第二十話 決闘の申し出
昨日の対立の余韻は、村中に静かに広まっていた。王都から来た高慢な騎士と、灰色の紋を持つ青年が、丘の上で言い争ったという話は、瞬く間に村人たちの噂話の種になっていた。
「あの騎士様、随分とユリオに突っかかってたらしいな」
「そりゃそうだろ、あんな立派な紋を持った人からすりゃ、灰色なんて許せねえもんなんだろうよ」
そんな会話が、井戸端や畑の合間で、ひそひそと交わされていた。ユリオ自身は、努めてそれを気にしないようにしていたが、村中の視線が、いつも以上に自分に集まっていることは、嫌でも感じ取っていた。
翌朝、丘の稽古場に、再びカイエルが姿を現した。今度は、私兵を二人ほど伴っての訪問だった。
「また来たのかよ」
ユリオが、うんざりした様子で迎える。カイエルは、それには取り合わず、まっすぐにユリオを見据えた。
「昨日の話の続きだ」
「続きって、もう十分言い合っただろ」
「言葉での応酬は、これ以上不毛だ。だから、別の形で決着をつけようと思う」
カイエルは、腰の剣に軽く手を添えた。
「私と、模擬戦をしろ」
その申し出に、ユリオは思わず目を丸くした。
「は? 模擬戦って、あんたと俺が?」
「お前は、紋の色などに価値はないと言った。ならば、証明してみせろ。紋の色を持たない者が、私のような、生まれながらの秩序の体現者と、対等に渡り合えるということを」
「なんだよ、その理屈。俺、別に対等に渡り合えるなんて一言も言ってねえけど」
「では、お前の言い分は所詮、負け惜しみに過ぎないということか」
挑発的な物言いに、ユリオの中で、抑えていた何かが、静かに火をつけられた。
「……いいぜ。受けて立つよ」
「ユリオ!?」
傍らで様子を見ていたリィナが、思わず声を上げた。
「あなた、正気なの? カイエル様は、正真正銘のランクSの騎士よ。まともにやり合って、勝てる相手じゃないわ」
「わかってるよ、そんなこと」
「なら、なぜ……」
「あんたには悪いけど、ここで断ったら、俺は俺の言ったことに、自分で嘘をつくことになる。それは、嫌なんだよ」
ユリオの声には、迷いのない決意が滲んでいた。リィナは、それ以上引き止める言葉を見つけられず、ただ心配そうに眉をひそめた。
少し離れた場所で、事の成り行きを見守っていたガレオンが、静かに口を開いた。
「――受けろ」
「爺さん?」
「お前が決めたことだ。俺が口を出すことじゃない」
その言葉には、意外にも、反対の色は見られなかった。ユリオは、少し驚いた様子でガレオンを見た。
「爺さん、止めないのかよ」
「止めても、お前はやるだろう。それに――」
ガレオンは、一度言葉を切ってから、続けた。
「今のお前の実力を、正確に知っておくことも、悪くはない。自分がどこに立っているのか、身をもって知ることも、時には必要だ」
その言葉には、突き放すような厳しさと、同時に、深い信頼のようなものが同居していた。ユリオは、その真意を測りかねながらも、小さく頷いた。
◇
「日取りは、明日の朝でどうだ」
カイエルが淡々と告げる。
「構わないぜ」
「武器は、木剣を使用する。それ以外の制約は、特に設けない」
「了解」
短いやり取りだけで、話はまとまった。カイエルは踵を返しながら、最後に一言、付け加えた。
「――言っておくが、手加減はしない」
「望むところだ」
ユリオは、あえて不敵な笑みを返した。だが、その内心には、隠しきれない緊張が渦巻いていた。相手は、生まれながらのランクS。物心つく前から、最高峰の教育と鍛錬を受けてきた、正真正銘のエリートだ。自分に、果たしてどこまで通用するのか――正直なところ、見当もつかなかった。
カイエルたちが丘を下りていくのを見送った後、リィナが再びユリオに詰め寄った。
「本当に大丈夫なの? 怪我をするだけじゃ済まないかもしれない」
「大丈夫だって。まあ、多分、ボコボコにされるとは思うけど」
「笑い事じゃないわ」
「わかってるよ。でも――」
ユリオは、自分の右手を見つめながら、静かに言葉を続けた。
「俺の紋は、確かに色がない。でも、それが俺の全部じゃない。それを、あいつに証明したいんだ。俺自身のためにも」
その言葉には、これまでにない、確かな決意が込められていた。リィナは、しばらく黙ってユリオを見つめた後、小さく息を吐いた。
「……わかったわ。止めても無駄みたいだから」
「わかってくれて助かるよ」
「その代わり、無理はしないで。危険だと思ったら、すぐに退くこと。いいわね」
「善処するよ」
軽い調子で応じるユリオに、リィナはまだ心配そうな表情を崩さなかった。
◇
その後、村の中を歩いていたユリオは、決闘の噂を既に聞きつけていたミラに呼び止められた。
「ユリオ! 本当なの、あの騎士様と戦うって話!」
「もう耳に入ってんのか、早いな」
「そんな暢気なこと言ってる場合じゃないでしょ! 相手はランクSの騎士様なんだよ! 大怪我したらどうするの!」
珍しく声を荒らげるミラに、ユリオは少したじろぎながらも、いつもの調子で笑ってみせた。
「大丈夫だって。木剣での模擬戦だし、命まで取られるわけじゃない」
「そういう問題じゃなくて……」
ミラは、何か言いたげに口を開きかけたが、結局は小さくため息をついただけだった。
「……絶対に、無茶しないでよ」
「わかってるって」
その気遣いに、ユリオは素直に頷いた。村の誰もが、自分のことを心配してくれている。その事実が、これから待ち受ける厳しい現実に立ち向かう、小さな支えになっていた。
◇
その日の夕方、ガレオンはユリオを呼び止め、久しぶりに、真剣な口調で言葉をかけた。
「小僧」
「なんだよ、改まって」
「明日の勝負、勝てるとは思うな」
その率直な言葉に、ユリオは苦笑した。
「わかってるよ、それくらい」
「わかっていて、それでも受けたのか」
「受けなきゃ、俺は俺の言ったことに嘘をつくことになるからな。それに――」
ユリオは、少し考えるように言葉を探した。
「爺さんが基礎ばっかり教えてきたのだって、いつかこういう時のためだったんだろ? だったら、今こそその成果を試す時だと思ったんだよ」
その答えに、ガレオンは意外そうに目を見開いた。それから、微かに口の端を緩めた。
「……お前にしては、よく考えたな」
「褒めてんのか、それ」
「褒めている」
珍しい老人の素直な言葉に、ユリオは思わず照れくさそうに頭を掻いた。
「だが、負けることと、何も得られないことは、別の話だ。あの男との差を、しっかりとその目に焼き付けてこい。それが、これから先のお前にとって、必ず意味を持つ」
「差を焼き付けろって、そんなに差があるのかよ」
「圧倒的にな。だからこそ、意味がある。自分の立ち位置を正確に知ることは、これから先、決して無駄にはならん」
ガレオンは、そこで一度、言葉を切ってから、続けた。
「あの男の紋は、銀――金の属性だ。七つの色の中で、最も剣に寄った紋でな。得物に力を通して、斬れ味と重さに変える。剣士としちゃ、これ以上ない生まれ持ちだ。奴の剣は、恐らく、お前がこれまで見たどんな剣よりも、速くて、重い」
「……脅かすなよ」
「事実を言ってるだけだ。いいか、まともに受け合うな。受ければ、木剣ごと持っていかれる。足を使え。三年かけて叩き込んだ、あの足運びを、一度でも多く、あの男の前で出せ。それが、明日のお前に出来る、精一杯だ」
その言葉の真意を、ユリオは完全には理解できなかった。だが、老人の目に宿る、真剣な光だけは、しっかりと受け止めた。
「……わかった」
短くそう答えると、ユリオは丘を後にした。
村へと帰る道すがら、夕焼けに染まる空を見上げながら、ユリオは静かに、明日への覚悟を固めていた。勝てないとわかっていても、退くわけにはいかない。それが、これまで積み重ねてきた自分自身の、譲れない一線だった。
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