第四十九話 それぞれの覚悟
王都に到着した一行は、まず、当面の宿を確保することになった。カイエルの手配で、王都の一角にある、比較的落ち着いた宿に、全員分の部屋が用意された。
宿の造りは、これまで泊まってきたどの宿とも、明らかに格が違った。磨き上げられた木の床、丁寧に整えられた寝具、そして、窓から見える、整然とした街並み。その全てが、王都という場所の格式の高さを、雄弁に物語っていた。
「こんな立派な宿、俺、泊まったことねえよ」
ユリオが、物珍しそうに、部屋の中を見回した。
「慣れておくといいわ。これから、こういう場所に出入りする機会も、増えるでしょうから」
リィナの言葉に、ユリオは、少し身が引き締まる思いがした。
夕食の席で、カイエルが、静かに切り出した。
「私は、家に戻り、これまでの経緯を報告する。同時に、機密記録の開示についても、動き始めるつもりだ」
「私も、鑑定院に出向いて、正式な手続きを進めるわ」
リィナが、決意を込めて頷いた。
「俺は、どうすればいいんだ?」
ユリオの問いに、カイエルが答えた。
「お前は、しばらく、目立たぬように待機してもらうことになるだろう。お前の存在自体が、鑑定院内部で、様々な波紋を呼ぶ可能性がある」
「待機、か……」
少し不満そうな表情を見せるユリオに、リィナが、フォローするように付け加えた。
「無駄な時間になるわけじゃないわ。むしろ、その間に、力の制御について、さらに深く探求する時間に充てられるかもしれない」
「それは、確かにありがたいけど」
それでも、何もせず待つことに、内心では、もどかしさを覚えずにはいられなかった。だが、ここで無理に前に出て、事態をかえって複雑にすることだけは、避けなければならない。ユリオは、その葛藤を、静かに飲み込んだ。
◇
夕食を終えた後、それぞれが、明日からの動きについて、改めて思いを巡らせていた。
ユリオは、宿の部屋で、ロトと二人、静かに語り合っていた。
「ロトは、これから、どうしたい?」
その問いに、ロトは、少し考え込んだ。
「僕、まだ、自分に何ができるのか、よくわからないです。でも……」
「でも?」
「ユリオさんみたいに、誰かの役に立てる人間になりたいです」
その真摯な言葉に、ユリオは、深く頷いた。
「なら、一緒に頑張ろうぜ。俺も、まだまだ、これからだしな」
「はい!」
ロトの表情には、これまでの怯えとは違う、確かな希望の光が宿っていた。
「なあ、ロトの紋のこと、聞いてもいいか」
ふと、ユリオが思い出したように尋ねた。
「僕の、紋、ですか」
「ああ。物心つく前から働かされてたって言ってたし、ちゃんと鑑定してもらったことないんじゃないかと思ってさ」
その問いに、ロトは、少し考えるように、自分の右手を見つめた。
「言われてみれば……ちゃんと見てもらった記憶が、ないです」
「王都に着いたら、一度、ちゃんと調べてもらうか。もしかしたら、何か面白い発見があるかもしれないし」
その提案に、ロトは、少し緊張した面持ちで頷いた。
「僕の紋、一体どんな色をしているんでしょうか」
「どんな色でも、ロトはロトだよ。それだけは、忘れんな」
その力強い言葉に、ロトは、静かに、しかし確かに、頷いた。
「あの……ユリオさん。一つだけ、心配なことが、あるんです」
「なんだ?」
「王都には、獣人は、ほとんどいないって、聞きました。僕がいたら、皆さんの、ご迷惑になるんじゃないかって……」
その不安げな言葉に、ユリオは、一瞬、言葉を失った。それから、ロトの頭を、くしゃりと撫でた。
「あのな、ロト。迷惑かどうかは、周りが決めることじゃねえ。俺たちが決めることだ。で、俺たちは、お前と一緒にいたくて、連れてきた。それで全部だ」
「……はい」
「それに、じろじろ見られるくらいなら、俺は慣れっこだぜ。灰色の紋と獣人の耳、どっちが目立つか、良い勝負だろ」
その冗談めかした言い方に、ロトは、思わず、小さく噴き出した。その笑顔は、出会った頃には、決して見られなかったものだった。
◇
一方、リィナは、一人、これから始まる戦いへの覚悟を、静かに固めていた。
(明日から、本当の意味での戦いが始まる)
鑑定院という、この国に絶大な権威を持つ巨大な組織に、正面から異を唱えること。それは、これまでの旅の危険とは、また違う種類の困難を伴うはずだった。それでも、もう、引き返すつもりはなかった。
机の上に広げた羊皮紙には、これまでの調査の全てが、丁寧に整理されていた。改めてそれを見直しながら、リィナは、明日、上層部にどう切り出すべきか、慎重に言葉を選んでいった。
(感情的にならず、あくまで事実に基づいて、冷静に主張すること)
調査官として培ってきた冷静さを、決して失ってはならない。だが同時に、事なかれ主義に流されることも、決して許してはならなかった。その両立の難しさに、リィナは、幾度となく頭を悩ませていた。
窓の外に広がる、王都の夜景を見つめながら、リィナは、これまでの旅で出会った、多くの人々の顔を思い浮かべた。ユリオ、ガレオン、村の人々、エルフの長老たち、そして、国境の町で見た、名もなき人々の姿。彼らのためにも、この戦いを、途中で投げ出すわけにはいかなかった。
「必ず、変えてみせるわ」
誰にともなく、そう呟いた声は、静かな決意を持って、部屋の中に響いた。
◇
カイエルもまた、自室で、静かに己の覚悟を見つめ直していた。
(父上に、どう伝えるべきか)
これまでの価値観からの変化を、家門にどう説明すべきか――その答えは、まだ完全には見えていなかった。それでも、もう、以前の自分には戻れないという確信だけは、揺るぎないものとしてあった。
机の上に置かれた、家紋の刻まれた印章を見つめながら、カイエルは、静かに息を吐いた。
幼い頃から、父に叩き込まれてきた教え。紋こそが秩序であり、その秩序を守ることこそが、ヴァンドール家の使命である――その言葉を、疑ったことは、一度もなかった。だが今、その教えの根底に、確かな疑問符を突きつけられている。
(秩序を守るということの、本当の意味を、私はまだ、探している途中なのかもしれん)
その自問には、簡単には答えの出ない、重い問いが込められていた。
窓の外を見やると、王都の灯りが、静かに瞬いていた。この街のどこかに、今も、紋のランクゆえに苦しむ人々がいるのだろう。その現実に、これから、自分がどう向き合っていくべきなのか――カイエルは、夜が更けるまで、一人、思索を続けていた。
◇
翌朝、それぞれの出発の前に、一行は、改めて顔を合わせた。
「今日から、しばらくは、別行動になる」
カイエルの言葉に、全員が、真剣な面持ちで頷いた。
「何か困ったことがあれば、すぐに連絡を取り合おう。一人で抱え込む必要はない」
その言葉に、リィナが、静かに微笑んだ。
「ええ、その通りね」
「ユリオ、ロトのことは、任せたぞ」
「おう、任せとけ」
力強く頷くユリオに、カイエルは、小さく笑みを浮かべた。
「この数週間、色々な経験を、共に乗り越えてきた。この先も、それぞれの場所で、それぞれの戦いに挑むことになる。だが――」
カイエルは、一同を見回しながら、続けた。
「我々は、もう、一人一人ではない。この繋がりが、これからの困難を乗り越える、確かな力になるはずだ」
その言葉に、皆が、それぞれの決意を胸に、深く頷いた。
「なあ、みんな」
ユリオが、少し照れくさそうに、口を開いた。
「なんだ」
「うまく言えねえけど……この旅で、色んなことがあって、色んな人に出会えて、本当によかったと思ってる。だから、これからも、よろしくな」
その素朴な言葉に、リィナが、優しく微笑んだ。
「ええ、こちらこそ」
「私も、同感だ」
カイエルの短い返答にも、確かな温かさが滲んでいた。
ロトも、皆の様子を見つめながら、小さく、しかし確かに、頷いていた。
旅の終わり、そして、新たな戦いの始まり――王都という舞台で、それぞれの覚悟が、静かに、しかし確かに、固められていった。それぞれの道は、これから、少しずつ分かれていくことになる。それでも、この旅で結ばれた絆は、決して簡単には解けないものになっていた。
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