第十八話 白の騎士、来訪
村の東の街道に、見慣れない一団の姿が現れたのは、ガレオンが新しい稽古を始めてから数日が経った、ある日の昼下がりのことだった。
「なんだ、あれは……」
畑仕事をしていた村人たちが、次々と手を止めて視線を向ける。街道の向こうから近づいてくるのは、六頭の馬に乗った一団。先頭を行くのは、純白の外套を纏った、若い騎士だった。
辺境の村には不釣り合いなほど、洗練された出で立ち。腰に佩いた剣の柄には、精緻な装飾が施されている。一目で、名のある家の出身だとわかる風格だった。
「王都の……騎士様?」
子供たちが物珍しそうに駆け寄ろうとするのを、大人たちが慌てて呼び止める。私兵たちの馬具の輝きや、統率の取れた隊列に、村人たちは言葉を失っていた。この辺境で、これほどの一団を目にすることなど、滅多にあることではない。
「まさか、また何か悪いことでも……」
「灰色の坊主のせいで、今度は騎士様まで来ちまったのか」
不安げな囁きが、村中を駆け巡っていく。村長が、慌てて出迎えに向かった。
「これはこれは……このような辺境まで、一体どのようなご用件で」
「私はカイエル・ヴァンドール。個人的な視察で参った。宿を借りたい」
簡潔に、しかし有無を言わせぬ口調で告げると、カイエルは馬から降りた。私兵たちも、それに続いて次々と地に足をつける。
村人たちは、突然の来訪者に戸惑いを隠せない様子だった。五年に一度の鑑定官の巡回を別にすれば、王都から人が来ること自体、滅多にないことだ。それが、鑑定院の調査官に続いて、今度は、名門の騎士だという。
その混乱の中心地に、当のリィナが姿を現した。
「――カイエル様?」
驚きを隠しきれない声で、リィナが足を止めた。
「久しぶりだな、リィナ」
カイエルは、努めて平静を装った声で応じた。だが、その目には、明らかに複雑な感情が渦巻いていた。
「なぜ、あなたがここに……正式な部隊派遣は、まだ承認されていないはずですが」
「私的な視察だ。誰の許可も必要ない」
その返答に、リィナは小さく眉をひそめた。独断で辺境まで足を運んできたという事実に、彼女なりの懸念が過ったのだろう。
「……ひとまず、村長のお宅にご案内します。積もる話は、そちらで」
リィナは努めて事務的な口調でそう言うと、先に立って歩き出した。カイエルは、その背中を一瞬見つめてから、後に続いた。
◇
村長の家の一室、簡素な応接間に通されたカイエルは、椅子に腰を下ろすなり、単刀直入に切り出した。
「王都を発つ前に、報告書は読んだ。動物の異常な怯え、地面の歪み――ここまでは、いい。それに加えて、ここへ来る道中、近隣の宿場で、正体不明の靄がこの村に出たという噂も耳にした。これらは全て、事実か」
「ええ、全て事実です。私自身、この目で確認しています」
「では、お前が最初に想定していた通り、これはゼルギアの気配で間違いないということだな」
「断定はできません。ですが、その可能性は高いと考えています」
リィナの慎重な物言いに、カイエルはわずかに苛立ちの色を見せた。
「慎重すぎる。もはや疑う余地はないだろう。すぐにでも、王都に本格的な部隊派遣を要請すべきだ」
「事を急げば、村人たちの生活そのものが立ち行かなくなります。大部隊が押し寄せれば、それだけで村は混乱に陥るでしょう」
「悠長なことを言っている場合か。放置すれば、もっと多くの犠牲が出るかもしれないのだぞ」
二人の間に、静かだが、確かな緊張が漂った。婚約者として、幼い頃から共に育てられてきた二人だったが、その価値観は、今や大きく隔たっているようだった。
「あなたの懸念はわかります。ですが、事を急いて村人たちを危険に晒すことだけは、避けなければなりません」
「……お前は、変わったな」
カイエルが、ぽつりと呟いた。
「以前のお前なら、もっと迅速な対応を主張していたはずだ。それが、今はやけに、この村の肩を持つ」
その言葉に、リィナは一瞬、答えに詰まった。
「……この村の人々と、実際に接してみて、色々と考えさせられることがあったのです。記録の上だけでは、決してわからないことが」
「感傷か」
カイエルの声には、隠しきれない棘があった。
「私は感傷で判断を誤るような真似はしません。ただ、事実に基づいて、最善の対応を模索しているだけです」
その毅然とした返答に、カイエルは小さく息を吐いた。
「……わかった。今日のところは、お前の判断を尊重しよう。だが、いつまでも悠長に構えているわけにはいかん」
ひとまずの妥協点を見出したところで、話は一区切りついた。だが、カイエルの胸中には、まだ拭いきれない疑念が燻っていた。この村の何が、これほどまでにリィナを変えたのか。その答えを、彼はまだ知らなかった。
◇
その日の夕方、カイエルは一人、村の中を歩いてみることにした。私兵たちを宿に残し、単身での散策だった。
王都とはあまりにかけ離れた、質素な暮らしぶり。整然とした秩序も、洗練された文化も見当たらない、ただ日々を生きることに精一杯な人々の姿。カイエルにとって、それは理解の及ばない、ある種異質な世界だった。
村の広場を通りかかったとき、彼はふと、一人の青年が薪割りをしている姿を目にした。汗を光らせながら、規則正しく斧を振り下ろすその姿には、力強さと、どこか飄々とした余裕が同居していた。
「――あれが」
カイエルの脳裏に、報告書の記録が蘇った。灰色の紋。判定不能。ユリオ・カイン。
しばらくの間、カイエルはその青年を、遠目に観察していた。特に変わったところがあるようには見えない。ただの、辺境の村の一青年にしか見えなかった。
(あの程度の者が、なぜこれほどまでに、リィナの心を動かしているのか)
その疑問が、カイエルの胸の中で、じわりと形を成していく。理性では割り切れない、説明のつかない苛立ちが、静かに募り始めていた。
薪割りを終えたユリオが、ふと視線を感じたように、こちらを振り返った。
見知らぬ、洗練された身なりの男。村では滅多に見かけない類の人間だ。
「……あんた、王都の人か?」
率直な問いかけに、カイエルは一瞬、答えるべきかどうか迷った。だが、いずれ顔を合わせることになるのなら、今この場で名乗っておくのも一つの手だと判断した。
「カイエル・ヴァンドール。鑑定院と連携する騎士だ」
「へえ。リィナさんの知り合い?」
その気安い問いかけに、カイエルの中で、何かがぴくりと反応した。
「……知り合いというより、婚約者だ」
あえて、その事実を強調するように告げた。ユリオは、特に動じた様子もなく、軽く肩をすくめた。
「そうなんだ。まあ、お似合いなんじゃねえの」
悪意のない、素朴な反応。だが、カイエルにとっては、その飄々とした態度そのものが、なぜか癇に障った。
「お前が、灰色の紋を持つという者か」
「ああ、そうだけど。なんか、有名人みたいだな、俺」
「秩序を乱す存在として、な」
その言葉に含まれた棘に、ユリオはさすがに眉をひそめた。
「秩序を乱すって……別に、俺は誰かに迷惑かけようとしてるわけじゃねえけどな」
「紋によって測ることのできない者の存在そのものが、秩序への侵犯なのだ。お前に、その自覚があるかどうかは知らんが」
一方的に言い放つと、カイエルは踵を返し、その場を後にした。ユリオは、その背中を訝しげに見つめながら、小さく息を吐いた。
「……感じ悪い奴だな」
誰にともなく呟いたその言葉は、夕暮れの風に紛れて消えていった。だが、この日の出会いが、これから先の物語を大きく揺るがすことになるとは、この時のユリオは、まだ知る由もなかった。
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