第五十四話 父の反応
カイエルが屋敷を去った後、ヴァンドール卿は、一人、書斎に残り、長い間、思案に耽っていた。
息子の変化。その根底にある想い自体は、決して理解できないものではなかった。むしろ、若い頃の自分が抱いていた、ある種の理想主義と、どこか通じるものすら感じていた。
それでも――ヴァンドール家という名を背負う者として、簡単に頷くわけにはいかない現実が、確かに存在していた。
「旦那様」
執事が、静かに声をかけてきた。
「クレスタ伯爵から、面会の申し入れが届いております」
「クレスタ伯爵が? この時間に」
訝しみながらも、ヴァンドール卿は、その面会を受け入れることにした。
◇
クレスタ伯爵は、鑑定院上層部にも太いパイプを持つ、古参の貴族だった。応接間に通された伯爵は、挨拶もそこそこに、本題を切り出した。
「ヴァンドール卿、単刀直入に伺おう。ご子息が、辺境で拾った、あの規格外の少年の件だ」
「……何をお聞きになりたいのか」
「噂によれば、ご子息は、その少年を庇い、鑑定院の機密記録の開示にまで、関与しているとか」
その情報の広がりの速さに、ヴァンドール卿は、内心で警戒を強めた。
「事実であれば、それが何か」
「ヴァンドール卿、私は、あなたと長い付き合いだ。だからこそ、率直に申し上げる。この件、あまり深入りされない方がよろしいかと」
伯爵の声には、忠告というより、明確な牽制の色があった。
「どういう意味だ」
「鑑定紋制度は、この国の秩序そのものだ。その根幹に疑問を投げかけるような動きに、名門ヴァンドール家が加担しているとなれば、家門の評判に、少なからぬ傷がつくことになる」
「それは、脅しか」
「まさか。ただの、忠告だ」
伯爵は、意味深な笑みを浮かべたまま、そう答えた。
「ご子息の若さゆえの情熱は、理解できなくもない。だが、それに巻き込まれる家門の立場も、考えていただきたい。我々貴族の家は、代々、この国の秩序を守るという重責を担ってきた。その一角が揺らげば、周囲への波及も、決して小さくはない」
「私に、息子を止めろと仰るのか」
「そこまでは申しません。ただ、事態が、あなたの家門にとって、望ましくない方向に転がらぬよう、賢明な判断をされることを期待しております」
その言い回しには、明確な脅迫ではないものの、確かな圧力が込められていた。ヴァンドール卿は、その圧力の重みを、痛いほど感じ取っていた。
「ご忠告、感謝する」
短く答えると、伯爵は、満足げに頷き、屋敷を後にした。
◇
伯爵が去った後、ヴァンドール卿は、深い溜息をついた。
(やはり、そう単純な話ではないということか)
息子の変化を、頭ごなしに否定するつもりはなかった。だが、家という存在を背負う立場である以上、個人の信念だけで、全てを押し通せるわけではない――その現実の重さを、改めて突きつけられた思いだった。
翌朝、ヴァンドール卿は、カイエルを、再び屋敷に呼び出した。
「父上、何か」
「昨夜、クレスタ伯爵が訪ねてきた」
その名に、カイエルは、微かに眉をひそめた。
「伯爵が、何を」
「お前の動きに、釘を刺しに来た。鑑定院上層部の一部が、お前とエルスフィア嬢の動きを、快く思っていないようだ」
その報告に、カイエルは、緊張した面持ちで、父の言葉に耳を傾けた。
◇
「昨日は、お前の話を聞いて、多少なりとも心を動かされた。だが、一晩考えて、私の考えは、より慎重なものに戻った」
ヴァンドール卿の声は、昨日とは違う、確かな厳しさを帯びていた。
「父上……」
「お前の信念自体を、否定するつもりはない。だが、その信念を貫くことで、家に累が及ぶのであれば、話は別だ」
「具体的に、何を懸念されているのですか」
「鑑定院上層部の一部が、この件を、家門の権威失墜の材料として利用しようとする可能性がある。お前が正義感から動いているつもりでも、周囲の目には、家の秩序への忠誠を疑わせる行為として映るということだ」
その指摘に、カイエルは、言葉に詰まった。
「私は、これまで築いてきた家の信用を、軽々しく危険に晒すわけにはいかん」
「では、私に、何もするなと仰るのですか」
「そこまでは言っていない。だが、もっと慎重に、目立たぬ形で進める方法を考えるべきだ」
その現実的な提案に、カイエルは、複雑な思いを抱いた。頭では、父の懸念も理解できる。だが、慎重さを優先するあまり、真実から目を背けることだけは、したくなかった。
「父上のお立場も、理解しているつもりです。ですが、これ以上、慎重になりすぎれば、真実は、永遠に闇に葬られたままになります」
「それでも構わないと、私は思っている。全ての真実が、明るみに出ることが、必ずしも良い結果をもたらすとは限らない」
その言葉に、カイエルは、これまでにない、強い反発を覚えた。
「それは、隠蔽を正当化する者たちと、同じ理屈ではありませんか」
その反論に、ヴァンドール卿は、一瞬、言葉を失った。
◇
重い沈黙が、書斎に満ちた。
「……お前は、本当に、変わったのだな」
ようやく発せられた父の言葉には、怒りとも、諦めとも取れる、複雑な響きがあった。
「私の立場では、これ以上、お前の動きを、公然と支持することはできん。だが――」
ヴァンドール卿は、一度、目を閉じてから、続けた。
「止めることも、しない。お前の選んだ道の責任は、お前自身が負え」
その言葉は、賛成でも反対でもない、ある種の突き放しだった。それでも、完全な決別ではないという事実に、カイエルは、わずかな救いを見出した。
「わかりました。この件の責任は、全て、私一人が負います」
「そうしてもらおう」
その硬いやり取りを最後に、面会は終わった。屋敷を出たカイエルの足取りは、来た時よりも、遥かに重かった。
(父上との溝は、まだ、埋まっていない。それでも……)
完全な決裂ではなく、責任という形での、一種の容認。それが、今の自分に与えられた、精一杯の余地なのだと、カイエルは、静かに受け止めるしかなかった。
◇
その足で、カイエルは、リィナたちの待つ宿へと向かった。
「……顔色が、優れないわね。何かあったの?」
部屋に入るなり、リィナが、心配そうに声をかけてきた。
「父から、忠告を受けた。クレスタ伯爵という人物が、我が家に圧力をかけてきたようだ」
「クレスタ伯爵……」
その名に、リィナの表情が、険しくなった。
「鑑定院上層部にも、深い繋がりを持つ人物よ。もしかしたら、開示請求を却下した判断にも、彼が関わっているかもしれない」
「私も、同じことを考えていた」
二人は、顔を見合わせ、静かに頷き合った。
「父上は、私の動きを、公然と支持することはできないと、はっきり仰った。それでも、止めはしないとも」
「複雑な立場、というわけね」
「ああ。だが、それでいい。むしろ、これで、はっきりした」
カイエルの声には、重苦しさと同時に、確かな覚悟の色が滲んでいた。
「私一人の責任において、この道を進む。それだけのことだ」
その毅然とした言葉に、リィナは、静かに頷いた。
「一人じゃないわ。私も、ユリオも、ロトも、あなたの隣にいる」
その言葉に、カイエルは、少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。
「……そうだったな」
自嘲気味に、小さく笑うカイエルに、リィナは、優しく微笑み返した。敵は、思っていたよりも、根深く、組織立ったものらしい。それでも、この繋がりがある限り、決して一人で立ち向かう必要はないのだと、二人は、改めて実感していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
「巡り紋」は毎日更新予定です。
ブックマーク・下の☆☆☆☆☆からの評価をいただけると、執筆の大きな励みになります。




