第73話 遺跡の最後
【シーン①:長老の樹】
長老の樹の内部は静かだった。
だが、空気は重い。
「魔力の漏洩自体を止める手段はない。
漏出を無くすには、遺跡を止め、魔力を使い切るしかない――というわけじゃな」
長老の言葉は短く、決定的だった。
遺跡の魔力を使い切る。
それはすなわち、防護壁の消失を意味する。
千年続いた守りが、ここで終わる。
室内には、レオンたちのほか、碧の疾風、そして数名のエルフ代表が集まっていた。
ヒュドラ戦の翌日。
誰一人として万全ではない。
レオンも例外ではなかったが、それでも視線は揺れていない。
「ヒュドラ戦で遺跡に過負荷がかかった。
挙動がおかしい。早急に決断すべきだ」
静かに言い切る。
「……即断できる問題ではない」
長老が返す。
「放置すれば、爆発の可能性もある」
場がざわめいた。
一瞬の沈黙。
「重ねて問う。修理はできぬのだな」
「少なくとも、俺には無理だ」
迷いのない断言。
「レオンにできないのであれば、だれにもできません」
フェルシオーネが続けた。
沈黙が落ちる。
逃げ道は、もうない。
「……どのように使い切る」
「本来の用途に戻す。ヴェリスに供給する」
「可能か」
「可能な範囲で、だ」
それが限界だと、誰もが理解した。
長老はゆっくりと目を閉じる。
そして、開いた。
「……やるしかあるまい」
反対は出なかった。
決定だった。
レオンはすぐに踵を返す。
「準備に入る」
誰も引き止めない。
時間がないことは、全員が分かっていた。
【シーン②:遺跡】
制御室は、すでに異様な熱を帯びていた。
レオンは装置に手をかけ、短く操作を重ねる。
構造は把握済みだ。
「停止処理、完了」
機構の唸りが変わる。
「これで新たな蓄積はされない」
「……本当に、この方法しかないのか」
フェルシオーネの声には、まだ迷いが残っていた。
「今は使えなくするだけだ。直せばいい。
それだけの時間がエルフにはあるだろう」
フェルシオーネは苦笑した。
「簡単に言う」
レオンは応じない。
「ヴェリス、残量は」
「五一〇二」
「減ったな」
当初の八割から、すでに大きく削れている。
「イグニスの消費効率は見直す必要がある」
独り言のように呟く。
「あの魔法……イグニスと言ったか。
古代のものか?」
「アレンジ。いや、オリジナルだ」
フェルシオーネは言葉を失った。
「……魔法を、作ったのか」
返答はない。
すでにレオンは次の作業に入っていた。
ヴェリスへの供給を開始する。
接続。流入。
「――っ」
わずかに、ヴェリスの身体が震えた。
時間短縮のため、供給速度は限界近くまで引き上げている。
魔力の奔流が、ヴェリスに負担をかける。
それでも、計算上は数日単位が必要だった。
時間がかかりすぎる。
異変は、三日目に訪れた。
警告音。
甲高い音が、制御室に響き渡る。
レオンは即座に解析に入る。
「……漏洩が増えている」
供給による負荷で、損傷が進行した。
速度を落とす。
止まらない。
警告はむしろ強まる。
このままでは、持たない。
レオンの思考が加速する。
選択肢は二つ。
緩やかに供給させる。時間は年単位。現実的ではない。
一気に供給させる。ヴェリスが耐えられる保証はない。
どちらも破綻だ。
警告音が重なる。
止まらない。
――ならば。
別の解を作る。
「ヴェリス、供給中止だ」
接続を断つ。
負荷から解放されたヴェリスが、わずかに緩む。
「状況を監視しろ」
「了解」
遺跡は、なおも唸り続けている。
残量はまだ多い。
だが、このままでは――
崩壊する。
レオンはヴェリスに出力用の導線を繋ぎなおす。
レオンとヴェリスは伴って外へ出た。
冷えた空気。
空を見上げる。
思考を絞る。
この規模。
この量。
単一の破壊では足りない。
消費しきるには――
拡散するしかない。
面積を広げる。
密度を落とす。
大気に逃がす。
構造は単純だ。
しかし、それを実現する魔法は存在しない。
ならば、作る。
レオンは目を閉じる。
エルフの里に入った時の感覚を思い起こす。
環境そのものを制御していた、あの魔法。
広域へ。
全方位へ。
詠唱を開始する。
「アクリア……」
水。
「アエリア……」
風。
流れを組み上げる。
拡散のための構造を、即興で編み上げる。
魔力が流れ込む。
制御に意識を集中する。
頭上に雲が生まれた。
小さい。
瞬く間に広がる。
魔力に比例して、際限なく。
視界を覆い、空を埋める。
時間の感覚がゆがむ。
魔力が尽きない。
制御に意識が削り取られてゆく。
終わりが見えない。
それでも止めない。
止めれば、終わる。
そのとき。
「……供給量、低下」
ヴェリスの声。
警告音が弱まる。
さらに。
「……停止」
静寂が訪れた。
ついに。
魔力の流入が途絶えた。
レオンはゆっくりと目を開いた。
詠唱を完成させる。
「……雪」
白い粒が、落ちてきた。
静かに。
音もなく。
フェルシオーネが手を差し出す。
掌に、白が溶ける。
空は、白に覆われていた。
大森林のすべてを包み込むほどの規模で、雪は降り続ける。
熱は奪われ、魔力は拡散されていく。
遺跡は、沈黙した。
フェルシオーネは空を見上げたまま、しばらく言葉を失っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……魔法で、これほどのことが……」
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