第二十七話 三人旅
二日目の朝、野営の後片付けをしながら、ユリオは早くも筋肉痛に顔をしかめていた。
「うう、足が棒みたいだ……」
「言ったでしょう、無理はしないでって」
「無理も何も、歩く以外に選択肢がなかったじゃねえか」
情けない声を上げるユリオを見て、リィナは思わず苦笑した。
そこへ、カイエルが珍しく、自分から二人の方へ歩み寄ってきた。
「……提案がある」
「なんだよ、改まって」
「このままの速度では、旅程が大幅に遅れる。王都への到着が遅れれば、それだけ災厄への対応も遅れることになる」
「それは、そうだけど」
「不本意ではあるが、お前たちを馬に同乗させることを許可する」
その言葉に、ユリオとリィナは、思わず顔を見合わせた。
「……いいのか? あんた、俺のこと目の敵にしてたじゃねえか」
「個人的な感情の問題ではない。合理的な判断だ」
素っ気なく言い放つカイエルに、ユリオは肩をすくめた。
「まあ、助かるけどな。俺の足、正直もう限界だったし」
「感謝は不要だ。合理性に従った結果に過ぎない」
それでも、その申し出が、カイエルなりの譲歩であることは、誰の目にも明らかだった。傍で聞いていた私兵たちの何人かも、驚いたように顔を見合わせている。どうやら、主が自ら折れる姿を見るのは、彼らにとっても珍しいことらしかった。
◇
問題は、六頭しかいない馬に、どう二人を割り振るかだった。
「私の馬に、リィナが同乗すればいい」
カイエルが、当然のようにそう言った。
「――は?」
リィナが、思わず声を上げた。
「他に妥当な組み合わせがあるか。私兵たちに同乗させるわけにはいかないだろう」
「それは、そうだけれど……」
リィナは、明らかに戸惑った様子で、視線を泳がせた。婚約者と、馬を共にする――その距離の近さに、彼女なりの複雑な感情があるのだろう。
「なら、俺がリィナと同じ馬に乗ればいいだろ」
ユリオが、あっさりとそう提案した。
「お前が、私兵の馬に乗れ」
カイエルの返答も、同じくらいあっさりとしていた。
「――は?」
今度は、ユリオが声を上げる番だった。
「妥当な判断だ。お前が私の馬に同乗するのは、色々な意味で不都合が多い」
「いや、それはこっちの台詞だっての」
押し問答の末、結局は、カイエルの案が採用されることになった。私兵の一人――ガイという名の、人の良さそうな青年が、ユリオの同乗相手として選ばれた。
「よろしくな、坊主」
「坊主って年でもねえけどな、まあいいや、よろしく」
馬上に引き上げてもらいながら、ユリオはガイの背中に掴まった。慣れない高さと揺れに、思わず声を漏らす。
「うおっ、思ったより高いな、これ」
「落ちるなよ、しっかり掴まってろ」
一方、少し離れた場所では、リィナが、緊張した面持ちでカイエルの馬に乗ろうとしていた。
「……失礼します」
「ああ」
ぎこちなく手を借りて馬上に上がったリィナの背中に、これまでにない硬さが滲んでいた。カイエルもまた、表情には出さないものの、その距離の近さに、内心穏やかではいられない様子だった。
◇
馬の速度で進む一行の旅路は、これまでとは比較にならないほど速いペースで進んでいった。
「これなら、予定より早く着けそうだな」
ガイが、機嫌よくそう言った。
「なあ、ガイさんよ。カイエルって、いつもあんな感じなのか?」
「ああ、真面目を通り越して、ちょっと融通が利かないところがあるお方だな。だが、悪い人じゃない。少なくとも、部下の面倒見はいい」
「へえ、意外だな」
「意外って、坊主は随分と嫌われてる自覚があるみたいだな」
「そりゃまあ、灰色の紋がどうこうって、散々言われてきたし」
その言葉に、ガイは少し考えるような間を置いてから、言葉を継いだ。
「カイエル様は、家の教えに、誰よりも忠実な人だからな。紋の絶対性を疑うことは、あの方にとって、自分の存在そのものを否定することに近いのかもしれん」
思いがけない洞察に、ユリオは意外そうに目を瞬かせた。
「詳しいんだな、ガイさんは」
「まあ、長い付き合いだからな」
その一言には、単なる主従関係を超えた、確かな信頼が滲んでいた。
「なあ、ガイさんたちは、なんでカイエルについていこうと思ったんだ? 独断の視察なんだろ、これ」
「そりゃあ、な」
ガイは、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「あの方は、口は悪いし融通も利かないが、上に立つ者としての筋は、絶対に曲げない。俺たちみたいな下っ端の意見にも、ちゃんと耳を傾けてくださる。そういうところに、俺たちはついていってるんだ」
「へえ、そうなのか」
「坊主から見たら、ただの嫌な奴に見えるかもしれんが、悪いようにはしない人だから、そこは信じてやってくれ」
その言葉に、ユリオは少し考え込むように黙った。これまで、カイエルのことを、頑固で高圧的な人間としか見ていなかった。だが、彼を慕う部下がいるという事実は、その人物像に、また違う陰影を加えるものだった。
「……まあ、少しは、見方変えてみるよ」
「それでいい」
ガイは、満足げに笑うと、手綱を軽く鳴らして馬の速度を上げた。
◇
一方、カイエルの馬上では、気まずい沈黙が続いていた。
「……揺れて、大丈夫か」
しばらくして、カイエルがぽつりと切り出した。
「ええ、大丈夫です」
「そうか」
それきり、また会話が途切れる。かつては、もっと自然に言葉を交わせていたはずだった。だが、今は、どんな言葉も、どこかぎこちなく感じられてしまう。
「……あの村での日々は、お前にとって、有意義なものだったのだろうな」
カイエルが、前を向いたまま、静かに切り出した。
「ええ。多くのことを学ばせてもらいました」
「そうか」
短い相槌の後、再び沈黙が続いた。だが、その沈黙は、これまでのような、緊張だけを孕んだものとは、わずかに違う質感を持っているようにも、リィナには感じられた。
夕暮れが近づく頃、一行は、旅の二日目の野営地に到着した。馬を降りたユリオは、ふらつきながらも、笑みを浮かべていた。
「いやー、馬って便利だな! こんなに楽なら、最初からこうしてほしかったよ」
「贅沢を言うな。本来なら、お前を乗せる義理などない」
カイエルの素っ気ない返しに、ユリオは苦笑しながらも、素直に頭を下げた。
「まあ、なんだ。ありがとな」
その言葉に、カイエルは一瞬、意外そうな顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻した。
「礼は不要だ。合理性の話だと、何度も言っている」
それでも、その言葉の端に、わずかな照れ隠しのような響きが混じっていることに、ユリオは気づいていた。ぎこちないながらも、三人の旅は、少しずつ、その形を変え始めていた。
◇
夜、それぞれの寝床につく前、リィナは焚き火の傍で、一人静かに物思いに耽っていた。
昼間、カイエルと交わした短いやり取りが、頭の中で何度も反芻される。かつては当たり前だった距離感が、今はどこか遠く、ぎこちないものに感じられる。それでも、あの沈黙の中に、以前とは違う何かが、微かに芽生えていたようにも思えた。
(変わったのは、私だけじゃないのかもしれない)
国境の町で目にするであろう現実、王都で向き合うことになる鑑定院の在り方、そして、ユリオという少年との出会いがもたらした、様々な価値観の変化。それら全てが、リィナ自身だけでなく、カイエルの中にも、静かな波紋を広げているのではないか――そんな予感が、胸の奥に、微かに灯っていた。
焚き火の向こうでは、ユリオがガイたち私兵と、既にすっかり打ち解けた様子で談笑していた。その屈託のない笑い声が、夜の静けさの中に、温かく響いていた。
(この旅の先に、一体何が待っているのかしら)
答えの出ない問いを抱えながら、リィナは静かに、焚き火の炎を見つめ続けていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
「巡り紋」は毎日更新予定の長編ファンタジーです。
続きが気になりましたら、ブックマーク・下の☆☆☆☆☆からの評価をいただけると励みになります。




