第四十八話 王都が見える丘
夜襲から数日。傷の治りは、思いのほか、早かった。道中、ロトが甲斐甲斐しく手当てを手伝って回っていたが、あの子が世話をした傷ほど、塞がるのが早い――そんな冗談めいた話が、私兵たちの間で、まことしやかに囁かれるほどだった。
そうして傷も癒えつつある頃、一行は、ついに、旅の目的地を目にすることになった。
「見えたぞ、王都だ」
先頭を行くカイエルの声に、一行の間に、確かな高揚感が広がった。
丘を登りきったところで、ユリオは、思わず息を呑んだ。
「うわ……」
眼下に広がるのは、これまで目にしてきたどの町とも、比較にならない規模の都市だった。高くそびえる城壁、その内側にひしめく、無数の建物。中心部には、ひときわ豪奢な城が、陽光を受けて輝いている。
城壁の外側にも、幾重にも広がる市街地が見て取れた。整然と区画された大通り、その両脇に立ち並ぶ石造りの家々。遠目にも、幾つもの尖塔が、空に向かって伸びているのがわかる。恐らくは、鑑定院や神殿といった、重要な施設なのだろう。
「これが、王都……」
その威容に、ユリオは、言葉を失っていた。辺境の村、宿場町、国境の町――これまで見てきた全ての景色が、一気に小さなものに感じられた。
「圧倒されるのも無理はないわね。私も、初めて見た時は、同じような気持ちだったから」
リィナが、懐かしそうに目を細めた。
「あんたにも、そういう時期があったんだな」
「当然でしょう。誰だって、最初は驚くものよ」
ロトもまた、丘の上から、その光景を、目を丸くして見つめていた。
「あんな場所で、暮らせるんですか」
「ああ、これから、みんなで暮らすんだ」
ユリオの言葉に、ロトは、少し不安そうな、それでいて期待に満ちた表情を浮かべた。
「僕、みたいな者が、あんな立派な場所で、本当に暮らしていいんでしょうか」
その不安げな問いに、ユリオは、真剣な眼差しで応じた。
「当たり前だろ。ロトが暮らしちゃいけない理由なんて、どこにもねえよ」
「でも、僕、獣人だし、ランクも低くて……」
「そんなの、関係ねえよ」
ユリオの断言に、ロトは、驚いたように目を見開いた。
「俺だって、灰色の紋のせいで、散々馬鹿にされてきた。でも、今、こうしてここにいる。ロトだって、同じだ。誰にも、お前の価値を勝手に決めさせる必要はない」
その力強い言葉に、ロトの目に、じんわりと涙が滲んだ。
「……ありがとう、ございます」
傍で聞いていたリィナも、その光景に、静かに目を細めていた。
「あなたの言葉には、不思議と、人の心を動かす力があるわね」
「そんな大層なもんじゃねえよ。ただ、思ったことを言っただけだ」
「それが、大事なのよ」
その温かいやり取りに、一行の間に、穏やかな空気が流れていた。
◇
しばらく、一行は、その場に留まり、それぞれの想いを胸に、王都の景色を眺め続けていた。
「なあ、リィナ。ここまで、本当に色々あったよな」
「ええ、本当に」
「村を出た時は、正直、こんなに長い旅になるとは思ってなかった」
ユリオは、これまでの旅路を、改めて振り返った。宿場町での初めての体験、エルフの集落で得た知識と名前、国境の町で目にした理不尽な現実、そして、ロトとの出会い。全てが、かけがえのない経験として、彼の中に刻まれていた。
「一番、印象に残ってることって、なんだ?」
「難しい質問ね……。強いて言うなら、やっぱり、エルフの集落での話かしら。あなたの力の正体に、初めて近づけた瞬間だったから」
「俺は、正直、迷うな。色々ありすぎて」
「そう言われると、確かにそうね」
二人は、顔を見合わせて、小さく笑い合った。
「あなたも、大きく変わったわね」
「そうか?」
「ええ。村を出たばかりの頃と比べて、随分と逞しくなったと思うわ」
その言葉に、ユリオは、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「あんたのおかげだよ、色々。それに、爺さんが鍛えてくれてたおかげでもあるし」
「一人の力じゃないってことね」
「ああ、その通りだ」
◇
少し離れた場所で、カイエルもまた、王都の景色を見つめながら、複雑な想いを噛み締めていた。
(この旅を始めた時の私と、今の私は、もう別人と言っていいのかもしれん)
紋の絶対性を、疑うことなく信じてきた過去の自分。その価値観に、確かな亀裂が入り、新しい何かへと、少しずつ形を変えつつある今の自分。この先、王都で待ち受ける現実に、どう向き合うべきか――その答えは、まだ見えていなかった。
それでも、この旅を通じて得た経験は、決して無駄にはならないという確信だけは、確かにあった。獣人の少年を救ったこと、リィナの決意に協力すると誓ったこと、そして、ユリオという規格外の存在と共に、幾多の危機を乗り越えてきたこと。それら全てが、カイエルという人間の在り方を、静かに、しかし確実に、作り変えていた。
「カイエル様」
ガイが、静かに声をかけてきた。
「王都に着いたら、色々と忙しくなりますね」
「ああ。だが、それも、望むところだ」
その毅然とした返答に、ガイは、静かに微笑んだ。
「正直、俺は、カイエル様が変わっていく様を、ずっと近くで見てこられたのを、誇りに思ってます」
「大袈裟だな」
「大袈裟なもんですか。あなたのような立場の方が、自ら変わろうとする姿は、そう簡単に見られるもんじゃありませんよ」
その言葉に、カイエルは、少し照れくさそうに視線を逸らした。
「私一人の力ではない。この旅で出会った、全ての者たちのおかげだ」
その謙虚な物言いにも、以前とは違う、確かな柔らかさが滲んでいた。
◇
「そろそろ、行こうか」
カイエルの号令に、一行は、それぞれの想いを胸に、再び歩みを進め始めた。丘を下り、王都へと続く最後の道のりへと、足を踏み出していく。
街道は、王都に近づくにつれて、次第に人通りが増えていった。商人の荷馬車、旅装の一行、そして、地元の住民らしき人々。様々な人々が行き交うその光景は、これまでの静かな街道とは、明らかに違う活気に満ちていた。
「すげえ人の数だな……」
ユリオが、圧倒された様子で呟いた。
「これでも、まだ城壁の外よ。中に入れば、もっと多くの人がいるわ」
「マジかよ」
その反応に、リィナは、思わず小さく笑った。傍らを歩くロトも、物珍しそうに、行き交う人々の姿を、興味深そうに見つめていた。物心つく前から、過酷な労働に明け暮れる日々を送ってきた少年にとって、これほどまでに賑わう場所を目にするのは、初めてのことだったのだろう。
「怖くないか?」
ユリオが、そっと尋ねると、ロトは、小さく首を振った。
「怖いというより……なんだか、夢を見ているみたいです」
その素朴な感想に、ユリオは、優しく微笑んだ。
やがて、一行は、王都の正門へと辿り着いた。見上げるほど高い城壁、そして、堅牢な造りの門。その荘厳さに、ユリオは、改めて息を呑んだ。
門の前には、検問のための兵士たちが並んでいた。カイエルが、身分証を提示すると、兵士たちは、すぐさま敬礼し、一行を丁重に迎え入れた。
「ヴァンドール様、お帰りをお待ちしておりました」
「うむ、ご苦労」
その様子に、ユリオは、改めて、カイエルという人物の立場の重みを、実感させられた。
門をくぐり、王都の中へと足を踏み入れた瞬間、ユリオは、これまで経験したことのない、圧倒的な喧騒と活気に包まれた。
(ここが、王都か……)
感慨深く周囲を見回しながら、ユリオは、最後にもう一度、振り返って、これまで歩んできた道を見つめた。遥か彼方、辺境の村がある方角に向けて、静かに、心の中で語りかける。
(爺さん、見ててくれよ。俺、ちゃんとやってるから)
その想いを胸に、ユリオは、前を向いて、歩き出した。王都という新たな舞台で、これから何が待ち受けているのか――不安と期待が入り混じった想いを抱えながら、一行は、確かな一歩を踏み出していった。
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