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第四十六話 夜襲

※本話には、暴力的な描写・残酷な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。

王都まで、あと数日という距離まで迫った夜のことだった。


 その日の夕方から、カイエルの様子が、いつも以上に優れなかった。頭痛を訴えることこそなかったものの、時折、遠くを見つめるような、うつろな表情を見せることがあった。


「大丈夫ですか」


 リィナが、そっと声をかけると、カイエルは、我に返ったように瞬きをした。


「……ああ、問題ない」


 その返答には、いつもの毅然とした響きが欠けていた。リィナは、それ以上何も言わなかったが、内心では、拭いきれない不安を抱えていた。


 いつも通り野営の準備を終え、見張りの交代制も整えたところで、一行は、それぞれの休息についていた。ユリオも、疲れた体を横たえ、浅い眠りに落ちていた。


 異変に気づいたのは、深夜のことだった。


「――誰だ!」


 見張りに立っていた私兵の、鋭い誰何の声が響いた。同時に、闇の中から、幾つもの人影が、音もなく現れた。まるで、初めから闇そのものの一部であったかのように、その気配は、見張りの目を掻い潜っていた。


「敵襲!」


 その声に、野営地は、瞬く間に緊張に包まれた。ユリオも、飛び起きるように立ち上がり、剣を手に取った。心臓が、早鐘のように打ち始める。


「何者だ、お前ら!」


 カイエルの誰何にも、侵入者たちは答えなかった。ただ、統率の取れた動きで、じりじりと、包囲網を狭めてくる。松明の乏しい灯りに照らされたその姿は、黒装束に身を包み、顔立ちすらはっきりとは見えなかった。


「動きが、野盗のそれとは違うな」


 カイエルが、剣を構えながら、鋭く分析した。


「訓練された、正規の何かか……」


 黒装束に身を包んだ襲撃者たちは、一切の無駄がない動きで、次々と斬りかかってきた。私兵たちが、必死に応戦する。


「くっ……!」


 一人の私兵が、深手を負って倒れ込んだ。予想以上に、手強い相手だった。


「退くな! 隊列を崩すな!」


 カイエルの怒声が、混乱の中に響き渡る。負傷した私兵を庇いながら、残る者たちが、必死に態勢を立て直していく。だが、襲撃者たちの容赦のない猛攻は、留まる気配を見せなかった。


   ◇


「ロトを守れ!」


 ユリオが叫んだ。混乱の中、まだ幼いロトを、確実に守らなければならない。


「は、はい……!」


 ロトは、恐怖に震えながらも、ユリオの指示に従い、荷物の陰に身を隠した。


「大丈夫だ、俺がついてる」


 その言葉に、ロトは、必死に頷いた。震える小さな体を、精一杯縮こまらせながら、ロトは、これまで経験してきた過酷な労働の日々よりも、なお深い恐怖に、押し潰されそうになっていた。それでも、ユリオの言葉だけが、辛うじて彼の心を支えていた。


 だが、その隙を突くように、一人の襲撃者が、ロトの潜む場所に向かって、鋭く踏み込んできた。


「――ロト!」


 ユリオは、考えるよりも先に、その場に飛び込んでいた。襲撃者の剣が、ユリオの体を捉える寸前――


「危ない!」


 カイエルが、割り込むようにして、その剣を弾き返した。


「無茶をするな! 一人で突っ込むんじゃない!」


「悪い……!」


 冷や汗を流しながら、ユリオは、体勢を立て直した。荷物の陰から、ロトの怯えた瞳が、こちらを見つめている。その視線に応えるように、ユリオは、剣を握り直した。


(絶対に、守り抜く)


 その決意を胸に、ユリオは、再び戦線へと戻っていった。


   ◇


 戦況は、次第に混沌としていった。襲撃者たちの数は、決して多くはなかったが、その練度は、明らかに常軌を逸していた。


「これは……何かに操られているような、動きだな」


 カイエルが、剣を交えながら、違和感を口にした。


「操られてる、って……」


「目に、生気が感じられない。まるで、意志のない人形のようだ」


 その指摘に、ユリオの背筋が、冷たくなった。単なる刺客ではない、何か、もっと不気味な存在が、この襲撃の裏に潜んでいるのではないか――そんな予感が、拭いきれなかった。


「ザイラス帝国の、間者……!?」


 剣を構えながら、リィナが叫んだ。


「わからん。だが、帝国の正規兵にしては、動きが統率されすぎている。不自然だ」


 カイエルの声にも、困惑が滲んでいた。人間らしい恐怖も躊躇いも見せず、ただひたすらに機械的な攻撃を繰り返す襲撃者たちの姿は、これまで戦ってきたどんな敵とも、異質な印象を与えていた。


「まさか、これも――」


 言いかけたリィナの脳裏に、ゼルギアの気配という言葉が過った。だが、確証のないまま、それを口にする余裕は、今の彼女にはなかった。


 ガイもまた、二人の襲撃者を相手に、苦戦を強いられていた。


「くそ、こいつら、痛みを感じてねえのか……!」


 深手を負わせたはずの相手が、なおも怯むことなく、攻撃を続けてくる。その異様さに、ガイの顔にも、隠しきれない焦りが浮かんでいた。


「カイエル様、こいつら、普通じゃありません!」


「わかっている! だが、退くわけにはいかん!」


 リィナも、剣を手に、必死に応戦していた。調査官としての訓練を積んでいたとはいえ、実戦経験は、決して豊富ではない。それでも、彼女は、恐怖に押しつぶされることなく、冷静に周囲の状況を見極めようとしていた。


「数は、こちらが上のはず……! 押し切れる!」


 カイエルの号令に、私兵たちが、態勢を立て直していく。だが、襲撃者たちの動きは、いよいよ苛烈さを増していった。


 その最中、カイエルの動きに、微かな乱れが生じ始めていた。


「――っ」


 剣を振るう手が、一瞬、止まった。頭の奥で、あの馴染みの雑音が、いつになく強く響いている。


「カイエル様!?」


 ガイの声にも、辛うじて反応する。


「問題ない……!」


 歯を食いしばりながら、カイエルは、なんとか体勢を立て直した。だが、その一瞬の隙が、戦況に、微かな綻びを生んでいた。


   ◇


 激しい攻防の中、ユリオは、一人の襲撃者と、正面から刃を交えることになった。


 これまで戦ってきた野盗たちとは、まるで次元の違う剣速。無駄のない、機械的とも言える斬撃が、次々と繰り出される。


「ぐっ……!」


 防戦一方になりながらも、ユリオは、必死に食らいついた。ガレオンから叩き込まれた基礎の型を頼りに、辛うじて致命的な一撃だけは避け続ける。だが、体力は、確実に削られていた。


(このままじゃ、まずい……!)


 焦りが、判断力を鈍らせる。周囲では、まだ激しい戦闘が続いている。誰かに助けを求める余裕すらなかった。


 襲撃者の剣が、鋭い弧を描いた。ユリオは、辛うじてそれを受け止めようとした。だが、疲労で鈍った反応が、一瞬、遅れた。


「――っ!」


 木剣とは違う、真剣同士がぶつかる重い衝撃。ユリオの剣が、大きく弾かれた。手から、剣が滑り落ちる。


 体勢を崩したユリオの喉元に、襲撃者の刃が、迫っていた。


 時間の流れが、ひどく引き伸ばされて感じられた。迫る刃の輝き。周囲の喧騒が、遠のいていく。


(また、ここで――)


 崖から落ちたあの日、靄に飲まれたあの瞬間と、同じ感覚。抗いようのない、死の予感。だが、今回は、これまでとは、決定的に違うものがあった。


 視界の端に、荷物の陰から、こちらを見つめるロトの怯えた瞳が映った。守ると誓ったはずだった。それなのに、ここで自分が倒れれば、その約束すら、果たせなくなる。


「ロト……リィナ……!」


 届くはずのない声で、それでも、大切な人たちの名を呼びながら、ユリオは、迫る刃を、見つめていた。


 絶望と、そして――消えることのない、確かな意志。その両方を抱えたまま、ユリオの意識は、白く塗りつぶされていった。


 周囲の喧騒も、迫る刃の輝きも、全てが、遠い彼方の出来事のように感じられた。それでも、消えかけた意識の底で、ユリオは、一つだけ、はっきりとした想いを握りしめていた。


 ここで、終わるわけにはいかない。

お読みいただき、ありがとうございます。

「巡り紋」は毎日更新予定です。

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