第80話 収蔵
【シーン①:侵入】
海だった。
見渡す限り、何もない。
波は穏やかだ。
風も弱い。
船がゆっくりと揺れている。
ヘレナが地図を見下ろす。
指先は一点で止まっている。
「ここで合ってる」
レオンは答えない。
視線は海面に落ちていた。
何もない。
島影も、岩もない。
ガウィンが周囲を見回す。
「外したか?」
レオンは一歩だけ前に出た。
船縁に立つ。
海面を見下ろす。
揺れている。
ただ、それだけだ。
意識を落とす。
絞る。
一点。
座標の真下。
詠唱に入る。
「ピング」
音が走る。
沈む。
抜ける。
さらに下へ。
――止まる。
空間。
空洞。
広い。
内部。
構造あり。
水ではない。
レオンの目がわずかに細まる。
海面に視線を戻す。
同じ場所を見ている。
何もない。
だが、違う。
わずかに沈む。
波が遅れる。
揺れが噛み合わない。
触れている。
「下だ」
短く告げる。
ヘレナの視線が落ちる。
海面を見る。
「……流れが歪んでる」
一点だけ、波が崩れない。
押しても引かない。
そこだけ、遅れている。
ガウィンが眉をひそめる。
「穴か?」
「空洞だ」
レオンは船縁に手をかける。
位置を測る。
ずれはない。
座標と一致している。
レオンは靴を脱いだ。
外套を脱ぐ。
「行く」
それだけ言って、足をかける。
「待ちなさい」
ヘレナの声が止める。
ロープが投げられる。
結び目が素早く組まれる。
「戻れなかったら終わりよ」
レオンはわずかに頷いた。
意識を落とす。
呼吸を止める。
踏み出す。
水面に触れる。
沈む。
冷たい。重い。
だが、深くならない。
すぐに抜けた。
感触が変わる。
空気。
足が床に触れる。
水音が遅れて響いた。
レオンは顔を上げる。
そこは、空洞だった。
【シーン②:内部空間】
通路を抜けた先で、空気が変わる。
湿り気が消えている。
乾いた静けさだけが満ちていた。
削られ、整えられた空間。
自然の形はほとんど残っていない。
広い。
しかし、その広さに対して、音も気配も足りていない。
視界の先に、石の台座が整然と並んでいる。
武器、魔道具、加工された鉱石、魔獣の骨。
用途の判別できないものまである。
形も由来もばらばらだ。
それなのに、配置だけは揃っている。
間隔は均一。
角度も揃えられていた。
剣が一本、鞘ごと置かれている。
刃はわずかに露出しており、そこから滲む魔力だけが生きていた。
隣には、内部で光が巡る球体。
さらに奥には、黒く焼けた骨が束ねられている。
どれも、使われた痕跡がない。
「……使わないのか。もったいねえ」
剣を眺めるガウィンの声が低く落ちる。
レオンは答えず、視線を走らせる。
どの品も、外へ流れる気配がない。
力はある。
だが、どこにも向かっていない。
閉じ込められているわけでもなく、ただ動いていない。
集めて、置くための空間だ。
レオンは足を進める。
台座の列を抜け、奥へ向かう。
並びの終端で、視界が開けた。
円形の広間。中央だけが、空いている。
そこに、ひとつだけ存在していた。
白い人影。
宙に浮いている。
衣は簡素で、装飾もない。
露出の多さが、躯体の白さを際立たせている。
藍色の髪が垂れている。
うつむいた表情が見える。
その周囲だけ、空気の流れが止まって見えた。
風はないのに、そこだけ時間が引き延ばされたように、すべての変化が鈍い。
レオンは足を止め、距離を測る。
一歩、踏み出す。
近づいているはずだが、距離が縮まらない。
空間がずれている。
もう一歩。
境界を越えた瞬間、わずかに感覚が沈む。
重さではない。流れが遅い。
レオンはその場で止まり、対象を観測する。
維持されている。
止まっているわけではない。変化だけが極端に遅い。
ヘレナの声が小さく届く。
「……ヴェリスなのか」
レオンは応じない。
手を伸ばす。
躊躇はない。
指先が触れた瞬間、わずかな反応が返る。
細い流れがひとつだけ生まれる。
それを逃がさないように、レオンは魔力を流す。
接続を保つことに集中する。
内部で、何かが動く。
ゆっくりと。
極端に遅い速度で、閉じていた循環がわずかに巡り始める。
レオンは手を離さない。
変化を待つ。
時間がかかる。
それでも、止まらない。
まぶたが、わずかに震える。
さらに時間をかけて、ゆっくりと開く。
光が宿る。
焦点が合う。
その視線が、こちらを捉えた。
言葉はない。
それでも、目だけは、こちらを捉えていた。
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