第89話 強制
【シーン①:宿】
夜は深かった。
窓の外では、雪が落ちている。
音もなく。
宿の一室。
卓上の灯りだけが揺れていた。
誰も口数が多くない。
広場での熱狂。
焼き討ち。
あの空気が、まだ残っていた。
ガウィンが椅子の背にもたれる。
「気持ち悪ぃ流れだな」
ヘレナが腕を組む。
「止める側が、誰もいなかった」
ジュードが言う。
「止められなかった、の方が正確かもしれません」
レオンがジュードに視線を向ける。
ジュードは続けた。
「近隣の貴族が、私兵を集め始めています」
部屋の空気が止まった。
「通常、この季節の出兵はあり得ません」
窓の外へ視線を向ける。
降り続く雪。
「ですが……今回は、例外のようです」
ガウィンが鼻を鳴らした。
「もう戦争じゃねぇか」
ヘレナは答えない。
王国側も、黙ってはいない。
焼き討ちは、それだけ重いということだった。
問題は、誰が止めるのか。
レオンは目を閉じる。
ザッハは、あの場を望んでいなかった。
それは分かる。
だが。
止められなかった。
あの熱狂は、もうザッハ個人の意思では制御できない場所まで膨れ上がっている。
そして、その中心に。
バットがいる。
ザッハの善意が、熱狂に塗り替えられてゆく。
レオンは立ち上がった。
「ザッハに会いに行く」
ヘレナが顔を上げる。
「今から?」
「このまま放っておけない」
短い沈黙。
ジュードは、黙ってレオンを見ていた。
【シーン②:広場】
雪は薄く積もっていた。
白い。
音がない。
昼間の熱狂が、どこにもない。
人もいない。
広場には、焼け焦げた臭いだけが残っていた。
黒く崩れた看板。
燃え落ちた木材。
雪が、その上に積もっていく。
レオンは領主の館へ向かおうとして――止まった。
広場の中央。
一人、座っている。
小柄な影。
ツインテールが、雪に濡れていた。
――ザッハ。
ザッハはレオンに気づいていない。
ただ、焼け跡を見ていた。
レオンは近づく。
雪を踏む音だけが響く。
ザッハが顔を上げた。
「あ」
気の抜けた声。
昼間の熱は、どこにもない。
「こんなところで何してるんだ」
レオンの問いに、ザッハは少し迷ってから口を開いた。
「……わからんのだ」
声が小さい。
「みんな、怒ってたのだ」
視線が焼け跡へ落ちる。
「ビーストマンだからっていう差別はなくしたい。
でも……」
言葉が止まる。
「焼き討ちなんて、して欲しかったわけじゃないのだ」
雪は降り続ける。
「わたしは、みんなに仲良くして欲しかっただけなのだ」
ぽつり。
本当に、それだけだった。
レオンは黙って、ザッハを見た。
ザッハの話には、最初から境界がない。
ヒト族も。
ビーストマンも。
ただ、"みんな"。
そういう線引き自体が、曖昧だ。
だから。
ザッハは助けられる。
同時に。
利用される。
レオンは口を開きかける。
それは、言葉にならない。
正論では、止まらない。
理想だけでも、止まらない。
社会が、もう動いている。
【シーン③:介入】
違和感。
空気が、沈む。
雪の音が消えた。
風も。
気配も。
遠い。
世界から切り離されたような感覚。
気づけば、そこにいた。
白銀の髪。
静かな瞳。
――ユスティア。
ザッハが反射的に立ち上がる。
空気が張る。
ユスティアはザッハを見る。
「ザッハ」
感情の薄い声。
「あなたは危険です」
断言する。
ザッハの眉が寄る。
「……何の話なのだ」
「あなた単独なら問題ありません」
ユスティアは続ける。
「しかし、人はあなたを利用する」
ザッハが息を呑む。
視線がふらつく。
バットを思い出したのか。
あるいは。
昼間の群衆か。
ユスティアの顔が、横へ向く。
レオンを見る。
ほんのわずか。
目が細くなる。
「……こんなところに」
わずかな間。
想定していなかった様子。
レオンは何も言わない。
ユスティアは静かに続ける。
「丁度良い」
「ザッハを連れて、この街を出なさい」
ザッハが目を見開く。
「は?」
「ザッハさえ、この街からいなくなれば」
淡々とした声。
「変革は起こりません」
雪が降り続いている。
なのに、寒さが遠い。
隔離。
遮断。
圧力。
「なぜ、そこまでする」
レオンが聞く。
ユスティアは即答した。
「秩序は、脆いからです」
迷いがない。
「人は、熱狂します。
正義を掲げます。
そして、自分こそが正しいと信じたまま、壊す」
静かな声だった。
「神は、世界の安定を望んでいます」
ザッハが顔をしかめる。
「わたしは、そんなつもりじゃ――」
「理解しています」
ユスティアが遮る。
「だから、危険なのです」
ザッハは言葉を失う。
レオンは黙っていた。
――分かる。
ユスティアの理屈は、間違っていない。
このまま進めば。
多くの血が流れる。
冬を越える前に。
コルデリアは、戦場になる。
だが。
ザッハを排除することは。
ザッハの理想そのものを、否定することでもある。
沈黙。
ユスティアが、ふと視線を落とした。
「ヴェリス」
レオンの目が動く。
「あれは、まだ修復可能です」
レオンは息を呑んだ。
「協力しましょう」
雪が視界を流れる。
「その代わり」
ユスティアは、まっすぐレオンを見た。
「この騒ぎを止めなさい」
静かな声だった。
逃げ道のない。
強制の声。
レオンは答えられない。
ザッハも、黙ったままだ。
誰も、答えを出せない。
雪だけが、静かに積もっていく。
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