第60話 ザッハ
【シーン①:店前】
木の看板は風に揺れていたが、扉は固く閉ざされており、炉の熱も鉄の匂いも完全に消えている。
人の出入りが止まって久しいことは、一目で分かった。
「……閉まってるな」
ガウィンが軽く扉を叩くが、返事はない。
通行人に声をかける。
返答は早い。
「知らない」
「見てない」
言葉は同じだが、間がない。
考える前に切り捨てるような速さだった。
視線は合わない。
こちらを見た瞬間に外される。
関わらないのではない。
関わらないことを選んでいる。
「どうする」
ガウィンが振り返る。
ヘレナは小さく息を吐いた。
「……参ったね」
そのとき、背後に気配が増えた。
音は抑えられているが、位置は正確に把握できる。
振り向けば、屈強なビーストマンたち並んでいた。
距離は一定に保たれ、隙間がない。
知った顔はない。
その中の一人が前に出る。
「来てもらう」
短い命令だった。
問いも拒否も想定していない声音。
ヘレナは一瞬だけ相手を見て、小さく息を吐く。
「……案内しな」
包囲が動き、前後を挟まれる形で歩かされる。
道は徐々に細くなり、人の気配は遠のいていった。
【シーン②:アジト】
建物の中は静かだった。
人はいるが、無駄な声はない。
視線だけが一瞬こちらに向けられては外れる。
監視というより、役割に徹した動きだった。
奥へ進む途中、ヘレナの足がわずかに止まる。
壁際の一人のビーストマンと視線が合う。
相手の口がわずかに開きかけて、閉じる。
声は出ない。
ヘレナも何も言わない。
そのまま、互いに視線を外す。
歩みは再開される。
案内された部屋は広く、飾り気はないが整えられていた。
中央にぽっかりと空間があり、待つことを前提とした造りになっている。
しばらくして、奥の扉が開いた。
小さな影が飛び出す。
「ヘレナ!」
勢いよく抱きついてくる。
軽い身体をヘレナが受け止める。
「……相変わらずだな」
少女だった。
ツインテールに束ねた髪と忙しなく動く瞳。
その無邪気さ、その表情を見るヘレナの目が緩む。
「久しぶり!」
「元気そうだな、ザッハ」
「元気だぞ」
ザッハは満足そうに笑い、くるりと周囲を見回す。
「人、増えただろ?」
誇らしげに言う。
「最近は入れ替わりも多いんからな。
ヘレナも知らんやつが多いだろ」
ヘレナは改めて見渡す。
「安心しろ。
みんな、それぞれうまくやってるはずだぞ」
その言葉のあと、ふと思い出したように視線を巡らせる。
「そうだ。
おい」
先ほど通路で立っていた男を呼び寄せる。
「バズは分かるだろ?」
ヘレナは一瞬だけ目を細め、それから肩の力を抜いた。
「……おまえ、バズか。
成長したな、分からなかった」
バズは照れたように頭をかく。
「えへへ……」
その様子に、場が和んでゆく。
ザッハは満足そうに頷き、すぐに本題へ戻った。
「で、今日はどうしたんだ?」
「ゼムストに用があってさ」
「ゼムストなら工廠に戻ったぞ。
素材が切れたって」
ガウィンが舌打ちする。
「まじかよ」
ヘレナがレオンを見る。
レオンはドワーフ工廠までの距離と日数、補給を頭の中で整理する。
「……問題ない」
ガウィンが笑う。
「決まりだな」
その様子を見て、ザッハがヘレナを向く。
「じゃあ、今日は泊まっていけ。街を出てからの話が聞きたい」
「仕方ないな」
ヘレナが応じた。
【シーン③:バット】
「失礼します」
その一言で、会話が途切れた。
意識だけが入口へ寄る。
黒服の男が立っている。
整った外見、隙のない所作、静かな笑み。
「こいつは?」
ヘレナが低く問う。
ザッハが即答する。
「バットだ。
すごく優秀なんだぞ」
バットは丁寧に一礼する。
「バットと申します」
その瞬間、緊張が張り詰める。
手が無意識に武器へ伸びる。
本能が、危険を告げていた。
バットはそれを理解した上で、淡々と口を開く。
「魔族の血によるものです。
お気になさらず。
純粋魔族の系譜ゆえ、忌避反応が出るかと」
説明は簡潔で、感情は乗っていない。
ザッハが頷く。
「でもいいやつだぞ。
おかげで、いろいろできるようになったのだ」
「恐縮です」
軽く頭を下げる。
「ザッハ様のように、魔族とヒト族の血を併せ持つ方は稀有です。
その変革に加われることを、光栄に思っております」
「おおげさなのだ」
バットの口元だけが笑っていた。
「恐縮ですが、緊急です」
バットはすぐに話題を切り替える。
「構成員がマルキ組に攫われました。
監禁されていると考えられます」
ザッハの表情が変わる。
「ギムを含む数名。
現在、連絡が取れておりません」
「ギム爺が?」
ヘレナから声が上がる。
バットはわずかに頷く。
「はい」
短い肯定だった。
空気が重くなる。
バットは机に地図を広げる。
いくつかの地点に印が打たれている。
「候補地はいくつかありますが、この場所が最有力です」
そのうちの一つを指す。
レオンは視線を落とす。
違和感。
情報は揃っている。結論もある。
だが、そこに至る過程は語られない。
問いは浮かぶが、口にする前に流れが決まる。
「ザッハ様に対応をお願いしたく」
ザッハは即座に立ち上がる。
「行くぞ」
迷いはなかった。
「こっちも」
ヘレナが続く。
レオンを見る。
わずかな間。
――できすぎている。
それでも、否定する材料はない。
「問題ない」
結論だけを出す。
ザッハが無邪気に笑う。
「よし、行こう」
場は動き出す。
正しい流れに見える。
それでも、レオンの中には、違和感が静かに残っていた。
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