第五十話 巡る者
王都での生活が始まって数日、リィナが、ロトを連れて、鑑定院の一角にある、市民向けの鑑定窓口を訪れることになった。
ユリオは、同行しなかった。灰色の紋を持つ自分が鑑定院に顔を出せば、それだけで、要らぬ波紋を呼びかねない――カイエルからも、固く、そう釘を刺されていた。だから、ユリオは、鑑定院の建物から少し離れた、大通りの噴水広場で、二人を見送ることにした。
「本当に、大丈夫でしょうか」
緊張した面持ちのロトに、ユリオは、軽く肩を叩いた。
「大丈夫だって。何が出ても、ロトはロトだ。それだけは、変わらねえよ。……行ってこい。俺は、ここで待ってるからな」
その言葉に、ロトは、小さく頷いた。それでも、これまでの人生で、紋のランクによって理不尽な扱いを受け続けてきた記憶が、彼の心に、拭いきれない不安として残っていた。
王都の鑑定院本部は、辺境の村での簡素な鑑定とは、まるで異なる規模と設備を誇っていた。石造りの荘厳な建物、整然と並ぶ受付窓口、そして、忙しなく行き交う職員たち。その全てが、初めてこの場所を訪れたロトに、この国における鑑定紋制度の重みを、否応なく、実感させた。
窓口の鑑定官は、ロトの生い立ちを聞くと、少し驚いた様子を見せた。
「これまで、一度も正式な鑑定を受けていない、と……。それは、珍しいですね」
「事情があって、ずっと機会がなかったんです」
リィナが、同行して、簡潔に説明を添えた。ザイラス帝国との国境地帯では、身寄りのない獣人の子供が、鑑定すら受けさせられないまま「低ランク」と決めつけられている実態があると、彼女は付け加えた。
「……それは、由々しき話ですね」
鑑定官は、表情を曇らせながら、静かに頷いた。王都育ちの彼にとって、辺境の実態を具体的に聞かされるのは、初めてのことだったのだろう。エルスフィア家の名を出すと、鑑定官の態度は、いくらか丁寧なものへと変わった。
「それでは、鑑定を始めます。右手を、こちらに」
ロトは、緊張した面持ちで、右手を差し出した。鑑定官が水晶をかざすと、淡い光が走り、普段は肌に薄く滲むだけの紋様が、鮮明な輝きを帯びて浮かび上がった。
その瞬間、鑑定官の表情が、大きく変化した。
「これは……!」
「どうしたの?」
リィナが、思わず身を乗り出した。
「ランクB、そして――属性、光」
その結果に、その場にいた全員が、言葉を失った。
「光、ですか……」
ロト自身も、信じられないといった様子で、自分の右手を見つめていた。
「光の属性は、極めて稀少なものです。聖職者や、一部の名家にしか見られない特異な力ですよ」
鑑定官の説明に、リィナは、静かな、しかし確かな感慨と共に、頷いていた。予想は、していた。夜襲の後、ロトが手当てを手伝った者ほど、傷の治りが早かった――旅の中で覚えた、あの小さな違和感の正体が、今、ようやく腑に落ちたのだから。それでも、こうして正式な記録として認められる瞬間には、格別の重みがあった。
「僕が……そんな、特別な……」
ロトは、まだ実感が湧かないといった様子で、呆然としていた。
鑑定官は、記録簿に丁寧に結果を書き記しながら、興味深そうにロトを見つめた。
「これほどの逸材が、これまで正式な鑑定を受けていなかったとは、実に惜しいことです。もしよろしければ、今後、聖職者としての道を歩まれるのも、一つの選択肢かと」
「いえ、僕は……」
ロトは、少し戸惑いながらも、はっきりとした口調で答えた。
「僕は、ユリオさんたちと一緒に、歩んでいきたいです」
その迷いのない答えに、鑑定官は、少し驚いた様子を見せたが、それ以上は何も言わず、静かに頷いた。
「それも、良い選択でしょう。あなたの人生です。あなたが決めることです」
その言葉に、ロトは、深く頭を下げた。
◇
鑑定院を出て、噴水広場に戻ると、待ちかねていたユリオが、真っ先に、駆け寄ってきた。
「どうだった」
「ランクB……それに、光の属性、だそうです」
「……すげえじゃねえか、ロト!」
ユリオは、我がことのように、声を上げた。まだ興奮冷めやらぬ様子で、ロトは、続けた。
「僕、ずっと、ランクが低いから価値がないって、言われ続けてきたんです。それなのに……」
「それが、本当は、こんな稀少な力だったってわけだ」
ユリオが、誇らしげに言った。
「でも、俺は、それを知る前から、ロトのことを、大事な仲間だと思ってたぜ。それは、これからも変わらねえ」
その言葉に、ロトは、目に涙を浮かべながら、深く頷いた。
「ありがとう、ございます」
傍で見守っていたリィナも、静かに微笑んでいた。
「紋の色がどうであれ、人の価値は変わらない。でも、こうして、正当に評価される瞬間を目にすると、やっぱり、嬉しいものね」
その言葉に、ユリオは、深く同意した。
◇
その夜、宿に戻った一行は、久しぶりに、全員で夕食を共にすることになった。カイエルも、家での用事を一段落させ、顔を出していた。
「ロトの紋のこと、聞いたぞ。光属性とはな」
「驚いたろ?」
「正直、驚いた。だが、同時に、納得もしている」
カイエルの言葉に、皆が、興味深そうに耳を傾けた。
「紋のランクや色彩だけでは、決して測れないものがある。この旅を通じて、私は、それを何度も思い知らされてきた。ロトの一件も、その延長線上にあるのだろう」
その言葉には、これまでの彼からは想像もつかない、深い理解が滲んでいた。
食事が進む中、それぞれが、この旅を振り返りながら、様々な話に花を咲かせた。宿場町での出来事、エルフの集落での学び、国境の町での衝撃、そして、幾多の危機を乗り越えてきた道のり。全てが、かけがえのない記憶として、皆の心に刻まれていた。
「思えば、遠くまで来たもんだよな」
ユリオが、しみじみと呟いた。
「本当にね。あの辺境の村を発った時は、まさかこんなに多くのことが待っているとは、想像もしていなかったわ」
リィナも、感慨深そうに頷いた。
「私も、これほどまでに自分の価値観が変わるとは、思ってもみなかった」
カイエルの言葉に、ガイが、茶化すように口を挟んだ。
「カイエル様、最初の頃は、坊主のこと、随分と敵視してましたもんね」
「……過去の話だ」
その気まずそうな返答に、皆が、思わず笑い声を漏らした。ロトも、その和やかな雰囲気に、少しずつ、緊張を解いていった。
「僕も、こんな風に、みんなで笑い合える日が来るなんて、思ってもいませんでした」
その素朴な言葉に、一同は、温かい眼差しを向けた。
「なあ、みんな」
ユリオが、ふと、真剣な表情で切り出した。
「俺たち、色んな場所を巡って、色んな人に出会って、ここまで来たよな」
「そうね」
「刻の狭間を歩く者、なんて呼ばれてる俺の力も、結局のところ、色んな人との繋がりの中で、少しずつ形になってきた気がする」
その言葉に、皆が、静かに頷いた。
「これからも、俺たちは、色んな場所を巡っていくことになると思う。鑑定院のこと、カイエルの家のこと、そして、いずれ向き合うことになる、もっと大きな脅威のこと」
「簡単な道のりには、ならないでしょうね」
リィナの言葉に、ユリオは、力強く頷いた。
「それでも、俺たちは、一人じゃない。この繋がりがある限り、どんな困難も、乗り越えていけると思ってる」
その決意に満ちた言葉に、皆が、それぞれの想いを込めて、静かに頷き返した。
「私も、明日から、正式に機密記録の開示請求を始める」
リィナが、改めて宣言した。
「私も、家に、この旅で見てきたこと、感じてきたことを、正直に伝えるつもりだ」
カイエルの言葉にも、確かな覚悟が滲んでいた。
「俺は、しばらく大人しくしてなきゃいけないみたいだけど……その間に、少しでも、自分の力と向き合う時間にするよ」
ユリオの言葉に、リィナが、優しく微笑んだ。
「焦らず、一歩ずつね」
「ああ」
ロトも、皆の様子を見つめながら、小さく手を挙げた。
「僕も、これから、王都で、みんなの役に立てるように、頑張ります」
その健気な言葉に、一同は、温かい拍手を送った。
王都という新たな舞台で、それぞれの戦いが、これから本格的に始まろうとしていた。旅を通じて出会い、結ばれた絆を胸に、一行は、次なる章へと、確かな一歩を踏み出していく。
辺境の村での日常から始まり、幾多の出会いと別れ、そして幾つもの試練を乗り越えてきた、この旅路。それは、単なる移動の記録ではなく、それぞれの人間が、自分自身と向き合い、少しずつ変わっていく過程そのものだった。
灰色の紋を持つ少年が、仲間と共に世界の広さを知り、自らの力の名前を得て、そして、次なる戦いへの覚悟を固めていく――その歩みは、まだ、道半ばに過ぎなかった。だが、この旅を通じて築かれた絆と経験は、これから訪れるであろう、いかなる困難にも立ち向かうための、確かな礎となっているはずだった。
巡る者たちの物語は、まだ、始まったばかりだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
これにて第二章「巡る者篇」は完結です。物語は、第三章「鑑定院の影篇」へと続きます。
ここまでお付き合いくださった方、本当にありがとうございます。
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