ひよわいのか、タフなのか
北国行きの準備を進めているリュカ一行。
オッチギンのチンキムによれば、北国へ向かうにあたって最も重要なのは、高山地帯である北国の地形と気候に慣れることだという。
北国には急峻な山々が連なっており、移動にはリャマなどの家畜の力を借りる必要がある。それだけではない。標高が高いため空気も薄く、体調を崩さないよう、無理をせず少しずつ登っていかなければならない。
「荷物も動物に運んでもらうことになりますので、ある程度、量を制限してくださいね」
チンキムがそう忠告する。
「じゃあ、持っていこうとしていた酸素缶は、数をもっと減らそうかな」
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そう判断したことを、リュカは後になって後悔することになる。
「ぜえ……ぜえ……。しんどい……」
北国の高山地帯を登っている途中、リュカはついに足を止めた。
「もう……無理……」
恐れていた高山病である。
「そうですね。リュカ様もかなり弱っているようですし、少し休むことはできませんか?」
リルが心配そうに尋ねる。
チンキムは困ったような顔をした。
「うーん……我がタイアルが夏にオルドを置く地点までは、まだまだ先なのですが……」
そのときだった。
パカラッ、パカラッ――。
遠くから馬蹄の音が響いてきた。
北国では、東国で産出される馬も主要な交通手段として利用されている。
「何者でしょうか?」
マリーが尋ねる。
チンキムは近づいてくる馬群を目を細めて確認すると、表情を明るくした。
「あれは……わが配下の騎馬武者たちです!」
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馬群はリュカたちの目の前で止まり、そこから数多くの武者たちが降りてきた。
「チンキム様、お久しぶりでございます!」
「みんな、出迎えありがとう」
その中から、一人の男が進み出る。
「これが帝国の宰相殿ですかな? お初にお目にかかります。私はバヤンと申す者です」
バヤンと名乗った男は、リュカたちをハーンや后妃の宿営地であるオルドまで先導する役を買って出てくれた。
オルドは季節によって場所を変える。
夏には泉のある高い山の中腹へ、冬には山のふもとへと移動する。家畜とともに暮らす遊牧民にとって、季節ごとに暮らしやすい場所へ移動することは欠かせないのだ。
今は夏。
そのため、タイアルのオルドは泉のほとりに設けられている。
泉の周辺は水の蒸発による気化熱によって比較的涼しく、人も家畜も快適に過ごすことができるという。
「では、バヤン殿……お願いします」
リュカは残された力を振り絞って答えた。
「お任せくだされ」
こうして一行は、バヤンの先導によって、無事に北国のオルドがあるアウラガへとたどり着いた。
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アウラガは、タイアル王国――すなわちタルタル族にとっての夏の宿営地である。
冬の宿営地は、もっと南にある。
夏と冬、それぞれの宿営地を家畜とともに移動する。これがタイアルの遊牧生活なのだ。
アウラガには、数多くのゲルが林立していた。
その中でもひときわ大きなゲルがある。
「あれが、ハーンのゲルです」
チンキムが指差した。
「それでは、私の父や兄に事情を説明してきます。ここで待っていてくださいね」
チンキムがゲルの中へ入っていく。
僕たちは、その外で待つことになった。
「北国は、本当にごつごつした岩肌の地形なんですね。初めて訪れましたが、実際に見ると実感します」
リルは周囲の地形を眺めながら呟いた。
「珍しい鉱石が辺り一面にありますね。あの茶色いものは……琥珀かな? それともサードニクス?」
マリーは鉱石の種類の豊富さに目を輝かせている。
一方で――。
「うう……さぶい……」
ヘレナは身体を震わせていた。
「何としてでも動かないと……」
ユニマル公領では経験したことのない寒冷な気候に、完全に参っているらしい。
そして僕はというと――。
「……まだ頭が痛い」
高山病から、完全には回復していなかった。
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しばらくすると、チンキムが戻ってきた。
「お待たせしました。ぜひ、ゲルの中へ入ってください」
ゲルの中には、チンキムの父であり、タルタル族の首長たるハーン、ブラフィルが控えていた。
その左右には、それぞれ一人ずつ人物が座っている。
「お初にお目にかかります。ブラフィル殿。リュカ・チェザーレと申します」
「おお、帝国現任の宰相殿ですか」
「そうです」
「よくぞ参られた」
ブラフィルはそう言うと、一つの巻物を差し出した。
「これが、今回のクリルタイの式次第にございます。何百年もの間、タイアルに受け継がれてきた重要な儀式にございますれば」
「拝見してもよろしいですか?」
「かまいませんが……」
ブラフィルは、どこか困惑した様子だった。
僕は巻物を開く。
そして、その理由を理解した。
――全く読めない。
言語そのものは同じようなのだが、ユニマルとは異なる文字が使われているらしい。
「……これは、あとでチンキム殿に教えてもらおう」
とりあえず、式次第については置いておくことにした。
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今は、もう一つの話を切り出すべきだ。
「北国の皆様は、拷問の禁止に異を唱えておられるとか。なぜ、反対なさるのでしょうか?」
「うーむ……」
ブラフィルが唸る。
すると、脇に控えていた人物が口を開いた。
「リュカ殿。ブラフィルの長男、テムルと申します。現在はハルハ族のもとへ嫁いでおります。私からお話ししてもよろしいでしょうか?」
「もちろん、かまいません」
リュカは話すよう促した。
「わがタイアルは、ご存じの通り遊牧国家でございます。されば、動物とともに暮らすことは必定。その扱いは家族同然ともいえます」
テムルはそこで一度言葉を切った。
「しかし……時に、彼らの命を奪わねばならぬこともございます」
「家族同然の家畜を、なぜ屠殺する必要があるのですか? それが、なぜ人間への拷問を肯定することにつながるのでしょうか?」
「家畜は、われらにとって重要な食糧でもあるからです」
テムルは静かに答えた。
「われらタイアルの民は、遊牧を生業としております。季節ごとに、なるべく暮らしやすい土地へ移動する。されど、北国は岩肌の多い土地。牧草地を探すことも容易ではありません」
「……」
「われらは家畜を育て、その乳や肉を重要なタンパク源としております。だからこそ、育てた家畜を時に屠殺し、その命をいただかねばならないのです」
テムルは、リュカをまっすぐに見つめた。
「そして、人間への拷問の肯定につながるかと問われれば……確かに、そう考える者もおりましょう。しかし、農耕に適した土地も少なく、海もなく、まして豊かな森すらない我ら北国の民にとって、家畜とともに生き、その命を糧とすることは、まさに命を繋ぐための方法なのでございます」
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「そうか……」
リュカは、少し考えてからリルに語りかけた。
「北国の人たちにとっては、家畜と共存し、彼らを利活用することこそが、生活そのものだったんだね」
「そうすると、動物への虐待については、また別の機会に置いておいて、人間に対する拷問禁止に論点を絞った方がいいかしら」
リルが答える。
「私は反対」
マリーがすぐに口を挟んだ。
「動物とともに暮らすことで、時にその命を奪わなければならないのは分かるけど……だからといって、動物への虐待まで認めていいことにはならないと思う」
「わたしは、リルの意見に賛成かなあ」
ヘレナも続く。
「主題は、カトゥル帝国の民が、リュカ君のような拷問に遭うことをなくすことなんでしょう?」
「そうだけど……」
「でも、動物のことも大事だよ」
「それは分かってるよ」
四人の間で、議論はどんどん白熱していく。
そんなときだった。
「失礼いたします」
ゲルの外から声がした。
リュカが応対に出る。
「何用ですか?」
「今晩、リュカ殿一行をもてなす宴席を設けたいと思います。それにあたり、夕食のメニューについて伺いたいのですが……」
「うーん……」
リュカは少し考えた。
「お任せします」
「かしこまりました」
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こうして、その夜。
リュカ一行を歓迎する宴席が設けられた。
テーブルに並んだのは、羊や馬の肉。
タイアルの人々にとっては、ごく自然なご馳走である。
しかし――。
「うう……なにこれ……」
「生臭くて、食べられない……」
リル、マリー、ヘレナの三人は、どうしても口に合わないらしい。
なんとか口に運んではいるものの、三人とも悶絶している。
その一方で――。
「……!」
リュカの目は、まるで宝石でも見つけたかのように輝いていた。
「うまい!」
初めて食べる羊肉や馬肉を、夢中になって頬張っている。
「ふぁんで、ほれほひひひよ」
「何を言ってるのか分からないわよ、リュカ君……」
口いっぱいに肉を頬張りながら、それでも食べ続けるリュカ。
その姿を見て、ヘレナがぽつりと呟いた。
「我らが愛しき人は……タフなことよ」
「いや、さっき高山病で死にそうになってたけどね」
リルが冷静に突っ込む。
「ひ弱なのか、タフなのか……」
マリーも呆れたように笑った。
こうして宴会は、翌日から始まるクリルタイに備え、早々にお開きとなった。
北国の民との対話。
そして、拷問禁止をめぐる議論。
いよいよ明日、その本番が始まる。




