第三十五話 リィナの疑問
集落に滞在するようになってからというもの、リィナは、与えられた住居でも、集落を歩いている間も、ずっと何かを考え込んでいる様子だった。
木々に囲まれたこの集落の景色にも、いくらか目が慣れてきていた。それでも、シルヴィエルやフィオレルから聞いた話の一つ一つが、頭の中で複雑に絡み合い、彼女の思考を離さずにいた。
「なあ、リィナ。さっきからずっと難しい顔してるけど、大丈夫か?」
住居の縁側のような場所で、ユリオが声をかけると、リィナは、手元の羊皮紙から顔を上げた。
「ええ、大丈夫よ。ただ、色々と、整理しておきたいことがあって」
彼女の手元には、旅の間に書き溜めた、細かい文字でびっしりと埋まったメモの束があった。
「見せてもらってもいいか?」
「構わないわ」
差し出されたメモを覗き込むと、そこには、これまでの旅で得た情報が、丁寧に整理されていた。
老司祭の手記の内容。エルフの伝承に登場する「刻の狭間を歩く者」。旧ヴェルニア領崩壊の経緯。そして、王都で機密指定されているという、あの記録。
「あんた、こんなに細かくまとめてたのか」
「調査官の性分ね。情報は、整理しないと、頭の中で埋もれてしまうから」
リィナは、羊皮紙の一角を指差した。
「見て。ここに、一つの疑問があるの」
「なんだよ」
「エルフの伝承によれば、あの若者が理論を編み出したのは、約四十年前。それが制度として正式採用されたのが、約三十五年前。そして、彼が旧ヴェルニア領を崩壊させたのが、約二十九年前——シルヴィエル様が、そう仰っていたわ」
「うん、そこまでは聞いた話と合ってるよな」
「その間、六年の空白があるわ。制度として採用されてから、崩壊に至るまでの六年間、彼の身に何があったのか。エルフの話では、彼が集落を訪れたのは、その空白期間のどこかということになる」
「その六年間に、何があったかって話か」
「ええ。制度が社会に広まっていく過程を、彼自身がどう見ていたのか。自分の紋だけが取り残されていく現実を、日々どう受け止めていたのか。エルフの伝承だけでは、そこまで詳しくはわからないの」
「もしかしたら、王都の記録の中に、その辺りの手がかりがあるかもしれないな」
「ええ、その可能性はあるわ。少なくとも、機密指定された記録には、何かしらの理由があるはずだから」
リィナは、羊皮紙の余白に、小さく「六年間の空白」と書き加えた。
「ええ。そして、もう一つ。十三歳のあなたの鑑定記録に添えられていた、王都本院への照会の走り書き。あれが、なぜ五年もの間、放置されていたのか」
リィナの目には、調査官としての、鋭い探究心が宿っていた。
「考えられる可能性は、いくつかあるわ」
リィナは、指を折りながら、整理するように続けた。
「一つ、単純な事務手続きの不備。膨大な記録の中に埋もれてしまった、というだけの話。二つ、担当者の判断ミスで、重要度を見誤られた。三つ――」
「三つ?」
「意図的に、握りつぶされた」
その言葉に、ユリオの背筋が、冷たくなった。
「もし三つ目だとしたら、誰が、何のためにそんなことを?」
「わからないわ。でも、一つだけ言えるのは、あなたの紋の記録が『機密指定』されているという事実。単なる事務的な不備なら、わざわざ機密扱いにする必要はないはずよ」
「言われてみれば、そうだな」
「機密指定というのは、通常、王族や高位貴族に関わる特別な事案にのみ適用される、極めて例外的な措置なの。辺境の一少年の紋の記録に、なぜそこまでの厳重な扱いが必要なのか——」
リィナは、羊皮紙に、また新たな一文を書き加えた。
「もし、その放置が単なる怠慢ではなく、意図的なものだったとしたら――一体、誰が、何の目的で、その情報を隠したのか」
「それがわかれば、俺の紋の秘密にも、もっと近づけるかもしれないってことだよな」
「そうよ。そして、それ以上に――」
リィナは、少し声を落とした。
「鑑定院という組織そのものの、もっと大きな闇に繋がっている可能性もある」
その言葉の重みに、ユリオは思わず息を呑んだ。
◇
少し離れた場所で、カイエルもまた、リィナの言葉に耳を傾けていた。
「鑑定院の闇、か」
その呟きに、リィナが振り返った。
「聞こえていましたか」
「聞くつもりはなかったが、聞こえてしまった」
カイエルは、焚き火の炎を見つめながら、静かに続けた。
「もし、お前の推測が正しいなら――鑑定院の内部に、この件を意図的に隠蔽しようとする者がいるということになる」
「その可能性は、否定できません」
「厄介だな。私の家門も、鑑定院とは浅からぬ繋がりがある。もし、その闇に、家の関係者が絡んでいるとしたら……」
カイエルの声には、これまでにない緊張感が滲んでいた。自らの信じてきた組織の内側に潜む不正を想像することは、彼にとっても、決して容易いことではなかった。
「協力していただけますか」
リィナが、真剣な眼差しでカイエルを見た。
「王都に着いたら、私だけの力では、機密指定の記録に近づくことすら難しいでしょう。でも、あなたの家格と立場があれば、話は違ってくるはずです」
カイエルは、しばらく沈黙した後、静かに頷いた。
「わかった。協力しよう。だが、一つ条件がある」
「何でしょう」
「もし、私の家が、この一件に何らかの形で関わっていたとしても――事実は事実として、包み隠さず明らかにすること。それを、約束してほしい」
その言葉には、覚悟にも似た響きがあった。カイエルにとって、自らの家門の名誉よりも、真実そのものを優先するという決断は、決して軽いものではなかったはずだ。
「約束します」
リィナが、迷いなくそう答えた。
「王都に着いたら、慎重に調べを進める必要があるわね」
「ああ。だが、慎重すぎても、真実にはたどり着けん」
二人のやり取りを聞きながら、ユリオは、改めて、これから向かう王都という場所の複雑さを、実感させられていた。
◇
その夜、ユリオは、なかなか寝付けずにいた。エルフの集落で聞いた話、リィナの分析、そして、自分自身の中に眠る、まだ正体の掴めない力。全てが、頭の中で、複雑に絡み合っていた。
(王都に着いたら、色々なことがわかるのかな)
期待と不安が入り混じった思いを抱えながら、ユリオは、星空を見上げた。
少し離れた場所では、リィナが、まだ羊皮紙に向かって、何かを書き続けていた。ランプの灯りに照らされたその横顔には、疲労の色も見えたが、それ以上に、確かな使命感のようなものが浮かんでいた。
「まだ起きてるのか」
ユリオが、そっと声をかけた。
「ええ、もう少しだけ」
「無理すんなよ」
「大丈夫よ。こういう時間が、案外好きなの。パズルのピースを、一つ一つ埋めていくみたいで」
その言葉に、ユリオは小さく笑った。
「あんたらしいな、それ」
「そう?」
「ああ。そういうところ、俺は結構、尊敬してる」
その素直な言葉に、リィナは少し照れくさそうに視線を逸らした。
「……ありがとう」
その真剣な横顔を見つめながら、ユリオは、静かに思った。
(あいつは、あいつなりに、必死に戦ってるんだよな)
剣を握らずとも、知識と論理という武器で、真実に立ち向かおうとするリィナの姿は、ユリオにとって、また違う種類の強さとして、深く胸に刻まれていた。
旅は、まだ道半ばだった。だが、確かな手がかりを積み重ねながら進む一行の足取りには、これまで以上の、確かな目的意識が宿り始めていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
「巡り紋」は毎日更新予定の長編ファンタジーです。
続きが気になりましたら、ブックマーク・下の☆☆☆☆☆からの評価をいただけると励みになります。




