第五十八話 勧誘
噂が広まり始めてから数日後、宿に、一通の書状が届けられた。差出人は、王都の大聖堂――この国の宗教的権威の中枢を担う組織からのものだった。
「大聖堂から?」
カイエルが、その書状を検分しながら、眉をひそめた。
「内容は?」
リィナの問いに、カイエルは、書状に目を通しながら答えた。
「面会の申し入れだ。名目上は、王都での生活に関する相談、となっているが……」
「本当の目的は、ロトのことでしょうね」
リィナの推測に、カイエルも、深く頷いた。
「どうする。無視するわけにもいかないだろう」
「ええ。相手は、この国でも屈指の権威を持つ組織だもの。誠実に対応する必要があるわ」
その言葉に、少し離れた場所で話を聞いていたロトが、不安げな表情を浮かべた。
「僕、行かなきゃ、いけませんか」
「行くこと自体は、避けられないと思うわ。でも、何を決めるかは、あなた次第よ」
リィナの言葉に、ロトは、緊張した面持ちで頷いた。
◇
数日後、指定された日時に、カイエルとリィナ、そしてロトの三人は、大聖堂を訪れることになった。ユリオは、目立たぬようにという理由で、同行を控えることになった。
「行ってらっしゃい。何かあったら、すぐ呼べよ」
見送るユリオの言葉に、ロトは、緊張した面持ちで頷いた。
「大丈夫です。ちゃんと、自分の気持ちを、伝えてきます」
その決意を胸に、ロトは、大聖堂への道を、カイエルとリィナと共に歩いていった。
◇
大聖堂は、これまで目にしてきたどの建物とも、また違う荘厳さを湛えていた。高い天井、壮麗なステンドグラス、そして、静謐な空気に満ちた内部。その全てが、この場所の特別な性格を、雄弁に物語っていた。
ステンドグラスから差し込む、色とりどりの光が、床に幻想的な模様を描き出していた。ロトは、その荘厳な光景に、思わず息を呑んでいる様子だった。
案内された応接室で、三人を出迎えたのは、初老の高位聖職者だった。
「よくお越しくださいました。私は、この大聖堂で司教を務める、アルベルトと申します」
その丁重な挨拶に、カイエルとリィナは、それぞれ礼を返した。
「本日は、そちらの少年――ロト殿について、お話をさせていただければと」
アルベルト司教の視線が、ロトへと向けられた。柔和な眼差しには、確かな威厳と同時に、真摯な興味の色が浮かんでいた。
「光属性という、極めて稀少な力を持つ少年が現れたと聞き、私自身、大変興味を持っております」
「司教様は、光属性について、詳しくご存知なのですか」
リィナが、慎重に尋ねた。
「多少は。この大聖堂には、鑑定紋制度が確立して以降、光属性を持つ聖職者が、数えるほどですが、在籍してきました。制度以前にも、卓越した治癒の力を示した聖人の伝承がいくつか残っており、恐らくは同じ系譜の力だったのでしょう。その力は、浄化や治癒において、他の追随を許さない効果を発揮すると言われています」
その説明に、一同は、興味深く耳を傾けた。
◇
「単刀直入に申し上げますが」
アルベルト司教は、穏やかな口調ながらも、確かな熱意を込めて続けた。
「ロト殿を、当大聖堂の聖職者候補として、正式にお迎えしたいと考えております」
その申し出に、その場の空気が、一瞬、張り詰めた。
「光属性の持ち主は、この国全土を見渡しても、数えるほどしかおりません。その稀有な才能を、然るべき環境で育てることは、本人にとっても、この国にとっても、大きな意義があるはずです」
その言葉には、決して悪意はなかった。むしろ、純粋な期待と、確かな善意が込められているようにも感じられた。
「もし、ロト殿がこの道を選ばれるのであれば、当大聖堂として、最高の教育環境をご用意いたします。読み書きはもちろん、光属性を活かした治癒術の修練、そして、将来的には、然るべき地位も約束いたしましょう」
その具体的な待遇の説明に、ロトは、圧倒された様子で、言葉を失っていた。
それでも、リィナは、慎重に言葉を選びながら応じた。
「ご厚意には、感謝いたします。ですが、この件は、ロト自身の意志を、最優先に考えたいと思います」
「もちろんです。強制するつもりは、毛頭ございません。あくまで、選択肢の一つとして、お伝えしたまでのことです」
アルベルト司教は、そう言うと、優しい眼差しをロトへと向けた。
「ロト殿、もしよろしければ、あなた自身の考えを、聞かせてもらえますか」
◇
その問いに、ロトは、しばらく、俯いたまま、沈黙していた。
提示された待遇は、これまでの彼の人生からは、想像もつかないほど、恵まれたものだった。安定した生活、確かな教育、そして、将来的な地位の保証――過酷な労働に明け暮れていた日々を思えば、それは、夢のような話でもあった。
それでも――
「僕の中で、答えは、もう決まっています」
ロトは、顔を上げ、はっきりとした口調で答えた。
「ありがたいお話だと、思います。すごく、良い環境なんだと思います。でも……僕は、今の仲間たちと一緒に、これからも歩んでいきたいです」
その言葉には、迷いのない、確かな意志が込められていた。
「僕は、これまで、誰にも大事にされないまま、生きてきました。でも、ユリオさんたちに出会って、初めて、自分が自分でいていいんだって、思えるようになったんです。だから、その繋がりを、手放したくありません」
その真摯な告白に、アルベルト司教は、少し驚いた様子を見せたが、すぐに、穏やかな笑みを浮かべた。
「そうですか。それも、あなた自身が選んだ、立派な道です」
「私の考えが、浅はかだったのかもしれませんね。あなたにとって大切なものは、待遇や地位ではなく、既に得ている繋がりの方だった、ということでしょう」
その言葉には、皮肉ではなく、素直な敬意が込められているように感じられた。
「もし、いつか気が変わるようなことがあれば、この大聖堂の門は、いつでも開かれています。それだけは、覚えておいてください」
「ありがとう、ございます」
深々と頭を下げるロトに、アルベルト司教は、優しく頷いた。
◇
面会を終えた三人は、大聖堂を後にしながら、それぞれの想いを胸に抱えていた。
「思ったより、穏やかな対応だったな」
カイエルが、そう呟いた。
「ええ。でも、大聖堂の対応が全てだとは、思わない方がいいわ」
リィナの声には、慎重な響きがあった。
「光属性という稀少な力の存在は、これから、様々な思惑を引き寄せることになるはずよ。教会だけでなく、貴族の家々、あるいは、それ以外の勢力も」
その予測に、カイエルも、静かに頷いた。
「ロト、大丈夫か」
ユリオの元へ戻った後、彼が真っ先に尋ねると、ロトは、少し疲れた様子ながらも、しっかりと頷いた。
「大丈夫です。ちゃんと、自分の気持ちを、伝えられましたから」
その言葉に、ユリオは、誇らしげに、ロトの頭を撫でた。
「よく言った。ロトの人生は、ロトが決めることだ」
その温かい言葉に、ロトの表情が、ようやく緩んだ。
「大聖堂って、どんなとこだった?」
ユリオの興味深そうな問いに、ロトは、少し目を輝かせながら答えた。
「すごく綺麗な場所でした。窓から差し込む光が、色々な色に分かれて、床に模様を描いてて」
「へえ、見てみたかったな」
「今度、一緒に行きましょう。今回は、断りに行くための面会だったから、ゆっくり見られなかったですし」
その提案に、ユリオは、快く頷いた。
「いいな、それ。約束だぞ」
二人のやり取りを見つめながら、リィナとカイエルも、静かに微笑んでいた。だが、この一件が、単なる一過性の出来事では終わらないだろうという予感を、その場にいた誰もが、密かに抱いていた。
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