第四十一話 悔しさの先
野盗との一件から数日、山道を抜けた一行は、比較的平坦な街道に戻っていた。傷もほとんど癒え、旅の空気にも、少しずつ落ち着きが戻りつつあった。
だが、ユリオの心の中には、あの日の悔しさが、まだ確かに燻っていた。守りきれなかったという事実。そして、自分の力を、まだ何一つ自分の意志で扱えていないという現実。それらが、彼の中に、新たな焦りを生んでいた。
休憩の合間、ユリオは、私兵の一人に稽古をつけてもらうことにした。
「なあ、ガイさん。時間ある時でいいんだけど、稽古つけてくれないか」
「お、やる気だな。いいぜ」
ガイは、快く木剣を手に取った。周囲の私兵たちも、興味深そうに、二人の様子を見守り始めた。
「今日は、いつもの打ち合いとは、ちょっと違うことを試したいんだ」
「違うことって?」
「爺さんに教わったんだ。俺の紋は、五行のどれにも属さないから、属性同士の相性――相克ってやつが、俺には効かないらしい」
「へえ、そいつは面白いな」
「でも、それを実際にどう活かせばいいのか、まだよくわかってなくてさ」
ガイは、興味深そうに頷いた。
「じゃあ、俺が火属性の動きを真似てやるから、それに対して、何か感じるものがあるか、試してみるか」
「頼む」
二人は、木剣を構え直した。ガイが、闘気を纏わせるような仕草で、模擬的に攻撃を繰り出す。ユリオは、意識を研ぎ澄ませながら、その一撃を受け止めた。
「……何か、感じるか?」
「うーん、正直、いつもと変わらない感じがする」
期待していたような、特別な感覚は、何も湧いてこなかった。ユリオは、少し落胆した様子で肩を落とした。
「まあ、そう簡単にはいかないもんだろ」
「そうだよな……」
その後も、ユリオは、様々な試みを繰り返した。呼吸を変えてみる。目を閉じて構えてみる。あえて相手の攻撃を真正面から受け止めてみる。だが、どれも、これといった手応えを得られないまま、時間だけが過ぎていった。
「くそ、なんでうまくいかねえんだよ」
苛立ちを隠せない様子のユリオに、ガイは、苦笑しながら声をかけた。
「そう焦るなって。半日やそこらで掴めるもんじゃねえだろ、こういうのは」
「わかってるけど……」
少し離れた場所で、その様子を見ていたカイエルが、静かに歩み寄ってきた。
「何をしている」
「爺さんに教わった、属性がないことの利点を、意識的に使えないか試してるんだ」
「ふむ」
カイエルは、腕を組みながら、興味深そうにユリオの様子を観察した。
「一つ、助言をしてもいいか」
「あんたから助言?」
「意外か」
「まあ、正直言うとな」
軽口を交わしながらも、ユリオは、真剣に耳を傾ける姿勢を見せた。
「力というのは、意識して引き出そうとするほど、遠のくことがある。私も、幼い頃、闘気の扱いに苦労した時期があった。焦れば焦るほど、うまくいかなかったものだ」
「じゃあ、どうすればよかったんだよ」
「型を、体に染み込ませることだ。頭で考えるのではなく、体が覚えるまで、ひたすら繰り返す。お前が積んできた基礎の稽古は、そのための土台になっているはずだ」
その助言には、ガレオンの教えとも通じる、確かな重みがあった。
「……なるほどな」
ユリオは、静かに頷いた。焦りだけでは、何も得られない。地道な積み重ねこそが、確かな力になる――その事実を、改めて実感させられた。
◇
休憩の間、リィナも、その様子を見守っていた。
「難しそうね」
「ああ。属性がないから相性で不利にならないって言われても、実際どうすればいいのか、全然わかんねえんだよな」
「エルフの記録にも、詳しい制御方法までは、書かれていなかったものね」
リィナは、少し考え込むように顎に手を当てた。
「もしかしたら、意識してどうこうするものじゃなくて、無意識の領域にあるものなのかもしれないわ」
「無意識、か」
「あなたの力が、これまで全て、死の淵という極限状態で発動してきたことを考えると、普段の意識で制御しようとすること自体が、そもそも違うアプローチなのかもしれない」
その分析に、ユリオは、なるほど、と頷いた。
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「わからないわ。でも、焦らず、色々試してみることね」
「わからないって言われると、余計焦るんだけどな」
「気持ちはわかるけれど、こういうことは、無理に急いでも、良い結果には繋がらないものよ」
リィナの言葉には、調査官として、長年培ってきた経験に裏打ちされた説得力があった。
「エルフの記録にも、力を制御できた者と、できなかった者の違いは、孤独に抱え込んだかどうかだと書かれていたでしょう。あなたは今、一人で抱え込んでいないわ。だから、きっと、大丈夫」
その励ましに、ユリオは、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
◇
その日の午後、再びガイとの稽古を始めたユリオは、これまでとは違うアプローチを試してみることにした。
「今度は、逆に、力を抜いてみる」
「力を抜く?」
「なんつーか、意識しすぎるとダメな気がしてさ。爺さんの基礎稽古も、最初は意味わかんなかったけど、体に染み込ませることで、初めて自然にできるようになったし」
ユリオは、木剣を構え、あえて構えすぎないよう、自然体を心がけた。ガイの一撃を受け止める瞬間、意識を、頭ではなく、体そのものに委ねてみる。
「――っ」
その瞬間、ほんの微かにだが、これまで感じたことのない、奇妙な感覚があった。まるで、体の中を、何かがすり抜けていくような、そんな感触。
「今、何か、あったか?」
ガイが、目敏くその変化に気づいた。
「わかんねえけど……なんか、一瞬、違う感じがした」
「詳しく言うと?」
「体の中を、何かが通り抜けたっていうか……上手く言葉にできないんだけど」
その曖昧な感覚を、ユリオは、なんとか言語化しようと試みた。だが、明確な手応えというには、あまりにも儚いものだった。
「まあ、今日はそれだけでも収穫かもな」
「そうかな」
「ああ。こういうのは、一朝一夕にはいかねえもんさ。少しずつでいい」
ガイの励ましに、ユリオは、小さく頷いた。
◇
夜、野営地で、ユリオは、その日の手応えを、リィナに報告した。
「へえ、体の中を何かが通り抜ける感覚、ね」
「うまく説明できないんだけど、確かに、何かが変わった気がしたんだ」
「それは、大事な手がかりかもしれないわね。少しずつでも、前進しているということよ」
その言葉に、ユリオは、静かに自分の右手を見つめた。灰色の紋が、焚き火の光に照らされて、いつもより、わずかに、輪郭がはっきりして見える気がした。
(まだまだ、ちゃんと使いこなせるには程遠いけど……)
それでも、確かな一歩を踏み出しているという実感が、悔しさの中にも、小さな希望の光として、ユリオの胸に灯り始めていた。
「焦らずいこうな、坊主」
ガイが、そう言って、ユリオの肩を軽く叩いた。
「ああ。でも、諦めるつもりもねえよ」
その決意に満ちた表情に、ガイは、満足そうに頷いた。
少し離れた場所では、カイエルもまた、静かにその様子を見守っていた。
(あの粘り強さは、確かに、紋のランクだけでは測れないものだな)
これまで、紋の絶対性を疑うことのなかったカイエルの中で、その考えは、もはや、揺るぎない実感として根付きつつあった。
王都への道のりは、まだ半分も終わっていない。だが、この旅を通じて、少しずつ、自分自身の力と向き合う術を、ユリオは着実に身につけつつあった。焦らず、腐らず、一歩ずつ。それこそが、彼にとって、最も確かな成長の道筋だった。
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