第二十四話 近づく影
その日の午後、村長の家に緊急の呼び出しがかかった。カイエルからの要請で、リィナ、ガレオン、そしてユリオまでもが、揃って顔を出すよう伝えられていた。
「一体、何の話だろうな」
道すがら、ユリオはガレオンに尋ねた。老人は、珍しく神妙な面持ちで答えた。
「良くない話だろうな、恐らくは」
「爺さんも、何も聞いてないのか」
「ああ。だが、これだけの面子を集めるからには、それ相応の話に違いない」
その言葉通り、村長の家に足を踏み入れると、既にリィナとカイエルが、緊張した面持ちで待っていた。異例の顔ぶれに、村長も落ち着かない様子で席についている。
「王都から、正式な返答が届いた」
カイエルが、懐から一通の書状を取り出した。
「私の独断での視察報告と、エルスフィア調査官の一連の報告書を受けて、鑑定院上層部は、ようやく本格的な対応を決定した」
「本格的な対応って?」
ユリオが尋ねると、カイエルは硬い表情で続けた。
「辺境一帯における、ゼルギアの気配の拡大を、正式な脅威として認定する。近く、鑑定院直属の精鋭部隊が、この地域に派遣される予定だ」
その言葉に、村長が身を乗り出した。
「それは……我々にとって、良いことなのでしょうか」
「守りは強化される。だが、それだけ大規模な部隊が動くということは、事態がそれだけ深刻だという証でもある」
リィナが、補足するように言葉を継いだ。
「実は、辺境で確認されている異変は、この村だけではないの。西方一帯、旧ヴェルニア領に近い複数の集落で、同様の現象が報告され始めている」
「複数の集落で……?」
ユリオの声に、不安の色が滲んだ。この村だけの問題だと、どこかで思い込んでいた部分があった。だが、事態は、想像していたよりもずっと大きな規模で進行しているらしい。
「加えて、もう一つ、厄介な情報がある」
カイエルが、さらに続けた。
「北の大国、ザイラス帝国が、この機に乗じて、国境付近での軍事的な動きを活発化させているという報告だ」
「帝国が……なんでこのタイミングで」
「ゼルギアの脅威に乗じて、南下を画策している可能性がある。我々アルカナ王国が、災厄への対応に気を取られている隙を突こうというわけだ」
「帝国ってのは、そんなにやばいとこなのか?」
ユリオの問いに、リィナが答えた。
「ザイラス帝国は、鑑定紋制度をさらに極端に運用している国よ。ランクDより下位の者は、労働力や兵力として、ほぼ強制的に徴用される。もし帝国がこの機に南下すれば、この辺境一帯も、真っ先にその脅威に晒されることになるわ」
「そんな国が攻めてきたら……この村も」
「そうならないよう、王国も手を尽くすつもりだ。だが、二正面の脅威に対応する余裕が、無限にあるわけではない」
カイエルの言葉には、これまでの高圧的な態度とは違う、責任感に裏打ちされた重みがあった。
その説明に、部屋の空気が一気に重くなった。単なる一地方の怪異事件ではない。もっと大きな、国家規模の緊張関係が、この背後に絡み合っているのだという事実が、ユリオの胸にずしりとのしかかった。
「――俺の紋のことも、これと関係あるのか?」
ユリオが、率直に尋ねた。カイエルとリィナは、互いに顔を見合わせた。
「まだ確証はないわ。でも、可能性は高いと考えているの」
リィナが、慎重に答えた。
「あなたの紋の"前例"に関する記録は、依然として機密指定されたまま。でも、あの靄があなたに反応して怯んだという事実は、決して無視できないわ」
「無視できない、っていうのは、俺が――」
言いかけたユリオの言葉を、ガレオンが静かに引き取った。
「お前が、あの災厄に対抗しうる、数少ない存在かもしれない、ということだ」
その重い言葉に、部屋の中が静まり返った。ユリオは、しばらくの間、言葉を失っていた。
これまで、自分の身に起きていることは、あくまで個人的な不可解な現象だと思っていた。だが今、その現象が、村を、国を、あるいはもっと大きな運命そのものを左右しかねない、重要な鍵になりうるのだと突きつけられている。
「……俺に、そんな大層な役目、務まるのかよ」
弱音にも似た呟きが、思わず漏れた。カイエルが、それに対して、意外にも静かな声で応じた。
「お前の実力が、まだ及ばないことは、先日の一件で証明済みだ。だが――」
カイエルは、一瞬、言葉を選ぶような間を置いた。
「靄が怯んだという事実は、力の差の問題ではない。もっと根源的な、何かの作用だ。それが何なのか、私にもまだわからん」
その言葉には、これまでの侮蔑一辺倒だった態度とは、わずかに異なる響きがあった。ユリオは、少し意外そうにカイエルを見た。
「……あんたにしちゃ、随分と素直だな」
「事実は事実として認める。それだけのことだ」
素っ気なく答えるカイエルだったが、その視線は、これまでとは違う色を帯びていた。単なる侮蔑や排除の対象ではなく、一つの「未知の要素」として、ユリオを見定めようとしているようだった。
◇
話し合いが一段落した後、村長が心配そうに切り出した。
「それで、我々村人は、これからどうすればよろしいのでしょうか」
「当面は、通常通りの生活を続けていただいて構わない」
カイエルが答えた。
「ただし、部隊の到着までは、夜間の警戒は継続してほしい。何か異変があれば、即座に報告を」
「わかりました……」
村長は、不安を隠しきれない様子で頷いた。
会合が解散した後、ユリオは一人、外に出て、夜空を見上げた。数多くの星々が、いつもと変わらず瞬いている。だが、その静けさの裏で、世界は確実に、大きな変化へと向かって動き始めていた。
(俺に、何ができるんだろうな)
答えの出ない問いを抱えながら、ユリオはしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
そこへ、リィナが静かに歩み寄ってきた。
「大丈夫? 顔色、あまり良くないわ」
「まあ、色々考えることが多すぎてさ」
「無理もないわ。突然、こんな大きな話を聞かされたんだもの」
リィナは、隣に並んで、同じ夜空を見上げた。
「でも、一つだけ言えることがあるわ」
「何?」
「あなたは、一人じゃない。私も、ガレオンさんも、この村の人たちも、みんな、あなたの味方よ」
その言葉に、ユリオは、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
「……ああ、そうだな」
空を見上げたまま、ユリオは小さく頷いた。世界の危機という、あまりにも大きすぎる現実を前にしても、隣にある温かさだけは、確かなものとして、そこにあった。
◇
少し離れた場所から、ガレオンは二人の様子を、静かに見守っていた。
(いよいよ、か)
鑑定院の部隊派遣、帝国の不穏な動き、そして何より、ユリオの力が本格的に脅威と結びつき始めているという事実。全てが、老人の中で、一つの結論へと収束しつつあった。
(もう、猶予はない)
これまで、確証が持てないという理由で、全てを語ることを先延ばしにしてきた。だが、事態はもはや、そんな悠長なことを言っていられる段階を超えつつある。ユリオ自身のためにも、そしてこの村のためにも、真実を伝えるべき時が、すぐそこまで迫っていた。
ガレオンは、小屋にしまい込んだ古い木箱と、そこに眠る一振りの剣を思い浮かべた。かつての盟友の名が刻まれたその剣を手に取る時が、ついに来ようとしている。
(もう少しだけ、この子に、心の準備をさせてやりたい)
それでも、老人の中には、まだ僅かな躊躇いが残っていた。全てを知った時、ユリオがどう受け止めるのか。その先に、どんな道を選ぶのか。予測のつかない未来を前に、ガレオンの胸には、複雑な思いが渦巻いていた。
夜空の下、寄り添うように立つユリオとリィナの姿を見つめながら、ガレオンは静かに、そして確かな決意を固めていた。
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