第9話 効率の先にあるもの
【シーン①:森へ】
七歳になってから、日常は少しだけ窮屈になった。
読み書き、計算、礼儀作法。
決められた時間に決められたことをこなす時間が増え、自由に使える時間は確実に減っている。
理解できる内容を、順に並べてなぞるだけの授業に意味は薄い。
だから抜ける。
人目を避け、気づかれないように屋敷を出る。
向かう先は、城塞都市の外縁に広がる森。
大森林ヴァルドシュヴァルツの辺縁部――深部は未踏とされる危険地帯だ。
だが、このあたりは小型の魔獣が出る程度。
狩り場として使われている。
実戦練習にはちょうどいい。
木々の間を抜けると、空気が変わる。
湿った土の匂い。
葉擦れの音。
どこかで何かが動いている気配が、常にある。
修練場とは違う。
ここでは何が起きてもおかしくない。
レオンは木の陰に身を寄せ、気配を探る。
――見つけた。
低木の根元で、小さな影が地面をかじっている。
ニブルラビット。
見た目はただのうさぎに近いが、異様に発達した前歯で何でもかじる厄介な魔獣だ。
戦う力はほとんどないが、警戒心だけは無駄に高い。
――問題は出力だ。
低すぎれば仕留めきれない。
高すぎれば無駄になる。
その”ちょうどいい”位置が、どうにも掴みきれない。
迷いを切る。
出力を引き上げる。
「フラムボルト!」
火が収束し、放たれる。
直撃。
ニブルラビットは一瞬で黒く焼け焦げ、その場に崩れ落ちた。
焦げた匂いが、わずかに残る。
――やりすぎだ。
完全に仕留めてはいる。
むしろ、ここまで焼き切る必要はなかった。
肉は使えない。資源としても価値が落ちる。
足元に小さな火が移りかけているのが目に入った。
「コレクテンス」
周囲の水分を集めて落とす魔法だ。
じゅ、と小さな音がして、蒸気が一瞬だけ立ち上った。
フラムボルトは狩り向きじゃない。
以前からわかっていた問題だ。
炎の制御は難しく、確実に仕留めようとすれば出力を上げるしかない。
しかし、出力を上げれば対象は燃え尽きる。
射出速度も遅いから、かわされない距離まで近づく必要もある。
詠唱の声に気づかれずに距離を保ちたいのに、それができない。
――やっぱり別の魔法だ。
速くて。
炎ではなく。
確実に仕留められる。
詠唱時間は削れない。
発音を崩せば発動しない以上、この工程は省けない。
ならば気づかれない距離を保ったまま詠唱を終わらせる。
それが前提だ。
先日、ようやくその条件を満たす魔法を習得した。
視線を上げ、次の獲物を探す。
――今日、初めて使う。
頭の中では、すでに詠唱の構築イメージが終わっていた。
【シーン②:遭遇】
すぐに見つかった。
またニブルラビットだ。
今度は少し開けた場所にいる。
レオンは茂みに身を沈める。
呼吸を抑え、意識を集中させる。
距離を保ったまま、声を絞る。
無駄な詠唱文言を削って、短く、鋭い声を発する。
「ヴェントダート!」
風が圧縮され、一直線に整えられる。
発動に入った、その瞬間――
横から何かが飛び込んできた。
地面を蹴る音。
一直線の動き。
次の瞬間、ニブルラビットが斬り飛ばされていた。
――は?
思考が止まる。
魔法は止まらない。
強引に軌道をずらす。
風の矢が木の幹をかすめ、葉を散らした。
「避けろ!」
影が反応する。
わずかに身を捻り、風を避ける。
静寂。
レオンは茂みから出た。
そこには、剣を持った少年が立っている。
同じくらいの年齢。赤毛が跳ねている。
こちらを見ている。
『あぶないだろうが』
完全に同時だった。
互いに一瞬止まる。それから少年が、にやりと笑った。
「おもしれーじゃねーか」
怒っていない。むしろ楽しそうだ。
「……狙ってたんだぞ」
「オレも狙ってた。先に斬ったのはオレだ」
「撃つ直前だった」
「でも斬ったのはオレだろ」
視線がぶつかる。
どちらも引かない。
かに見えた。
ふいに、少年が肩の力を抜いた。
「避けろって言ったのは助かった。あれ、当たってたら痛かったろうな」
「……痛いどころじゃない」
「そっか。じゃあよかった」
あっさりしている。
あの動きは見ていた。
速い。
迷いがない。
整った型ではないが、一撃が速く重い。
対人ではなく、魔物を叩き斬るための動きだった。
考えて動いている感じがしない。反射だ。
「オマエ、魔術師か?」
「……見習いだよ」
「へえ。さっきの魔法、速かったな」
「発動は速い。問題はその前だ」
「そうか?
発動の前は見てないけど、あれだけ速けりゃいいだろ」
「お前の方が速い」
事実だった。
少年は少し笑う。
「まあな」
あっさり認める。
嫌みがない。
自分の速さを知っていて、それを当然と思っている。
そのとき、別の気配が動いた。
互いに視線を向ける。
次の瞬間、少年が先に動いた。
地面を蹴る。
迷いなし。
速い。
レオンは一瞬遅れて詠唱に入る。
「ヴェントダート!」
風が走る。
剣が振られる。
ほぼ同時だった。
風が貫き、剣が断つ。
ニブルラビットが崩れ落ちる。
少年が振り返る。
「……なんか今の、ちょうどよかったな」
「……ああ」
レオンは自分の手を見る。
初めて使った魔法だが、問題なく機能した。
フラムボルトよりも、明らかに実戦向きだ。
速い。
無駄がない。
狙い通りだ。
――いける。
「オマエ、面白いな。またやろうぜ」
当然のように言う。
断る理由を考える前に、口が動いた。
「……ああ」
少年は満足そうに頷き、踵を返す。
赤毛が揺れる。
来たときと同じように、あっさりと森の中へ消えていった。
森の空気が、少しだけ変わる。
さっきまでの実験とは違う感覚。
悪くない、と思ったのは、魔法だけではなかった。
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