第三十一話 森の民、再び
街道を進みながら、ユリオは、ずっと考えていることがあった。
「なあ、リィナ。ちょっと提案があるんだけど」
「何かしら」
「王都に行く前に、一度、エルフの集落に寄れないか?」
その申し出に、リィナは意外そうな顔をした。
「急にどうしたの」
「前に、村の近くの森で会ったエルフが、俺の紋のことで、意味深なことを色々言ってたんだ。『同じ道を辿るつもりがないなら、力の正体を自分で見極めろ』って。あの時は、それ以上何も教えてくれなかったけど……もっと詳しい話が聞けるかもしれないと思ってさ」
「なるほどね」
リィナは、少し考え込むように顎に手を当てた。
「実は、私も気になっていたことがあるの。老司祭の手記に記されていた、灰色の紋にまつわる言い伝え。あれも、元を辿れば、エルフの言い伝えに由来している可能性があるわ」
「じゃあ、決まりだな」
二人のやり取りを聞いていたカイエルが、口を挟んだ。
「王都への到着が遅れることになるが、構わないのか」
「情報の重要性を考えれば、多少の遅れは許容範囲のはずです。それに――」
リィナは、真剣な眼差しでカイエルを見た。
「ユリオの力の正体が、ゼルギアの脅威に対抗する鍵になるかもしれない以上、その手がかりを得ることは、決して回り道ではないはずです」
その論理的な説明に、カイエルはしばらく考え込んだ後、頷いた。
「わかった。だが、あまり長居はできんぞ」
「もちろんです」
こうして、一行の旅路に、予定外の寄り道が加わることになった。
◇
街道を外れ、鬱蒼とした森へと踏み込んでいく。馬での移動が難しくなり、一行は途中から徒歩に切り替えた。
「エルフの集落って、どの辺にあるんだ?」
「正確な場所はわからないわ。でも、以前会ったエルフが、この方角の森の奥深くに、大きな集落があるという話をしていたはずよ」
「本当に見つかるのかね、これ」
私兵の一人が、不安げに周囲を見回した。深い森の中は、木々が生い茂り、進むべき道すら判然としない。
カイエルもまた、慣れない森の中の移動に、わずかな苛立ちを滲ませていた。
「効率の悪い道行きだな」
「文句言うなよ、あんたも来るって決めたんだろ」
「決めた以上、文句を言うつもりはない。ただの感想だ」
軽口を叩き合いながらも、一行の足取りには、確かな緊張感があった。森の奥へ進むにつれ、空気が徐々に変わっていく。木漏れ日の色合い、鳥のさえずりの質感、足元の苔の柔らかさ――全てが、人里とは違う、独特の静謐さを帯びていた。
「なんか、この森、人間の来る場所じゃない感じがするな」
ユリオが、ぽつりと呟いた。
「その感覚は、正しいわ。エルフの縄張りには、彼らなりの結界のようなものが張られていると聞いたことがある」
「結界って、俺たち大丈夫なのか」
「さあ。招かれざる客として扱われないことを願うしかないわね」
その不安を裏付けるように、木々の合間から、複数の視線が、一行の動きをじっと追っているような気配が漂い始めていた。
「――招かれざる者には、決して道を示さないものだ」
不意に、聞き覚えのある声が、木々の合間から響いた。
「――あんたは!」
ユリオが振り返ると、そこには、以前会ったあのエルフが、静かに佇んでいた。
「まさか、また会えるとはな」
「お前が、私に会いに来るとは思っていなかった」
エルフは、感情の読めない表情で、一行を見回した。
「連れがずいぶん増えたようだが」
「色々あってさ。あんたに、もっと詳しい話を聞きたくて来たんだ」
ユリオの率直な物言いに、エルフはしばらく沈黙していた。
「……ついてこい」
短くそう言うと、エルフは踵を返し、森の奥へと歩き出した。一行は、戸惑いながらも、その後を追った。
◇
道なき道を進むこと、しばらく。木々の合間から、次第に、人工的な気配が漂い始めた。
やがて視界が開けると、そこには、想像していたよりもはるかに大規模な集落が広がっていた。木々と一体化するように建てられた住居、精緻な彫刻が施された橋、そして、あちこちを行き交う、多くのエルフたちの姿。
「うわ、すげえな……」
ユリオは、思わず声を漏らした。辺境の村とも、宿場町とも、まるで異なる美意識で作られた、幻想的な光景だった。巨大な木の幹をくり抜いて作られた住居、樹上を繋ぐ吊り橋、光を透かして輝く葉々の天蓋――どれもが、人間の技術とは異なる、自然と調和した美しさを湛えていた。
「あれ、見ろよ。あの木の上の建物」
「本当ね。木を傷つけずに、あれだけの建築物を作り上げているなんて……」
リィナも、感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。長年、王都の洗練された建築美に囲まれて育ってきた彼女にとっても、この光景は、新鮮な驚きに満ちていた。
カイエルもまた、口には出さないものの、興味深そうにその光景を眺めていた。整然としているようで、どこか有機的な統一感を持つこの集落の在り方は、彼が知る王国の秩序とは、また違う種類の秩序を体現しているようにも感じられた。
「ここが、俺たちが目指してた集落か」
「そうだ。だが、お前たちのような人間が、易々と足を踏み入れられる場所ではない」
エルフの声には、明確な警戒の色が滲んでいた。集落の入り口付近に立っていた他のエルフたちも、突然現れた人間の一団に、鋭い視線を向けている。
「客人を連れてきたのか」
年配のエルフの一人が、警戒した様子で歩み寄ってきた。
「灰色の紋を持つ者だ。かつて話した、あの言い伝えに関わる人物かもしれん」
その言葉に、周囲のエルフたちの間に、微かなどよめきが広がった。
「灰色の……」
「まさか、本当にいたとは」
その反応から、ユリオは、自分の存在が、エルフたちの間でも、決して軽い意味を持つものではないのだと、改めて実感した。
「長老に、話を通してくる。しばらく待っていろ」
案内役のエルフはそう言い残すと、集落の奥へと姿を消した。残された一行は、緊張した面持ちで、その帰りを待つことになった。
「……なんか、俺たち、思ったより大事になってきたな」
ユリオが、ぽつりと呟いた。
「ここまで来たら、後戻りはできないわ」
リィナの声にも、これまでにない緊張感が滲んでいた。カイエルも、私兵たちも、慣れない異種族の集落という環境に、それぞれ警戒を緩めずにいた。
待っている間、集落のエルフたちが、遠巻きにこちらを観察している視線に、ユリオは居心地の悪さを感じていた。だが、その視線の多くは、敵意というより、純粋な好奇と、何か懐かしいものを見るような、複雑な色を帯びているようにも思えた。
「なあ、リィナ。あいつらが俺のこと見る目、なんか、村での視線とちょっと違う気がするんだけど」
「そうね。侮蔑の色は、あまり感じられないわ。むしろ……」
「むしろ?」
「畏怖に近いものを感じる。あるいは、哀れみかもしれない」
その言葉に、ユリオは、複雑な感情を抱かずにはいられなかった。哀れみを向けられるのも、決して心地よいものではない。だが、少なくとも、蔑まれるよりは、まだ受け止めやすい気もした。
しばらくして、案内役のエルフが戻ってきた。
「長老が、会うそうだ。ついてこい」
その言葉に、一行は、互いに顔を見合わせてから、静かに頷き合った。これから始まる対話が、これまで積み重ねてきた謎に、どれだけの光を当ててくれるのか――誰もが、緊張と期待を胸に抱きながら、集落の奥へと足を踏み入れていった。
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