
「午後は、俺と稽古な」
ユリオが、当然のように割り込んだ。
「稽古、ですか」
「ああ。前々から思ってたんだけど、ロトも、少しは体の使い方、覚えておいた方がいいと思ってさ」
その提案に、ロトは、目を輝かせた。
「教えてください!」
◇
その日の午後、ユリオは、ロトを連れて、久しぶりに、あの裏路地の稽古場へと向かった。
「今日は、ロトも一緒に、少し体動かしてみるか」
「僕もですか?」
「ああ。護身術くらいは、覚えておいて損はないだろ」
その提案に、ロトは、少し驚いた様子を見せたが、すぐに、真剣な表情で頷いた。
「教えてください」
簡単な構え方から、基本的な体捌きまで、ユリオは、自分がガレオンから教わってきたことを、丁寧に、ロトに伝えていった。
「もっと、力を抜いていいぞ。無理に力むと、逆に隙ができる」
「はい……こう、ですか?」
「そうそう、いい感じだ」
最初はぎこちなかったロトの動きも、繰り返すうちに、少しずつ、様になっていった。額に汗を滲ませながらも、その表情には、真剣な集中の色が浮かんでいた。
「筋がいいな、ロト」
「本当ですか?」
「ああ。爺さんに、俺が最初に教わった時よりも、断然、飲み込みが早い」
その褒め言葉に、ロトは、嬉しそうに笑顔を輝かせた。
その様子を、少し離れた場所から、ガイが、興味深そうに見守っていた。
「坊主が、誰かに教える立場になるとはな」
「変な感じだよ、正直」
「悪くない変化だと思うぞ」
その言葉に、ユリオは、少し照れくさそうに頭を掻いた。
◇
稽古を終え、汗を拭う二人に、ガイが、声をかけた。
「なあ、ロト。せっかくだから、俺からも一つ、教えといてやろう」
「なんですか?」
「光属性の扱い方についてだ。まだ本格的な修練はしていないだろうが、簡単な基礎くらいは、知っておいて損はない」
その申し出に、ロトは、居住まいを正して、深く頭を下げた。
「お願いします!」
ガイは、丁寧に、光属性の基本的な性質――治癒や浄化に適した力の使い方について、簡単に説明してくれた。実演までは難しかったが、それでも、ロトにとっては、貴重な知識だった。
「光属性は、他の属性に比べて、扱いが特殊なんだ。攻撃的な力というより、他者を癒し、支える力に長けている。だからこそ、聖職者に多いんだろうな」
「僕にも、そんな力が、本当にあるんでしょうか」
「あるとも。まだ発現していないだけだ。焦らず、少しずつ、感覚を掴んでいけばいい」
ガイは、そう言うと、自分の掌に、ほんの微かな熱を灯すように、闘気を集中させてみせた。
「これが、闘気の高め方だ。光属性も、根本の原理は同じだと言われている。まずは、自分の中にある情念力を、意識する練習から始めるといい」
その説明に、ロトは、真剣な面持ちで頷いた。
「いつか、ちゃんと使えるようになりたいです」
「なれるさ。稀少な属性だからこそ、教えられる者も少ないが、その分、しっかり学べば、大きな力になる」
その励ましに、ロトは、力強く頷いた。稽古を終える頃には、彼の表情に、これまで以上の、確かな充実感が浮かんでいた。
◇
夕方、宿への帰り道、ユリオとロトは、並んで歩きながら、他愛のない会話を交わしていた。
「なあ、ロト。もし、あの時、大聖堂の話を受けてたら、どうなってたと思う?」
ふと、ユリオが尋ねた。
「わかりません。でも、たぶん、寂しかったと思います」
「寂しい?」
「はい。安定した暮らしとか、教育とか、そういうのは、確かに魅力的でした。でも、ユリオさんたちと離れることを考えたら、それだけで、胸が痛くなって」
その素直な告白に、ユリオは、静かに微笑んだ。
「俺も、ロトがいなくなったら、寂しいと思うぜ」
「本当ですか」
「当たり前だろ。もう、大事な仲間なんだから」
その言葉に、ロトの目に、じんわりと涙が滲んだ。
「僕、これまで、誰かにそんな風に言ってもらえたこと、なかったです」
「これから、いくらでも言ってやるよ」
その温かいやり取りに、ロトは、深く頷いた。夕暮れの光に照らされた二人の影が、並んで、長く伸びていた。
「なあ、ユリオさん」
「なんだ」
「僕、いつか、ユリオさんみたいに、誰かを助けられる人間になりたいです」
その真摯な言葉に、ユリオは、優しく微笑んだ。
「なれるよ、絶対。ロトなら、もう、その一歩を踏み出してる」
「そうでしょうか」
「ああ。今日だって、稽古、真剣にやってたじゃねえか。それに、大聖堂での選択だって、簡単なことじゃなかったはずだ。それだけで、十分、立派なもんだよ」
その評価に、ロトは、少し照れくさそうに、それでも嬉しそうに、笑みを浮かべた。
◇
宿に戻ると、リィナとカイエルが、二人を出迎えた。
「お帰りなさい。稽古、どうだった?」
リィナの問いに、ロトは、嬉しそうに答えた。
「ガイさんに、光属性の基礎も教えてもらいました」
「それは良かったわね」
その様子を見つめながら、カイエルも、静かに頷いた。
「ロト、改めて聞きたいのだが」
「はい」
「本当に、後悔はないか。大聖堂の申し出を、断ったことに」
その問いに、ロトは、迷いのない表情で、はっきりと答えた。
「ありません。今の暮らしが、僕にとって、一番大切なものですから」
その答えに、カイエルは、満足げに頷いた。
「そうか。それなら、私も、お前の選択を、全力で支持しよう」
その言葉に、その場にいた全員が、温かい笑みを浮かべた。
「なあ、ロト」
ユリオが、ふと、改まった様子で切り出した。
「これから先、俺たちの旅は、まだまだ続く。時には、危険な目に遭うことも、あるかもしれない。それでも、ついてくるか」
その問いに、ロトは、少しの迷いもなく、力強く頷いた。
「はい。どこまでも、ついていきます」
その決意に満ちた答えに、ユリオは、満足げに頷いた。
「よし。じゃあ、正式に、俺たちの仲間だな」
「はい!」
弾けるような笑顔を見せるロトに、皆が、温かい眼差しを向けた。
夕食の席には、いつもより、少しだけ賑やかな空気が漂っていた。それぞれが、それぞれの近況を報告し合い、時に笑い合いながら、束の間の団欒を楽しんだ。
辺境の村から始まったこの旅は、様々な出会いを経て、いつしか、かけがえのない絆の輪を広げていた。ロトという新たな仲間の存在が、その輪を、また一つ、確かなものにしていた。
これから先、どんな困難が待ち受けていようとも、この繋がりがある限り、乗り越えていける――その確信を、皆が、静かに、しかし確かに、胸に抱いていた。
窓の外に広がる王都の夜景を見つめながら、ユリオは、これまでの旅路と、これから先に待ち受ける、まだ見ぬ困難に、静かに想いを馳せていた。
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