第90話 神意
【シーン①:破断】
雪が、細くなる。
静寂。
広場は白い。
ユスティアの張った隔離の中。
誰も動かない。
ぴしり、と。
何かが軋む音。
空間そのものに、亀裂が走った。
ユスティアの目が細くなる。
闇が裂けた。
黒衣。
細い笑み。
気配だけが、異様に軽い。
――バット。
「これはこれは」
楽しげな声。
「神族が、こんなところで直々に介入ですか」
ユスティアは答えない。
空気がさらに重くなる。
バットは広場を見渡した。
ザッハ。
レオン。
そして、ユスティア。
「随分と慌てておられる」
笑う。
「そんなに“変革”がお嫌いですか?」
「熱狂は、世界を壊します」
ユスティアが即答する。
「秩序を乱し、争いを生み、多くを破壊します」
「だから止める、と?」
「当然です」
迷いがない。
バットは小さく息を吐いた。
「あなた方は、いつもそうだ」
静かな声。
「世界を停滞させる」
「停滞ではありません。安定です」
「同じことでしょう」
バットが笑う。
「変化を拒絶し、古い秩序を守り、人を枠へ押し込める」
広場の焼け跡を見る。黒煙の残滓。焼けた臭い。
「ですが、人は不満を抱く。
だから、変わろうとする」
「あなたが煽っているだけです」
ユスティアが遮った。
「ええ。導いています」
即答。
「人は危険だからこそ、導く必要がある」
レオンは、二人を見る。
言っていることは違う。
しかし、どちらも人を“導く側”として語っている。
「あなたの行為は扇動です」
ユスティアの声が落ちる。
「人々を熱に浮かせ、正しい判断を妨げている」
バットは笑みを崩さない。
「人間に、正しさなど分からないのです。
だから与える」
バットが、一歩前へ出る。
「あなた方は、平穏を言い訳に奪うことばかりだ」
「変革を繰り返せば、世界は疲弊します」
「安定は死と同義ですよ。
停滞した世界は、腐る」
「安定こそが、世界を永らえさせるのです」
ユスティアの声が張る。
バットが薄く笑った。
「なら、なぜ世界は繰り返し変わってきたのでしょうね」
静寂。
ユスティアは、答えない。
風がない。
なのに、空気だけが揺らぐ。
バットの声が落ちる。
「王国も。歴史も。文明も。
変革を繰り返してきた。
それが、神の意思です」
レオンの目が動いた。
神。また、その言葉。
ユスティアだけではなく、バットの口からもその言葉が出てきたことに、レオンは引っかかった。
ユスティアが即座に否定する。
「違います。
神は、世界の安定を望んでいます」
バットが笑った。
「では、なぜ神は文明を滅ぼす?」
沈黙。
「なぜ神は争いを許す?」
「必要だからです」
言い切って続ける。
「世界を維持するための調整です」
「調整?」
バットが繰り返す。笑みが深くなる。
「我々は、“変革”と呼ぶのですよ」
レオンは黙って聞いていた。
安定。変革。
言葉は違う。
にもかかわらず、どちらも“神の意思”を語っている。
自分たちだけが、神を知っているかのように。
ザッハが、小さく呟いた。
「……なんで、そんなことが分かるのだ」
一瞬。静寂が落ちた。
バットがザッハを見る。
「我々は、神に仕える者ですから」
当然のような声。
疑問そのものが、存在していない。
ユスティアも否定しない。
「神族は、神の秩序を維持するために存在しています」
ザッハは首を傾げた。
「でも、二人が言ってることは、全然違うのだ」
また、沈黙。
今度は、長かった。
バットもユスティアも。
答えを持っていない。
あるいは。
答えを疑ったことすら、ない。
レオンは眉を寄せた。
当然のように。
二人とも、"神の意思"を断定する。
なぜ。そこまで言い切れる。
神を見たのか。
神と話したのか。
あるいは。
ただ、自分たちの思想を、“神”へ重ねているだけなのか。
バットが、先に口を開いた。
「見ていなさい、ユスティア」
広場を見渡す。
焼け跡。怒り。熱狂。
「世界は変わる」
「熱は、いずれ冷めます」
ユスティアが返す。
「なら、その後に何が残る?」
ユスティアは答えない。
バットは肩を竦めた。
「あなた方は、いつもそうだ。壊れることばかり恐れる」
声が下がる。
「だから、世界を縛り付ける」
ユスティアは、答えなかった。
空気が、変わった。
言葉がなくなった。
議論が、終わった。
ユスティアの瞳から、わずかな揺らぎが消える。
バットの笑みが、薄くなる。
どちらも。
もう、相手に語りかけていない。
レオンは、無意識に問いを投げていた。
――“神の意思”とは何だ。
≪解析条件が不足しています≫
想定通りの返答。
――神は観測できるか。
≪観測情報が不足しています≫
――では、なぜ全員が神を根拠にする。
≪高次概念による意思決定の簡略化と推定します≫
答えにならない。
ただ。
"簡略化"。
その言葉だけが、残った。
神を根拠にすれば、考えなくていい。
疑わなくていい。
従うだけでいい。
では、神の意思とは——。
問いが、形になりかけたところで。
ザッハが、小さく呟いた。
「……どっちが、正しいのだ」
誰も、答えない。
冷気が、広場を満たしていく。
雪はいつの間にか止んでいる。
しんとした空気が締まる。
ユスティアとバットの間に。
見えない境界線が、引かれていた。
積もった雪が、夜闇の中で映えていた。
レオンの中では、まだ疑問が積み上がり続けていた。
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