第二十一話 完敗
村外れの空き地に、村人たちが集まっていた。噂を聞きつけた者たちが、遠巻きにその成り行きを見守っている。
「本当にやるのかね、あの子」
「無茶だよ、相手はランクSの騎士様だぞ」
誰もが、固唾を呑んでその場を見つめていた。ミラの姿も、その中にあった。心配そうに両手を握りしめながら、彼女はユリオの背中をじっと見つめていた。
空き地の中央では、ユリオとカイエルが、それぞれ木剣を手に向かい合っていた。朝の澄んだ空気の中、二人の間には、既に張り詰めた緊張感が漂っていた。
「本当に、やるのね」
リィナが、心配そうな面持ちで見守っている。傍らには、腕を組んだガレオンが、微動だにせず立っていた。
「始めるぞ」
カイエルの声が、静かに響いた。ユリオは木剣を構え、大きく息を吸い込む。
「いつでもいいぜ」
合図と共に、二人の間合いが詰まった。
最初の一合は、ユリオの予想を遥かに超えるものだった。
カイエルの剣速は、これまで対峙してきたどの相手とも、まるで次元が違った。踏み込みの速さ、剣筋の鋭さ、そして何より、纏う闘気の圧が、ユリオの体を芯から震え上がらせた。
「くっ――!」
辛うじて受け止めた一撃に、両腕が痺れる。木剣越しとは思えないほどの衝撃が、骨まで響いた。
「まだ終わりではないぞ」
カイエルは、それだけ言うと、さらに畳み掛けるように剣を振るった。二撃目、三撃目。ユリオは防戦一方になりながらも、必死に食らいついた。だが、その差は、あまりにも歴然としていた。
(速い……速すぎる……!)
ガレオンとの三年間の稽古で培った、基礎の型。それが確かに、体に染み付いていることは自分でもわかった。だからこそ、致命傷になるような一撃は、辛うじて避けられている。だが、それだけだった。攻めに転じる隙など、微塵も見当たらない。
カイエルの剣が纏う闘気――銀色に、硬質な輝きを放つ、金の属性の力が、打ち合うたびに刃の重さと鋭さを増し、ユリオの体力を、じわじわと削り取っていく。
「なぜ、そこまでして向かってくる」
打ち合いの中、カイエルがそう問いかけた。
「なぜって……」
「勝ち目がないことくらい、お前にもわかっているはずだ。それでも向かってくる理由がわからん」
「勝ち目がないから引き下がるってんなら、俺は、これまでの人生、とっくに諦めてるよ」
息を切らしながらも、ユリオはそう言い返した。カイエルは、その返答に、わずかに表情を動かした。
「――減らず口を」
再び、剣が交錯した。ユリオは、なけなしの体力を振り絞り、僅かな隙を突こうと踏み込んだ。だが、その動きは、カイエルにとっては全て織り込み済みのものだったらしい。軽やかな体捌きで躱されると、返す刀で、鋭い一撃が肩口を捉えた。
「がっ……!」
激痛に呻きながらも、ユリオは踏みとどまった。膝が笑いそうになるのを、歯を食いしばって耐える。
「まだ、立つか」
カイエルの声に、驚きにも似た響きが混じった。並みの相手なら、とうに戦意を失っていてもおかしくない差だった。それでも、ユリオの目には、まだ光が消えていなかった。
「当たり前だろ。まだ、何も証明できてねえんだから」
その意地に、カイエルは小さく息を吐いた。
「頑固な奴だ」
次の瞬間、カイエルの一撃が、ユリオの木剣を弾き飛ばした。
「――っ!」
武器を失ったユリオの喉元に、カイエルの剣先が、ぴたりと突きつけられる。
「勝負あり、だな」
その静かな宣告に、空き地に集まった村人たちから、どよめきとも溜息ともつかない声が漏れた。
ユリオは、荒い息を整えながら、地面に膝をついた。全身が悲鳴を上げていた。だが、不思議と、命の危機を感じるほどの状況ではなかった。あくまでこれは模擬戦であり、カイエルの一撃も、急所を捉える寸前で正確に止められていた。
(これが……)
崖から落ちた時とも、靄に飲まれた時とも、まるで違う感覚だった。あの時感じた、抗いようのない死の予感は、ここにはない。ただ純粋に、圧倒的な実力差によって、完膚なきまでに打ち負かされた――それだけの、紛れもない事実だけがあった。
「……参った」
絞り出すように、ユリオはそう告げた。
「そのようだな」
カイエルは剣を納めると、静かにユリオを見下ろした。
「これが、現実だ。紋の色を持たぬ者が、いくら基礎を積んだところで、生まれながらの秩序の差は、埋めようがない」
その言葉には、勝者の驕りというより、むしろ冷徹な事実の指摘という響きがあった。だからこそ、それはユリオの胸に、深く突き刺さった。
「……そう、かもな」
反論の言葉すら、今は見つからなかった。ただ、地面に膝をついたまま、ユリオは自分の無力さを、これ以上ないほど痛感していた。
カイエルは、それ以上何も言わず、踵を返して私兵たちの方へと歩いていった。
◇
リィナが、慌てて駆け寄ってきた。
「ユリオ、大丈夫? どこか、痛むところは」
「……いや、大丈夫。ちょっと、プライドが傷ついただけだ」
無理に笑ってみせようとしたが、その笑顔は、いつものような輝きを欠いていた。
少し離れた場所から、ガレオンが静かにこちらを見つめていた。声をかけることもなく、ただ、その様子を見守り続けている。
ユリオは、ゆっくりと立ち上がった。全身に走る痛みよりも、心に負った痛みの方が、ずっと深く、重かった。
(これが、俺と、あいつの差、か)
生まれながらの紋の力。それに裏打ちされた、絶対的な強さ。剣の腕だけの問題ではない。積み重ねてきた鍛錬の質、注がれてきた資源、そして何より、生まれ持った器そのものの違い。それら全てが、覆しようのない現実として、ユリオの前に突きつけられていた。
村人たちが、ぽつりぽつりと散っていく。その視線の中には、同情もあれば、やはりという諦観もあった。誰も、彼を責めてはいなかった。だが、その事実こそが、かえってユリオの心を重くした。
夕暮れの空の下、一人立ち尽くすユリオの背中に、リィナが静かに寄り添った。
「……悔しい?」
その問いに、ユリオは、しばらく答えなかった。やがて、絞り出すように、小さく呟いた。
「ああ。すげえ、悔しい」
その素直な言葉に、リィナは何も言わず、ただ静かに、彼の隣に立ち続けた。
少し離れた場所から、ミラが駆け寄ってきた。
「ユリオ、大丈夫? ひどい怪我は……」
「平気、平気。ちょっと打たれただけだから」
軽く笑ってみせようとするユリオに、ミラは何か言いたげな表情を浮かべたが、結局は小さく頷くだけに留めた。彼女もまた、この結果が最初からわかりきっていたことを、誰よりも理解していたのだろう。
「無理しないでね」
「ああ、ありがとな」
ミラが去っていくのを見送りながら、ユリオは改めて、自分の周りにいる人々の温かさを噛み締めていた。負けたことは事実だ。だが、その事実を、一人で抱え込まなくていいということもまた、確かな事実だった。
空き地から少し離れた場所で、ガレオンは一人、去っていくカイエルの背中を見つめていた。
(強い。だが、あの若さであの強さは、生まれ持った紋の力に、あまりにも頼りすぎている)
紋の色に恵まれた者たちの多くが陥る、ある種の慢心。それが、いつか大きな落とし穴になることを、ガレオンは長年の経験から知っていた。
(それに引き換え、あの小僧は……)
視線を、ユリオの方へと移す。負けを認めながらも、決して折れることのない、あの目。それは、紋の色などに頼らない、もっと根源的な強さの萌芽だった。
(あの目を持つ者は、いずれ必ず伸びる。時間さえかければな)
その確信が、ガレオンの胸に、静かな希望として灯っていた。それでも、今この瞬間だけは、弟子の傷ついた心に、そっと寄り添うことしかできなかった。
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