第57話 結成
【シーン①:ダンジョン最下層】
最下層へ至る通路は、ここまでの階層とは明確に空気が違っていた。
湿度が低く、熱がこもっている。
石壁の表面は煤けたように黒く変色し、ところどころに焼け跡が残っていた。
ベルゲンは足を止め、壁面に触れる。
指先で撫で、わずかな凹凸と焦げの深さを確かめると、床へ目を落とした。
足跡の重なり、引きずられた痕、血痕の乾き具合を順に追っていく。
「新しいな。
半刻も経ってねぇ」
低い声だった。
ここまでの進行で、無駄な戦闘は一度もなかった。
遭遇は回避され、罠は事前に見抜かれ、消耗は抑えられている。
斥候としての精度が、そのまま生存率に直結していた。
レオンは整理する。
負傷は軽微。
魔力消費も許容範囲内。
全員が戦闘可能な状態で最下層に到達している。
――予定通り過ぎる。
通常であれば、ここに至るまでに一度は崩れる。
このパーティは崩れていない。
ベルゲンの判断と、索敵精度の高さが、それを成立させている。
最奥の間。重い扉の前に立つ。
内側から、衝撃音が響いた。
低く、鈍い振動が空気を震わせる。
「……やってるな」
ボーフムが盾を握り直す。
ベルゲンはすぐには動かなかった。
扉の隙間に身を寄せ、わずかに開ける。
レオンも位置をずらし、同じ隙間から内部を確認する。
広い空間の中央で、戦闘が行われていた。
三つの頭を持つ巨体。
見上げるほどの高さ。
黒い体毛の隙間から、炎が滲むように漏れている。
口を開くたびに、喉の奥で赤い光が揺れた。
ケルベロス。
その周囲で、数人の冒険者が散開している。
動きは悪くない。
連携も成立している。
とはいえ、消耗が激しい。
呼吸が荒く、足取りが重い。
前衛の一人が踏み込む。
斬撃が通る。
しかし浅い。
直後、横から振り払われ、壁に叩きつけられた。
動かなくなった。
陣形が崩れる。
「……今じゃねぇ」
ベルゲンが小さく呟く。
判断は速かった。
「待つ。
様子を見る」
ボーフムが短くうなずく。
アリシアも言葉はないが、杖を構えたまま動かない。
レオンは向き直る。
状況を切り分ける。
敵は一体。
動きは単純。
だが出力が高い。
炎の範囲が広い。
正面突破は消耗が大きい。
中のパーティーは四人。
いや、五人か。
奥に一人、動きの速い人影がいる。
回避主体。
短剣。
赤髪。
女性。
彼女は一歩も止まらない。
攻撃をいなし、隙を突き、位置を変え続けている。
だが、周囲がついていけていない。
前衛がもう一人崩れた。
炎が走る。
横一線に薙ぎ払うような熱波。
回避が遅れた一人が、直撃を受ける。
声が途切れた。
――間に合わない。
レオンの腰が上がる。
「入る」
ベルゲンが振り返る。
「待て」
「崩れる」
「まだ危ない」
断定だった。
その一瞬で、もう一人が倒れた。
残るは赤髪の女性と、もう一人。
その一人も、足を引きずっている。
レオンは扉に手をかけた。
「今なら間に合う」
「打合せがねぇ。巻き込まれるぞ」
「崩壊する」
言い切る。
ベルゲンの目が険しくなる。
次の言葉はなかった。
レオンは扉を開けた。
熱気が一気に通路に流れ出る。
「出すぎるなよ」
レオンの言葉を受けて、ガウィンが一瞬だけ笑う。
「任せろ」
最奥の間に飛び込んだ。
レオンは状況を見切る。
位置。
距離。
タイミング。
「ガウィン、右。
次の噛みつきの後だ。首が下がる」
即座に応答が返る。
動きが変わる。
遅れてボーフムも入室してきた。アリシアも。
レオンは目の端に捉えて即座に指示を出す。。
「ボーフム、三歩前。
受けてから左に流せ。正面は取るな」
盾が軌道を変える。
「アリシアは待機。
回復は温存。炎の直後に集中」
場の流れが止まる。
戦闘が、噛み合う。
赤髪女性の動きが一瞬だけ止まる。
次の瞬間、理解したように動きが変わる。
その場の全員がレオンの指示に乗る。
ケルベロスが吠える。
三つの口が同時に開く。
炎が収束する。
来る。
「散開」
全員が動く。
ブレスが走る。
床が焼け、石が弾ける。
回避は間に合った。
その隙。
レオンがヴェリスに視線を送る。
「いけるか」
「可能」
短い返答。
レオンとヴェリスが手を重ねる。
魔力の流れが重なる。
詠唱が紡がれる。
魔法が構築される。
「グラキランス」
氷が集束する。
空気が軋む。
巨大な氷柱が、床下から突き上がり、下から貫く。
一つの頭が、顎から串刺しにされた。
絶叫が響く。
動きが止まる。
「今だ」
ガウィンが踏み込む。
赤髪女性も同時に動く。
二人の軌道が交差する。
残る二つの首に、同時に刃が届く。
深く、確実に。
血が噴き出す。
黒い体毛の間から流れたそれは、地面に触れた瞬間、煙を上げた。
毒。
距離を取る。
ケルベロスが揺れる。
巨体が、ゆっくりと崩れた。
沈黙が落ちる。
息の音だけが残る。
赤髪の女性は、その場に立っていた。
他は、動かない。
全滅だった。
【シーン②:帰還の間】
転移の光が収まると、薄暗い石室に静けさが戻った。
最下層に設けられた帰還の間は、外界の喧騒とは切り離された場所であり、足音と呼吸だけがやけに大きく響く。
誰もすぐには口を開かなかった。
戦闘の余熱が、まだ体に残っている。
レオンは壁に背を預け、目を閉じる。
損耗を整理する。
致命傷なし。軽傷のみ。魔力も残っている。
ここまでの進行も含めて、損耗は最小限に抑えられている。
――ベルゲンの判断は正しい。
それは否定できない。
同じ階層で、もう一つのパーティーは壊滅した。
こちらは、生きている。
その差は明確だった。
「……勝ったな」
ボーフムが低く言う。
誰も応じない。
ベルゲンがレオンを見る。
「勝っただけだ」
静かな声だった。
「結果としてな」
続ける。
「統制を乱した。
勝手な判断で動いた。
再現性がねぇ」
レオンは顔を上げる。
「待てば全滅していた」
「そうとは限らねぇ」
「崩れていた」
言い切る。
「見ていたはずだ。
前線は限界だった」
「だからって突っ込むか?あの状況で」
ベルゲンの声は変わらない。
「共倒れになる可能性の方が高い」
「最適な手があるなら、使うべきだ」
「最適?違うな」
ベルゲンは一歩踏み出す。
「結果的に当たっただけだ。
外せば終わりだ」
間があった。
「外さない前提で組んだ」
「だから危ねぇって言ってんだ」
短く吐き捨てる。
「全員が同じ理解で動けるならな。
だが現実は違う」
沈黙が落ちる。
アリシアが目を伏せる。
「……ごめんなさい。指示についていけなくて」
ボーフムも続く。
「俺もだ。
合わせたが、あれは偶然だ」
ガウィンだけが違った。
「でもよ」
壁にもたれたまま笑う。
「さっきの方が、戦いやすかった」
ベルゲンがレオンを見る。
「次はない」
はっきりと言う。
「俺の指示に従えねぇなら、連れて行けねぇ」
レオンはうなずいた。
「理解している」
レオンはひとつ、大きく息を吸った。
「だから、ここで抜ける」
空気が止まる。
ガウィンがすぐに動いた。
「俺も行く」
迷いはない。
ベルゲンは何も言わない。
ただ一度だけ目を閉じ、開く。
「好きにしろ」
それだけだった。
背を向ける。
アリシアも、ボーフムも動かない。
残る選択をした。
レオンは出口へ向かう。
「――待って」
背後から声がした。
振り返る。
赤髪の女性が立っていた。
血に濡れたまま、壁に寄りかかっている。
「話がしたい。あと、礼も」
軽い口調だった。
「どのみち、新しいパーティー探さなきゃだし」
レオンは一瞬だけ沈黙する。
そして、うなずいた。
三人になる。
いや、ヴェリスもいる。
成立する。
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