第五十一話 待機の日々
王都での生活が始まって一週間、ユリオは、これまで経験したことのない種類の苦痛と向き合っていた。
「暇だ……」
宿の一室で、ユリオは、ベッドに寝転がりながら、そう呟いた。
カイエルからは、目立った行動を控えるよう、繰り返し釘を刺されていた。灰色の紋を持つ規格外の存在――その情報が、鑑定院内部で不用意に広まれば、リィナの調査にも、思わぬ悪影響を及ぼしかねない。頭では、その理屈を理解していた。それでも、ただ待つだけの日々は、想像以上に、精神を蝕んでいった。
「ロト、退屈じゃないか?」
同じ部屋で、簡単な読み書きの練習をしていたロトに、ユリオは声をかけた。
「僕は、そんなに。字を覚えるの、楽しいですし」
「お前、真面目だな」
ユリオは、思わず苦笑した。ロトは、王都に来てから、リィナの計らいで、簡単な読み書きを教わり始めていた。物心つく前から働かされてきた彼にとって、文字を学ぶことは、まったく新しい世界の扉を開くような、貴重な経験になっているようだった。
「見てください、この字」
ロトが、嬉しそうに、書き取り帳を差し出してきた。まだたどたどしいながらも、丁寧に書かれた文字が、そこには並んでいた。
「おお、上手いじゃねえか」
「先生に、褒められたんです」
「先生?」
「リィナさんが紹介してくれた、鑑定院の若い方です。優しくて、色々教えてくれます」
その話に、ユリオは、少し安堵した。ロトが、少しずつでも、王都での居場所を見つけつつあることが、素直に嬉しかった。
「ユリオさんは、何をしているんですか。稽古とか」
「一応、朝晩、体は動かしてるけど……。それ以外、正直、やることがなくてな」
辺境の村にいた頃は、ガレオンとの稽古、村の手伝い、ミラとの何気ない会話――やるべきこと、やりたいことが、常にあった。だが王都では、目立たぬようにという制約の中、自由に動き回ることすら儘ならなかった。
◇
その日の午後、リィナが、宿を訪れた。
「調子はどう?」
「正直、暇すぎて頭がおかしくなりそうだ」
率直な感想に、リィナは、苦笑した。
「気持ちはわかるわ。でも、もう少しの辛抱よ」
「あんたの方は、どうなんだ。開示請求とか」
その問いに、リィナの表情が、わずかに曇った。
「正直、順調とは言えないわね。窓口では、まともに取り合ってもらえていないの」
「そんな簡単にはいかないよな、やっぱり」
「ええ。でも、諦めるつもりはないわ」
その決意を、ユリオは、頼もしく思う一方で、自分だけが何もできずにいることに、もどかしさを感じずにはいられなかった。
「なあ、俺にも、何かできることないのか」
「今は、大人しくしていることが、一番の協力よ」
その言葉に、ユリオは、渋々ながらも頷いた。
「カイエルの方は、どうなんだ。家との話し合い」
「詳しくは聞いていないけれど、あまり順調ではなさそうよ。表情が、ここ数日、ずっと硬いもの」
「そうか……」
カイエルもまた、それぞれの重荷を抱えながら、この王都で戦っているのだと、ユリオは改めて実感した。
「ロトの方は、順調そうだな」
話題を変えるように、ユリオが言った。
「ええ。読み書きの覚えも早いし、鑑定院の若い職員たちにも、可愛がられているみたい」
「よかったな」
その言葉に、リィナは、小さく微笑んだ。
「あなたも、焦らずにいてね。この待機が、決して無駄な時間になるとは、私は思っていないから」
「わかってるよ、それは。ただ、体がなまりそうで怖いだけだ」
軽口めかして言うユリオに、リィナは、くすりと笑った。
◇
夕方、リィナが帰った後、ユリオは、気分転換にと、宿の周辺を散歩することにした。ロトも、一緒についてくる。
「あんまり、目立つような場所には行かない方がいいですよね」
「わかってるよ。ちょっと近所を歩くだけだ」
その道すがら、裏路地の一角で、見覚えのある人影に出くわした。
「よう、坊主」
「ガイさん!」
私服姿のガイが、気安く手を挙げていた。
「カイエルの目を盗んで、来てくれたのか」
「まあ、そんなとこだ。あんまり長くはいられないがな」
ガイは、周囲を軽く確認しながら、声を落とした。
「せっかくだから、少しだけ、体動かしとくか」
「マジか! 頼む!」
人気の少ない裏路地の奥、ガイは、簡単な打ち合いの相手をしてくれた。木剣もない、素手での型稽古だったが、それでも、ユリオにとっては、久しぶりの、確かな充実感のある時間だった。
「腕、鈍ってねえか?」
「多少はな。でも、まだ体が覚えてる」
汗を流しながら、ユリオは、少しだけ、胸のつかえが取れていくのを感じた。
「無理すんなよ。カイエル様に見つかったら、俺が怒られる」
「わかってるって」
束の間の稽古を終え、ガイは、名残惜しそうに去っていった。その背中を見送りながら、ユリオは、こうした小さな繋がりが、今の自分にとって、どれほど大切なものかを、改めて実感していた。
宿の周辺は、比較的落ち着いた住宅街で、行き交う人々も、それほど多くはなかった。それでも、辺境の村とは比べ物にならない賑わいに、ユリオは、いまだに慣れきれずにいた。
「王都の人たちって、みんな忙しそうですね」
ロトの呟きに、ユリオは、頷いた。
「そうだな。村じゃ、こんなにせかせかした感じ、なかったもんな」
通りを歩く人々の多くは、それぞれの用事に急ぐように、足早に行き交っていた。誰かが誰かに気を留める余裕もなさそうな、そんな空気が、この街全体に漂っているように感じられた。
「なんか、爺さんのこと、思い出すな」
「ガレオンさん、ですか」
「ああ。あの人は、いつも、こっちのペースに合わせて、ゆっくり物事を教えてくれてた。ここだと、そういう余裕、なさそうだよな」
その呟きには、隠しきれない郷愁が滲んでいた。
◇
夜、ユリオは、宿の一室で、ガレオンに宛てた手紙を書き始めることにした。
「近況を伝えたいんだけど、なんて書けばいいのかな」
紙を前に、しばらく悩んだ末、ユリオは、ゆっくりと筆を進めていった。
「爺さんへ。王都に着いた。色々あって、今は大人しく待機中。正直、暇すぎて死にそうだ。でも、リィナは頑張ってるし、カイエルも変わってきた」
そこまで書いて、ユリオは、一旦筆を止めた。ガレオンには、まだロトのことを、何一つ伝えていなかった。
「それと、旅の途中で、新しい仲間が増えた。ロトっていう、獣人の子だ。国境の町で、ひどい目に遭ってたのを、カイエルと一緒に助けた。今は、一緒に王都で暮らしてる。詳しいことは、また会った時に話すよ」
書きながら、これまでの旅の記憶が、次々と蘇ってきた。
「エルフの集落で、俺の力に名前がついた。刻の狭間を歩く者、って呼ぶらしい。まだ全然、うまく使いこなせないけど。それに、爺さんの盟友の話も聞いた。詳しくは、また会った時に話す」
最後に、少し迷った末、こう書き加えた。
「爺さんがいなくて、正直、寂しい。でも、負けてらんねえから、ちゃんと頑張るよ」
手紙を封じながら、ユリオは、静かに息を吐いた。言葉にすることで、胸の中にわだかまっていた、様々な感情が、少しだけ整理されていくような気がした。
「明日、これ、届けてもらえるように頼んでみるか」
ふと、ロトが、興味深そうに尋ねてきた。
「ガレオンさんって、どんな人なんですか。ユリオさんが、いつも話してる」
「そうだな……頑固で、口うるさくて、なかなか本当のことを話してくれない、変な爺さんだよ」
「なんか、厳しそうですね」
「厳しいけど、誰よりも、俺のこと考えてくれてる人だ。いつか、ロトにも会わせてやりたいな」
その言葉に、ロトは、嬉しそうに頷いた。
「僕も、会ってみたいです」
「よし、決まりだな。いつか、みんなで村に帰ろう」
その約束に、ロトの表情が、ぱっと明るくなった。
窓の外に広がる、王都の夜景を見つめながら、ユリオは、遠く離れた辺境の村に想いを馳せた。この待機の日々も、いつか、必ず意味のあるものになる――そう信じることでしか、今のもどかしさを、乗り越える術はなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
「巡り紋」は毎日更新予定です。
ブックマーク・下の☆☆☆☆☆からの評価をいただけると、執筆の大きな励みになります。




