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奴隷宰相 リュカと北国のクリルタイ編  作者: 近衛翡翠


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3/6

推薦と逡巡

クリルタイ当日。


 まだ朝靄の残る早朝から、北国の人々は忙しく動き始めていた。


 ゲルの屋根には色鮮やかな薬玉が飾られ、会場となる場所も少しずつ整えられていく。


 やがて、クリルタイの開催を告げる声が響き渡った。


「これより、クリルタイを開催する!」


 今回のクリルタイは、現在の北国のハーンであるブラフィルが選出されて以来となる。


 クリルタイとは、北国のハーンを選出するための儀式であり、同時に、遊牧民族たちの結束を象徴する重要な集まりでもある。


 今回のハーン候補は、ブラフィルの七人の息子たち。


 第一皇子テムル、第二皇子ココチュ、第三皇子アリクブケ、第四皇子モンケ、第五皇子グユク、第六皇子フラグ。そして末子である第七皇子チンキム。


 北国では、遊牧民族の慣習として、家に最後まで残る末子――オッチギンが家督を継ぐことが多い。


 そのため、本来ならばチンキムが後継者となることは、決して不自然ではない。


 だが、今回のクリルタイは、それだけでは済まない事情を抱えていた。


 チンキムを除く皇子たちは、すでに他部族へ嫁いでいる。


 そして、その部族の多くはカトゥル帝国の直接的な支配下にはなく、帝国の領域外を遊牧している者たちだった。


 そんな彼らが、父であるブラフィルの召集に応じ、今、この場所に一堂に会している。


「さて――」


 全員が集まったところで、ブラフィルが口を開いた。


「この度は、わしに代わる新たなハーンを、皆で選出したいと思う」


 その言葉に、第一皇子テムルがすぐに応じる。


「それならば、慣習の通り、チンキムがハーンになるしかないのではないか?」


「いや、それで決めてしまうのは早計だ」


 反論したのは、第三皇子アリクブケだった。


「昨今は風雲急を告げる情勢だ。今こそ、しきたりにとらわれず、有能な人物をハーンとして推戴するべきではないか」


「アリクブケ兄上、それはなりませぬ」


 第五皇子グユクが口を挟んだ。


「チンキムはユニマルとの繋がりが深い人物です。ここで彼をハーンに推戴しなければ、ユニマルから睨まれることになる。そうなれば、タイアル首長国の現在の地位すら危うくなりましょう」


「中央に従うことばかりを考えていては、いずれ他国に併呑されるぞ」


「しかし――」


 そこでチンキム自身が口を開いた。


「私はカトゥル本国で外相を務める身の上です。そのうえ北国のハーンまで務めよと言われても……私には、あまりに荷が重すぎます」


「その通りだ」


 ココチュも頷く。


「北国出身の大臣として長年務めてきたチンキムには、その役目を全うしてもらいたい」


 モンケとフラグは、黙ったままだ。


 こうして、皇子たちの意見は簡単にはまとまらなかった。


「いっそ、ここは父上に後継者を指名していただいてはいかがか?」


 誰かがそう提案した。


 しかし、ブラフィルは静かに首を横に振る。


「それはならぬ」


「なぜです?」


「後継者候補たち自身が話し合い、決めるからこそ、皆がその決定に納得できるのだ。わしが一存で決めてしまえば、必ず不満を抱く者が出る」


 ブラフィルは、皇子たちを見回した。


「これは、わし一人で決めてよい話ではない」


 結局、この日のクリルタイでは結論が出なかった。


***************************


 その夜。


 クリルタイの会場では宴会が開かれた。


 昼間の緊張が嘘のように、酒が振る舞われ、焚火を囲んで人々が歌い、笑い、騒いでいる。


 僕たちリュカ一行も、その宴に参加していた。


 しかし――。


「……」


 チンキムだけは、どこか浮かない顔をしていた。


「チンキム殿。皆と飲まないのですか?」


 僕が声をかけると、チンキムは少し驚いたようにこちらを向いた。


「リュカ殿……」


 そして、しばらく迷った後、単刀直入に尋ねてきた。


「どなたが、ハーンに適役だとお考えですかな?」


「えーっと……」


 僕は少し困ってしまう。


「正直に申し上げると、チンキム殿以外の皇子方を、僕はあまり存じ上げません。ですから、誰が適任なのかは、よく分かりません」


「……そうでしたね。申し訳ありません」


 チンキムはそう言うと、焚火へと視線を戻した。


 炎が、その横顔を赤く照らしている。


「リュカ殿」


「はい?」


「私の身の上話をしてもよろしいですか?」


「ええ、もちろん」


 チンキムは静かに語り始めた。


「私は、もともと父の末子でした。ですから、幼い頃にカトゥル中央――ユニマルへ人質として送られたのです」


「人質……」


「ええ。先ほども話した通り、タイアルでは末子が後継者となるのが慣習です。そのため、将来の北国を担う者として、中央に置かれることになったのです」


「そうだったのですね……。人質としての生活は、つらくなかったのですか?」


 僕が尋ねると、チンキムは意外にも、にっこりと笑った。


「そんなことはありませんでした」


「え?」


「むしろ、私にとっては人生を変える出来事だったのです」


 チンキムは、遠い昔を思い出すように目を細めた。


「私は弁舌が得意ではありませんでした。ですから、カトゥル帝国の外交を担う北国の役割を、果たしていけるのか……ずっと不安に思っていたのです」


「それで?」


「そんな私を変えてくれたのが、東国のパンチ殿でした」


「パンチ殿が?」


「ええ。ある日、パンチ殿が私にこう言ったのです」


 チンキムは、少しだけ笑った。


「『一度は行ってみないか?』と」


「どこへです?」


「陸軍士官学校です」


 僕は思わず目を丸くした。


「私はパンチ殿の勧めで、東国陸軍の管轄する陸軍士官学校へ仮入学することになりました」


「それは……意外ですね」


「私自身もそう思いました」


 チンキムは笑う。


「ところが、そこで私はメキメキと成績を伸ばしたのです」


「軍事の才能があった、と?」


「どうやら、性に合っていたようです」


 チンキムは焚火の向こうを見つめた。


「軍隊生活は厳しかったですよ」


「やっぱり……」


「ですが、厳しい任務を乗り越えた後、仲間たちと笑い合える時間は……最高でした」


 そう語るチンキムの表情は、どこか懐かしそうだった。


 きっと、楽しい日々だったのだろう。


 そして僕は、そんな彼がなぜ今、ハーンの座を前にして苦しんでいるのか――少しだけ分かったような気がした。


***************************


 翌朝。


 僕たちは、クリルタイの準備を手伝うことになった。


「うわっ! 臭い!」


 僕が任されたのは、牛の糞を乾燥させた燃料――アルガリ作りだった。


 北国では、これを焚火の主な燃料として利用するらしい。


 ……とはいえ。


「これ、僕がやる必要あります?」


「もちろんです、リュカ様」


「ですよね……」


 慣れない作業に悪戦苦闘した結果、僕は全身を見事に汚してしまった。


 文字通り、体中が糞まみれである。


「……これ、本当に宰相の仕事かなぁ」


 僕のぼやきに、リルとヘレナが笑った。


 その後は、川へ向かった。


 糞を洗い流すついでに、水汲みも手伝ってほしいとのことだった。


 雨の少ないタイアルでは、高地に暮らす人々が定期的に河川まで赴き、水を汲んでいる。


 水汲みは基本的に女性たちの仕事であり、生活用水のほか、ステーツァイと呼ばれるミルクティーを作るためにも使われるらしい。


「しかし、これも重労働だな」


 水を入れた容器を持ち上げながら、僕は思わず唸った。


「生活には大量の水が必要になる。これを何度も運ぶとなると、大変だ」


「私は重いものは持てないので、無理はしません」


 マリーが涼しい顔で言う。


「えー、ずるい!」


「マリーは休んでばっかり!」


 リルとヘレナが抗議する。


「だって重いものは無理なんだもの」


「少しくらい手伝ってよ!」


 そんなやり取りをしながら、僕たちは北国の暮らしを少しずつ体験していった。


 北国の人々は、鉱石についての知識も豊富だった。


 火を起こしやすい石や、栄養分を含む鉱石などを見つけては集落へ持ち帰る。


 さらに、宝石の加工も盛んだという。


「北国産の宝石は、名品揃いですよ」


 そう説明してくれた北国の人々の顔には、誇らしげな笑みが浮かんでいた。


 遊牧の民。


 そう聞いて想像していた暮らしとは、少し違う。


 厳しい自然の中で生きるため、彼らは彼らなりの知恵と技術を身につけているのだ。


 ――だが。


 そんな北国の暮らしを知る暇もなく、翌日。


 クリルタイを揺るがす、とんでもない知らせが飛び込んできた。


「大変だ!」


 誰かが叫びながら駆け込んでくる。


「モンケとフラグが――決闘をするらしいぞ!」


「……え?」


 僕は思わず、耳を疑った。


 ハーンを巡る皇子たちの争いは、ついに剣を抜くところまで来てしまったのだ。

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