第87話 立ち位置
【シーン①:領主の館】
扉が閉められ、足音が離れてゆく。
静寂。
ザッハの視線がヘレナへ向いた。
「よく来てくれたのだ」
声が揺れる。
わずかに潤んだ瞳。
先ほどまでの張り詰めた空気が、崩れかけていた。
しかし同時に、目の端ではジュードを見ている。
レオンはザッハを見る。
「なにがあったんだ」
ザッハは困ったように眉を下げた。
「それが、わたしにもよくわからんのだ」
そう言いながらも、ジュードを気にしている。
「お構いなく」
ジュードが微笑む。
柔らかい。
だが、薄い。
レオンは口を開いた。
「外してくれ」
ジュードはレオンを見る。
そして、ザッハに視線を移す。
それだけで、状況を理解したようだった。
「……承知しました」
あっさりと頷く。
「報告はお願いします」
言い置いて、退出した。
扉が閉まる。
また、静かになった。
「ヘレナぁ……」
ザッハがヘレナへ飛びついた。
ヘレナは小さく息を吐く。
「落ち着きな」
「本当に、よくわからんのだ……」
ヘレナの胸に顔を埋めたまま、ザッハが呟く。
そこから、話し始めた。
この二年のことを。
コルデリアに、ビーストマンが集まり始めたこと。
居場所がない者。
食えない者。
追い出された者。
そういう連中を拾っていたら、人が増えた。
仕事を回した。
暴力を止めた。
喧嘩を止めた。
そうしているうちに、街が静かになった。
「静かなのは、悪いことじゃないと思ったのだ」
ザッハが顔を上げる。
「でも、なんか違うのだ」
言葉が、出ない。
「何が違うのか、わからん」
レオンは黙って聞く。
「気づいたら、領主の代わりみたいになってて……」
ザッハが困ったように頭を掻く。
「でも、そんなつもりじゃなかったのだ」
嘘はない。
「わたしは、みんなに仲良くなって欲しかっただけなのだ」
息を呑む。
「居場所を与えたかっただけなのだ」
誰も、言葉を継がなかった。
「全部うまくいかないのは、わかるのだ」
ザッハの声が小さくなる。
「選ぶ必要がある、ということも」
声がさらに落ちる。
「でも、何がうまくいってて、何がダメなのかも、最近わからなくなってきたのだ……」
ザッハ自身は、構造を理解していない。
ただ、何かが自分の手を離れて動いていることだけは感じている。
レオンは、黙って視線を落とした。
そして――。
言葉の端々に、別の存在が滲む。
実務を回している者。
強硬策を進めている者。
――意図がある。
「わたしは、どうしたらいいのだ」
ザッハがヘレナへ縋る。
ヘレナは困ったようにレオンを見た。
助けを求める視線。
レオンは即答しなかった。
クラウディアの言葉を思い出す。
王国の安定。
既存秩序の維持。
異常の排除。
――それも正しい。
他方、ザッハの言葉にも誤りはない。
虐げられてきた側を救いたい。
争いなく変えたい。
どちらにも理屈がある。
どちらにも正義がある。
――だからこそ、噛み合わない。
沈黙のあと。
レオンは口を開いた。
「ビーストマンへの抑圧を是正することは、正しい」
ザッハが顔を上げる。
「だが、そのために他の誰かを抑圧するのは間違っている」
糾弾するわけではない。
レオンは続けた。
「これは、誰かが決めるものじゃない」
レオンは静かに言う。
「各々が決める問題だ」
ビーストマンと人間。
支配する側と、される側。
王国とコルデリア。
「どちらが正しい、という話じゃない」
種族の壁がある。
それを取り払いたいと思うことは尊重されるべきだ。
いままでの平穏を守りたいという感情も、否定はできない。
「両方が、対等に意見をぶつけるしかない」
レオンはザッハを見る。
「その結果として決まるものが、本来の答えだ」
理解しているのか。していないのか。
ザッハは黙って聞いている。
「手助けはする」
レオンは続ける。
「だが、介入はしない」
互いに、相手を知らなすぎる。
知らないまま、敵になっている。
「クラウディアと会話をする場を設けよう」
ザッハが目を瞬かせた。
レオンは窓の外に目を向ける。
雪が、窓の外で揺れていた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし「面白い!」「続きが気になる」と思ってくださったら、
★や感想で応援していただけると、執筆の励みになります!




