第五十七話 光の噂
ロトの鑑定結果――光属性という、極めて稀少な事実は、当初、ごく限られた人々の間でしか知られていないはずだった。だが、王都という場所は、噂の広まる速さにおいて、辺境の村とは比較にならなかった。
「最近、街で妙な視線を感じることがあるんです」
ある日の夕食時、ロトが、控えめにそう切り出した。
「妙な視線?」
ユリオが、尋ね返した。
「なんというか……値踏みされているような、そんな感じで」
「具体的には、どんな時に感じるんだ?」
「読み書きを教わりに行く途中とか、買い物に出た時とか……。すれ違う人が、こう、じっと見つめてくることが増えた気がします」
ロトの説明に、リィナが、思わず眉をひそめた。
「もしかしたら、あなたの属性のことが、広まり始めているのかもしれないわね」
「僕の、属性……」
「鑑定院の窓口には、大勢の職員が出入りしているもの。そこから話が漏れたとしても、不思議はないわ」
その説明に、ロトは、不安げな表情を浮かべた。
「僕、また、悪いことになってしまうんでしょうか」
「そんなことないわ。ただ、注目を集めやすくなっている、ということよ。悪いことばかりとは限らないわ」
リィナの言葉に、ロトは、少しだけ、表情を和らげた。それでも、辺境で味わってきた過酷な経験が、彼の心に、拭いきれない警戒心を植え付けていることは、否めなかった。
◇
その日の午後、ユリオは、ロトの気晴らしにと、二人で市場へ買い物に出かけることにした。
「今日は、俺と二人で気晴らしだ。難しいこと考えんな」
「はい」
市場の賑わいに、ロトも、少しずつ、緊張を解いていくようだった。露店に並ぶ色とりどりの野菜や果物、威勢のいい呼び込みの声、そして、行き交う人々の活気――それらは、この数週間で、少しずつ、二人にとっても見慣れた光景になりつつあった。
「あの果物、見たことないな」
ユリオが、珍しい果物を指差すと、ロトも、興味深そうに覗き込んだ。
「あれ、南方の果物だと思います。読み書きの授業で、地図を見せてもらった時に、名前を教わりました」
「お前、よく覚えてるな」
「先生が、丁寧に教えてくれるので」
そんな、他愛のないやり取りを交わしながら、二人は、市場を歩いていった。だが、露店を覗き込んでいる最中、ふと、周囲の視線が、いつもと違うことに、ユリオも気づき始めた。
「あの子供……」
「本当に、光属性なのかしら」
「まさか、あんな小さな子が」
あちこちから聞こえてくる、囁くような会話。それは、決して悪意を持ったものではなかった。むしろ、好奇と、ある種の驚嘆に満ちた反応だった。それでも、視線を一身に浴び続けることは、ロトにとって、決して心地よいものではないはずだった。
ふと見ると、ロトは、右手を、袖の中に、そっと引っ込めていた。長年、蔑まれる側として染みついた、紋を隠す癖――それが今度は、称賛の視線から身を守るために、同じ形で現れている。その小さな仕草が、ユリオには、たまらなく、切なかった。
「気にすんな。物珍しいだけだ」
ユリオが、努めて明るくそう声をかけた。だが、ロトの表情は、次第に硬くなっていった。
「僕、また、周りと違う目で見られてる……」
その呟きに、ユリオは、言葉に詰まった。属性が低いからと蔑まれていた頃とは違う。だが、稀少すぎるがゆえに、また違う種類の「特別扱い」という視線に晒される――それもまた、ロトにとって、新たな苦しみの種になり得るのだと、ユリオは、初めて実感させられた。
露店の店主の一人が、興味津々といった様子で、声をかけてきた。
「坊主、光属性なんだって? すごいなあ、一目、紋を見せてもらえないか」
その無邪気な申し出に、ロトは、明らかに動揺した様子を見せた。
「あ、いや、その……」
「悪いけど、今日は忙しいんだ」
ユリオが、すかさず割って入り、ロトの手を引いて、その場を離れた。
「大丈夫か?」
「……はい。ちょっと、びっくりしただけです」
その返答には、無理をしているような響きがあった。ユリオは、それ以上何も言わず、ただ、ロトの手を、しっかりと握り直した。
◇
宿に戻ってから、ユリオは、この日の出来事を、リィナとカイエルに報告した。
「思った以上に、噂の広まりが早いな」
カイエルが、険しい表情で呟いた。
「市場でも、すれ違う連中が、もう噂してたしな」
「厄介なことになったわね」
リィナも、眉根を寄せた。
「良い意味でも、悪い意味でも、注目を集めやすい状況になっている。これから、様々な思惑を持つ人々が、接触を試みてくる可能性があるわ」
「様々な思惑って?」
ユリオの問いに、リィナは、静かに答えた。
「教会、貴族の家々、あるいは、それ以外の勢力。稀少な属性の持ち主は、それだけで、価値ある"駒"として見られてしまうことがあるの」
その表現に、ユリオは、思わず眉をひそめた。
「駒って……ロトは、物じゃねえぞ」
「ええ、その通りよ。でも、残念ながら、そう考えない者たちも、少なからずいるということ」
カイエルも、腕を組みながら、重々しく頷いた。
「私の家門にも、似たような事例があった。稀少な属性を持つ者が生まれると、それを政略の道具として利用しようとする動きが、時折起こる。忌々しい話だが、この国の貴族社会では、決して珍しいことではない」
「そんなの、ロトにとっちゃ、たまったもんじゃねえだろ」
「同感だ。だからこそ、これから先、慎重に立ち回る必要がある」
その現実に、ユリオは、改めて、この王都という場所の、複雑で、時に冷たい一面を、実感させられていた。
◇
その夜、ロトの部屋を、ユリオは、そっと訪れた。
「眠れないのか」
「はい……なんだか、色々考えてしまって」
ロトは、寝台に腰掛けたまま、俯いていた。
「怖いか、注目されるの」
「怖いっていうか……。また、僕自身じゃなくて、僕の"力"だけを見られてる気がして」
その言葉に、ユリオは、静かに頷いた。
「わかる気がするよ、それ。俺も、灰色の紋のことで、似たような目に遭ってきたから」
「ユリオさんも?」
「ああ。蔑まれるのも辛いけど、逆に、変に持ち上げられるのも、それはそれで、居心地が悪いもんだよな」
その共感に、ロトは、少しだけ、表情を和らげた。
「でも、大丈夫だ。何があっても、俺たちが、ちゃんとロトの味方でいるから」
その力強い言葉に、ロトは、静かに頷いた。まだ拭いきれない不安を抱えながらも、その隣に、確かな支えがあるという事実が、彼の心を、少しずつ、落ち着かせていった。
「ユリオさんは、灰色の紋のこと、今は、もう平気なんですか」
ふと、ロトが尋ねた。
「平気っていうか……まあ、慣れたな。それに、今は、村を出て、色んな人に会って、色んな考え方を知って、前より、気にならなくなった気がする」
「僕も、そうなれるでしょうか」
「なれるよ。ロトは、もう十分、強い奴だ。国境の町であんな目に遭っても、腐らずにここまで来た。それに、読み書きだって、あっという間に覚えちまうし、市場の果物の名前まで知ってる。そういう、コツコツ積み重ねられるところが、お前のすごいところだ。紋の色は、その次の話だろ」
その言葉に、ロトの目に、じんわりと涙が滲んだ。
「ありがとう、ございます」
「礼はいいよ。それより、明日は、また一緒に、市場のリベンジしような。あの果物、買って食べてみようぜ」
その軽い提案に、ロトは、思わず、小さく笑った。
「はい、約束です」
その笑顔に、ユリオは、安堵の息を漏らした。少しずつでも、この王都での日々に、ロトが確かな居場所を見出しつつあることが、何よりも嬉しかった。
王都の夜は、静かに更けていった。だが、この噂が、これからどのような波紋を広げていくのか――それは、まだ誰にも、見当のつかないことだった。
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