第69話 エルフの里
【シーン①:里】
境界を越えた瞬間、視界が歪んだ。
足元の感覚が一瞬だけ抜け落ちる。重心がずれる。
吐き気に近い違和感が喉元までせり上がるが、それはすぐに収まった。
魔力酔い。
レオンは息を整えながら周囲を見渡した。
森は変わらない。
だが、何かが違う。
空気の密度が違う。音の反響が違う。
故郷の城塞都市を囲む結界に感覚が近い。
温度や湿度すら、意図的に制御されている気配があった。
ただし、境界が掴めない。
どこで切り替わったのか、判別できなかった。
背後ではガウィンが小さく舌打ちし、ヘレナが一歩よろめいていた。
ヴェリスは反応を示さない。
影響を受けていないのか、そもそも影響の定義が違うのか。
「……結界か」
呟くと、フェルシオーネが振り返る。
「似たようなものです。
外界とは切り分けています。内部の環境も含めて」
それだけ言って、先へ進む。
案内に従いながら、レオンは観察を続ける。
視線がある。
しかし、近づいてくる者はいない。
木々の合間、枝の上、葉の影。
確かに存在しているが、接触してこない。
監視に近いが、敵意はない。
距離を取られている。
やがて、生活の気配が見え始めた。
巨木の幹に、扉がある。
自然に開いた空洞ではなく、削った痕跡もない。
内部は滑らかに整っている。
人の手で加工した形ではない。
木そのものを、意図をもって成長させている。
視線を上げると、枝の上にも空間があった。
足場が組まれているわけではない。
枝がそのまま床になり、その上に生活の場がある。
その間を、エルフが移動していた。
浮いている。
上下の動きに無理がない。
重力から切り離されたような動きで、枝から枝へ、地面から樹上へと滑るように移る。
会話が聞こえた。
距離がある。にもかかわらず、近い。
耳元で囁かれているような感覚で、言葉が届く。
不自然な区切りがある。
単語の流れの中に、一定のリズムが混ざる。
詠唱だ。
日常会話と融合している。
言葉そのものが、機能を持っている。
土の塊が動いていた。
台車にそのまま頭を付けたような、簡易な造形の小型ゴーレムが、荷を運んでいる。
他にも、魔導灯と同じ仕組みと思われる光源が樹上に点在し、小さな竜巻が落ち葉を集めていた。
魔法が、生活の前提にあった。
ここでは魔法は使うものではない。常にあるものだ。
無駄がない。
動きは最短で、行動は目的に収束している。
浪費ではない。循環だ。
エルフの生活は、美しいというより、整いすぎていた。
合理的に、過不足なく。
人の営みとしては、どこか歪んでいる。
その中心へと、一行は進んでいった。
【シーン②:長老の樹】
ひときわ大きな樹の前で、足が止まる。
幹は太く、視界に収まりきらない。
表面は滑らかで、長い年月を経ているはずなのに、劣化の気配がない。
内部へと案内される。
空間は広く、静かだった。
中央に、それは存在していた。
半身が樹と一体化している。
人の形を保っているのは上半身だけで、下半身は完全に幹と融合していた。
境界は曖昧で、どこからが肉体で、どこからが樹なのか判別できない。
目は開いている。だが、視線は定まっていない。
「長老」
フェルシオーネが一歩前に出る。
「対象を連れてきました」
「……来たか」
声ではなかった。
意味だけが直接流れ込んでくる。
レオンは無意識に息を止めた。
視線がヴェリスに向けられる。
「魔術師の人形、か。千年ぶりじゃな」
感慨でも驚きでもない。
確認だった。
「やはり目覚めておったか。
連動するのは道理じゃ」
レオンは口を開いた。
「遺跡について説明を」
「焦らずともよい」
長老の声が流れ込む。
「フェルシオーネ、説明してやれ」
フェルシオーネが一歩進む。
「遺跡は、この地に千年近く前から存在しています。大森林の魔力を収集し、蓄える装置です。
エルフの里は、それを護るために作られました」
レオンは黙って聞く。
「一年半ほど前、遺跡が突如起動状態に入りました。
同時に、内部に蓄積されていた魔力の流出が始まっています」
「同じ頃に魔術師の人形が目覚めた。そうじゃな」
長老が重ねる。
「連動しておるのじゃ」
レオンの思考が動く。
ヴェリスが再起動したのは、レオンと同期した時点だ。
それが遺跡を連動起動させた。
起動によって遺跡内部で何かが起こった。
蓄積された魔力が出力され始めている。
話に破綻はない。
「流出した魔力に誘われて、魔獣が周辺に集まり始めました」
フェルシオーネが続ける。
「里への襲撃も、この半年で増えています。このまま放置すれば、周囲の魔力環境が崩壊する恐れがあります」
「その人形が起動させた遺跡を制御し、停止させて欲しいのじゃ」
長老の声が落ちる。
「それがそなたらへの依頼じゃ」
依頼。
だが、その響きは逃げ道を潰している。
レオンは即答しない。
フェルシオーネと長老を観る。
「遺跡の構造を確認する。
その上で決める」
拒否ではない。
了承でもない。
保留。
主導権を渡さないための選択だった。
「人形がまいた種じゃ。
刈り取るのが筋というものじゃろう」
「停止が最適とは限らない」
それだけ言う。
フェルシオーネの視線がわずかに揺れた。
長老は沈黙する。
否定しない。
肯定もしない。
「……ほう」
短く、それだけが流れ込む。
「明日、遺跡を確認するがよい」
結論だけが提示される。
長老はすでに意識を別に向けている。
対話は、打ち切られた。
フェルシオーネが振り返る。
「案内します」
一行は樹を後にした。
レオンは歩きながら、情報を整理する。
遺跡はヴェリスの起動に連動した。
蓄積された魔力が漏れ、魔獣を引き寄せている。
エルフは停止を求めている。
だが、停止だけで解決するかどうか。
蓄積された魔力はどこへ行く。
停止すれば、漏れは止まるのか。
確認が必要だ。
ヴェリスを横目で見る。
視線は動かない。
遺跡は、状況次第では使える。
それ以上の何かが、まだ見えていない。
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