第四十二話 国境の町
街道を進むこと数日、一行は、ついにザイラス帝国との国境に近い町へと到着した。
遠くに町並みが見え始めた頃から、これまでとは違う空気を、ユリオは肌で感じ取っていた。人の行き来は多いはずなのに、どこか、活気よりも緊張の方が勝っているような、そんな独特の重さがあった。
その町の様相は、これまで訪れたどの町とも、明らかに異なっていた。
「なんか……空気が、重いな」
ユリオが、率直な感想を漏らした。町の入り口には、物々しい雰囲気の検問所が設けられ、武装した兵士たちが、行き交う人々を厳しく監視していた。荷物を検められる商人、身分証を提示させられる旅人――誰もが、どこか怯えたような表情を浮かべていた。
「国境防衛の要衝だからな。これくらいの警戒は、当然のことだ」
カイエルが、淡々と説明する。だが、その表情にも、これまでとは違う、確かな緊張が滲んでいた。
検問の順番を待つ間、ユリオは、周囲の様子を観察していた。列に並ぶ人々の中には、明らかに疲弊しきった様子の者たちも混じっていた。荷物も持たず、ただ着の身着のままといった風情の家族連れが、不安げに周囲を見回している。
「あの人たちも、避難民か?」
「恐らくな」
カイエルの短い返答に、ユリオは、これから目にすることになる現実の重さを、改めて実感した。
検問を抜けると、町の中は、意外にも、活気に満ちていた。だが、その活気の中に、どこか、これまでの町とは違う、独特の緊迫感が漂っていることに、ユリオはすぐに気づいた。
道の端に、粗末な身なりの人々が、寄り添うように座り込んでいるのが目についた。
「あの人たち……」
「難民、だろうな」
カイエルが、静かに答えた。
「帝国との国境地帯では、こうした避難民が、後を絶たない。理由は、様々だが……」
その言葉を遮るように、道の向こうから、荷馬車を引く一団が近づいてきた。荷車の周りを固めるのは、鎖に繋がれた、獣の耳と尾を持つ人々――獣人たちだった。
「うわ、あれ……」
ユリオは、思わず息を呑んだ。獣人たちの表情には、生気が感じられなかった。ただ、命じられるがまま、機械的に足を動かしているだけのように見えた。
「あれが、帝国の労働力徴用の実態か……」
リィナも、険しい表情で、その光景を見つめていた。
「見ての通りだ」
カイエルの声には、これまでにない、重い響きがあった。
「あの獣人たちは、恐らく、鑑定紋のランクが低いという理由だけで、ああして強制的に働かされているのだろう。人間であろうと獣人であろうと、帝国の理屈では、大差ない」
その説明に、ユリオの胸に、強い怒りが込み上げてきた。
「なんで、誰も助けないんだよ」
「助けようにも、ここはアルカナ王国の管轄外に近い。それに、帝国の内政に、迂闊に介入すれば、外交問題に発展しかねない」
カイエルの冷静な説明が、かえって、ユリオの怒りを増幅させた。
「そんな理屈で、目の前の人が苦しんでるのを、見過ごせって言うのかよ」
「私も、それでいいとは思っていない」
カイエルの声には、これまでの彼らしからぬ、感情的な響きが滲んでいた。
「だが、感情だけで動けば、より大きな混乱を招くこともある。今の私に、何ができるか――それを、慎重に見極める必要がある」
その言葉には、単なる建前ではない、確かな葛藤が滲んでいた。
◇
宿を確保した後、一行は、町の様子をさらに調べることにした。
宿の主人は、初老の実直そうな男だった。夕食の配膳をしながら、それとなく世間話に応じてくれた。
「旅の方々かい。この時期にこの町を訪れるとは、なかなか物好きだね」
「国境の様子を、見ておきたくて」
リィナが、それとなく水を向けると、主人は、周囲を気にするように声を落とした。
「あまり大きな声じゃ言えないが……ここ最近、帝国側から逃げてくる人が、増える一方でね」
「どういう理由でですか」
「様々さ。徴用を逃れてきた者、家族を引き裂かれた者……中には、ランクが低いというだけで、生まれ育った村を追い出された者もいる」
その話に、ユリオは、思わず眉をひそめた。
「追い出されるって、そんな理不尽な話があるのか」
「帝国じゃ、当たり前のことなんだよ、坊主。ランクが低い者は、村の資源を無駄に消費するだけの厄介者扱いされる。ひどい時には、集落ごと『再配置』なんて名目で、労働地区に強制移住させられることもある」
その説明に、一行は、揃って言葉を失った。
「こっちの国は、まだマシな方さ。それでも、この町まで逃げてきた人たちが、みんな幸せに暮らせているわけじゃない。仕事もない、頼れる知り合いもいない――そういう人たちが、あの通りに座り込んでいるのさ」
主人の言葉には、日々の暮らしの中で、こうした現実を目の当たりにしてきた者だけが持つ、重い実感が滲んでいた。
市場を歩くと、そこにも、格差の影が色濃く落ちていた。裕福そうな商人たちが行き交う一角と、粗末な身なりの人々がひしめく一角とが、はっきりと分かれていた。
「露骨だな……」
ユリオが、思わず呟いた。
「アルカナ王国にも、格差は存在するわ。でも、ここまであからさまではない」
リィナの声にも、隠しきれない衝撃が滲んでいた。
市場の一角で、一人の老婆が、道端で物乞いをしている姿が目に入った。その手には、色褪せた紋――低いランクを示す印が、はっきりと見て取れた。
「私、あの人に、何かできることは……」
リィナが、思わず足を止めた。
「気持ちはわかる。だが、一人を助けたところで、この町の根本的な問題は、何も変わらない」
カイエルの冷静な指摘に、リィナは、唇を噛んだ。
「それでも、何もしないよりはマシです」
そう言うと、リィナは、懐から取り出した小銭を、老婆にそっと差し出した。老婆は、驚いた様子で、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、お嬢様……」
その素朴な感謝の言葉に、リィナの目には、微かに涙が滲んでいた。
その光景を見つめながら、ユリオは、拳を強く握りしめていた。
(俺に、何ができるんだろうな)
答えの出ない問いを抱えながら、それでも、この現実から目を逸らしてはいけないという想いが、ユリオの胸に、確かに根付き始めていた。
少し離れた場所で、ガイも、複雑な表情でその光景を見つめていた。
「坊主も、色々思うところがあるだろうな」
「ああ。なんか、俺が村で経験してきたことなんて、大したことなかったんだなって、思い知らされるっていうか」
「比べるもんじゃねえと思うぜ、それは。辛さの種類が違うだけで、坊主が味わってきたもんも、決して軽いもんじゃない」
その言葉に、ユリオは、少しだけ救われた気がした。
「それでも、目の前でこんな現実を見せられたら、何もしないでいられねえよ」
「その気持ちは、大事にしろよ。ただ、無闇に動いても、何も変えられねえのも事実だ。まずは、王都で、しっかりと力をつけることだな」
ガイの助言に、ユリオは、静かに頷いた。
宿へと戻る道すがら、カイエルもまた、一人、物思いに耽っていた。これまで、紋の絶対性を信じて疑わなかった自分の中に、確かな変化が生まれつつあることを、改めて実感していた。
(秩序とは、一体何のためにあるのか)
その根源的な問いが、カイエルの胸の中で、これまで以上に重く響いていた。答えは、まだ見つからない。それでも、この旅を通じて得た経験の一つ一つが、彼の中で、確かな意味を持ち始めていた。
夜が更ける中、それぞれの想いを抱えながら、一行は、国境の町での一夜を過ごすことになった。明日には、再び王都への道を急ぐことになる。だが、この町で目にした現実は、誰の心にも、決して消えることのない、重い刻印として残り続けることになった。
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