第四十七話 三度目の刻限
※本話には、暴力的な描写・残酷な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
視界が、白く弾けた。
◇
気がつくと、ユリオは、野営地の少し離れた場所に立っていた。
「――は?」
混乱したまま、周囲を見回す。先ほどまでの死の予感は、まるで嘘だったかのように、消え去っていた。
だが、様子がおかしい。周囲では、まだ戦闘の真っ最中だった。だが、その光景は、少し前に見ていたものとは、微妙に違っていた。
(時間が、戻ってる……?)
これまでの経験から、ユリオは、すぐにそれを察した。三度目の、刻の狭間を歩く力の発動。
全身に、これまでにない疲労感が満ちていた。膝から力が抜けそうになるのを、辛うじて堪える。頭の中も、濃い霧がかかったように、判然としない曖昧さに覆われていた。
(今度は、前よりも、長く戻ってる……)
崖崩れの時、靄の時よりも、明らかに強い疲労と、より深い記憶の空白。それでも、ユリオは、迷わず戦線へと戻ることを選んだ。
立ち上がろうとした瞬間、視界が一瞬、大きく歪んだ。全身の震えが、なかなか収まらない。それでも、今、立ち止まっているわけにはいかなかった。ロトの怯えた瞳、迫る刃の輝き――それらの記憶の断片が、ユリオを、前へと突き動かしていた。
◇
「ロト、リィナ!」
叫びながら、ユリオは、先ほどまで自分がいた場所――ロトが身を潜めていた場所へと、全力で駆け戻った。
「――っ、ユリオ!?」
突然現れたユリオに、リィナが、驚いた声を上げた。
「なんで、そこに……」
「説明は後だ! 気をつけろ、あいつら、まだ来る!」
まるで、これから起こることを、一足先に見てきたかのように――襲撃の動きの断片が、朧げな記憶として、ユリオの頭の中に残っていた。なぜ、そんなものが視えたのか、考える余裕はない。彼は、その感覚だけを頼りに、危険が迫るであろう場所へと、先回りするように動き始めた。
だが、その記憶は、決して鮮明なものではなかった。まるで、水面に映る景色のように、掴もうとすればするりと逃げていく。それでも、断片的に残る感覚――誰かが叫んだ声、刃が煌めいた方向、地面を踏みしめる足音――それらを頼りに、ユリオは、必死に状況を組み立てていった。
「ロト、こっちだ!」
荷物の陰から、ロトを、より安全な場所へと素早く移動させる。次の瞬間、先ほどまでロトが潜んでいた場所に、襲撃者の刃が振り下ろされた。
「――っ!?」
空振りに終わった一撃に、襲撃者が、微かに動揺したように見えた。
「今だ!」
ユリオは、その隙を突いて、剣を振るった。これまでとは違う、確かな手応えが、剣を通して伝わってきた。
◇
その後の戦闘は、ユリオの朧げな「記憶」を頼りに、これまでよりも、格段に有利に進んでいった。
「なんだ、この動き……!」
カイエルも、その変化に気づいていた。まるで、これから起こることを、事前に知っているかのような、的確な立ち回り。
(まさか、また、あの力が……)
その可能性に思い至りながらも、カイエルは、目の前の戦闘に集中し続けた。
不思議なことに、ユリオが力を発動させて以降、襲撃者たちの動きに、微かな乱れが生じ始めていた。
「――っ、この、忌々しい……!」
初めて、襲撃者の一人から、はっきりとした言葉が漏れた。人形のようだったその表情に、微かな苦悶の色が浮かんでいる。
「何か、変な感じがする……!」
ユリオ自身も、その変化に気づいていた。自分が近づくと、襲撃者たちの動きが、明らかに鈍くなる。まるで、何か目に見えない力が、彼らを内側から乱しているかのようだった。
(これが、色を持たないってことの……)
エルフの集落で聞いた、属性の相性が効かないという特性。それが今、思わぬ形で、戦況に影響を及ぼしているのかもしれなかった。
少し離れた場所で、その様子を見ていたリィナも、同じ違和感を覚えていた。
「もしかして、彼らは、何らかの属性の力で、意志を制御されているのかもしれないわ」
「それが、俺に効いてない属性を持ってるってことか」
「あくまで、仮説だけれど……。もしそうだとしたら、あなたの存在そのものが、彼らを操る力にとっての、天敵のようなものになるのかもしれない」
その分析に、ユリオは、複雑な感情を抱いた。自分の力が、何かの役に立っているという実感。それと同時に、まだ何も、はっきりとは理解できていないという、拭いきれない不安。
その両方を抱えながら、彼は、目の前の戦いに、意識を集中させ続けた。
◇
やがて、統率を乱された襲撃者たちは、次々と後退を始めた。
「――退くぞ」
誰のものとも知れない、掠れた声が響くと、襲撃者たちは、まるで最初からいなかったかのように、闇の中へと姿を消していった。
「終わった、のか……?」
荒い息を吐きながら、ユリオは、その場に膝をついた。全身の力が、一気に抜けていく感覚があった。
「ユリオ! 大丈夫!?」
リィナが、慌てて駆け寄ってきた。
「なんとか……。それより、みんな、無事か」
「怪我人は出たけど、命に別状はないわ」
その言葉に、ユリオは、心底安堵した様子で、深く息を吐いた。
荷物の陰から、ロトが、恐る恐る顔を出した。
「ユリオ、さん……」
「ロト、大丈夫か!」
駆け寄ろうとするユリオを、ロトの方が、逆に支えるように寄り添った。
「僕は、平気です。それより、ユリオさんの方が……」
ロトの目には、心配と、そして、隠しきれない感謝の色が浮かんでいた。
「守ってくれて、ありがとうございます」
その素直な言葉に、ユリオは、疲労の中にも、確かな温かさを感じていた。
少し離れた場所で、カイエルが、鋭い眼差しでユリオを見つめていた。
「――お前、また力を使ったな」
「……ああ。詳しいことは、俺にもよくわからないけど」
「その力のおかげで、被害を最小限に抑えられたのは、事実だ」
カイエルの声には、これまでの警戒ではなく、確かな信頼の色が滲んでいた。
「体は、大丈夫なのか」
「正直、めちゃくちゃきついけど……なんとか」
その返答に、カイエルは、少し眉をひそめた。
「無理はするな。その力に、どれほどの代償が伴うのか、まだ誰も正確には把握できていない」
「わかってるよ。でも、みんなを守れたなら、それでいい」
その迷いのない答えに、カイエルは、静かに頷いた。
「……お前のような者が、もっと早くから、私の目の前にいれば良かったのかもしれんな」
「どういう意味だよ、それ」
「深い意味はない。ただの独り言だ」
素っ気なく答えるカイエルだったが、その表情には、確かな敬意が滲んでいた。
私兵たちも、それぞれの傷の手当てをしながら、興奮冷めやらぬ様子で、この夜の出来事を語り合っていた。
その輪の中に、ロトの姿もあった。おずおずと、それでも懸命に、包帯を巻く手伝いをして回っている。
「……妙だな。あのちっこいのに巻いてもらったところは、痛みが引くのが早い気がする」
私兵の一人が、腕の傷を見下ろしながら、不思議そうに首をひねった。
「気のせいだろう。……まあ、ありがたい気のせいだがな」
別の一人が笑い、ロトは、恥ずかしそうに俯いた。誰も、それ以上、深くは考えなかった。
「見たか、坊主の動き。まるで、これから何が起こるか、わかってるみたいだった」
「ああ、只者じゃねえな、あれは」
その評判に、ユリオは、少し照れくさそうに視線を逸らした。
少し離れた場所で、リィナもまた、静かにユリオの様子を見つめていた。三度目の発動――それは、単なる偶然の連続ではなく、確かに、彼の力が少しずつ、何かへと近づきつつある証のように、彼女の目には映っていた。
(この力が、いずれ、あなた自身の意志で扱えるようになる日が来る)
そんな確信めいた予感を抱きながら、リィナは、静かに、傷ついたユリオの隣に腰を下ろした。
夜明けを待つ間、リィナは、ふと思い立って、荷物の中から、手帳を取り出した。今日の日付、襲撃のあった刻限、そして、ユリオの力が発動したと思われる、おおよその時刻――それらを、調査官としての癖になっている、几帳面な字で、書き留めていく。
(いつか、この記録が、何かの役に立つ日が、来るかもしれない)
その時は、まだ、漠然とした予感に過ぎなかった。だが、この夜、焚き火の明かりの下で書き留められた数行の記録が、後に、大きな意味を持つことになるのを――まだ、彼女自身も、知らなかった。
夜が明け始める中、傷ついた一行は、それぞれの無事を確かめ合いながら、静かに、この夜の出来事を、胸に刻み込んでいった。三度目の刻の狭間――その力は、確実に、何かを変え始めていた。
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