第44話 冒険者
【シーン①:墓前】
街の通りには春が盛っていたというのに、墓地の空気はまだ冷たかった。
石柱を渡る風は、ほのかな湿り気を含み、足元の土は雪解けにゆるんでいる。
さすがに残雪はなかった。
むき出しの大地に、申し訳程度の草が、柔らかな緑を添えていた。
ルーカスの墓標の前で、レオンはしばらく立っていた。
視線は刻まれた名前に落ちたまま、動かない。
「……すごい魔術師には、なれなかったよ」
報告だった。
それ以上でも、それ以下でもない。
約束をしていたわけではなかった。
でも、あの頃、お互いにすごい魔術師、すごい剣士になるものと思っていた。
あの後、自分だけでも、とも思っていた。
しかしそれすら叶わなくなった。
言い訳は浮かばない。
説明も不要だった。
何が足りなかったのか、どこで崩れたのか、すべて理解している。
理解していて、なお、どうにもならなかったという結論だけが残っている。
「……全部、分かってたはずなんだけどな」
小さく吐き出した言葉は、風に流れて消えた。
背後で誰かの足音が止まる。
「……大きくなったな」
振り向くと、ルーカスの父――グスタフ・ヴォルスが立っていた。
以前と変わらない巨体が、墓標の並ぶ中でわずかに影を落とす。
視線はレオンを透して、墓に向けられていた。
「……ご無沙汰しています」
「ああ」
それだけだった。
会話は続かない。
グスタフは何も尋ねない。
レオンの言葉を受けて、何かを返すこともしない。
ただ、そこにいる。
視線がわずかに動き、レオンを捉え、すぐに外れる。
測られているようだった。
だが、評価ではない。
「……おれは、もうだめなんです」
自然と出た言葉に、自分でもわずかに違和感があった。
誰かに言うつもりではなかった。
聞かせる意図もない。
ただ、そこに置いただけだ。
グスタフは沈黙したままだった。
否定しない。
肯定もしない。
それが、妙に楽だった。
レオンはそれ以上何も言わなかった。
言葉を重ねても意味がないと分かっていたし、何より、この場にそれは求められていない。
風が抜ける。
枝が揺れ、影が揺れる。
「……そうか」
しばらくして、グスタフが短く言った。
それだけだった。
それで終わりだった。
【シーン②:野営】
大森林の夜は、静寂とは程遠かった。
見えない場所で何かが動き、遠くで鳴き声が重なり、枝の折れる音が断続的に響く。
闇は濃く、焚き火の光が届く範囲だけが、かろうじて人の領域として保たれていた。
その境界を支えているのは、魔道具だった。
焚き火を中心として円を描くように木に吊るされたいくつかの円環が、ほのかに光っている。
風が吹けば揺れ、頼りないオブジェにしか見えないそれは、全体として一つの構造を成している。
結界。
隠蔽。
力の弱いヒトを外界の脅威から護る。
シンプルながら強く、安定した力を発していた。
レオンは焚き火のそばに座りながら、その配置を視界の端で追っていた。
ここに至るまでの経緯は、あまりにも簡潔だった。
二日前に遡る。
夕食の席で、父は一度だけ問いかけた。
「どうなんだ?」
短い言葉だったが、意味は明確だった。
修練場での結果も、その後の様子も、すでに伝わっている。
何を問われているかは理解できた。
しかし、答えは出ていなかった。
沈黙したままのレオンを見て、父はそれ以上踏み込まなかった。
「グスタフが来ている」
知っている。会った。
「グスタフについて、大森林の探索へ行け。
話はつけてある」
説明はなかった。
理由も示されない。
ただ、決定だけが置かれる。
唐突だった。
疑問もある。
しかし、選択肢は存在しない。
「……わかりました」
自分の声は、思ったよりもはっきりしていた。
自分でも驚くほどに。
あの場で何を考えていたのか、まだ整理はついていない。
ただ一つだけ確かなのは、あのまま同じ場所に留まることは選べなかった。選ばなかった。
焚き火がはぜる。
グスタフは少し離れた位置で刃を研いでいる。
一定のリズムで石を滑らせる音が、周囲のざわめきと混じり合う。
木にもたれた男――カルロは、緩やかに火を眺めながら、警戒は解かない。
気配を探るというより、すでに把握しているものを確認しているような様子だった。
そして、もう一人。
クラウスは、焚き火の反対側に座っている。
フードに覆われた輪郭は曖昧で、表情はほとんど読み取れない。
丁寧に魔道具の手入れをしている。
レオンはこの男から視線を外せないでいた。
クラウスの第一印象は、柔和な男だった。
ぶかぶかのフード付きローブの端から、優しそうな口元だけが見えた。
しかし、同行するうちに、その装備の異常さに気づく。
杖を握った手に付けられた指輪、大きく動いたときにじゃらりとなる装飾具、腰に付けた護符入れ。
魔道具は小さなものでもかなり高価だ。
それを全身に、無数に身に着けている。
そして、武器は杖が一本。
グスタフのような大剣もない。
カルロのような弓もない。
魔道具での魔法戦闘が主、と見る。
だが、違和感。
――圧がない。
強い術者特有の気配が、まるで感じられない。
これだけの数の魔道具を扱うなら、よほどの魔力が必要なはずだ。
それこそ、上級貴族に匹敵する魔力が。
しかし、クラウスにはそれを感じないのだ。
クラウスがわずかに顔を上げた。
視線が一瞬だけ交わる。
穏やかな目だった。
探るような色はない。
ただ、そこにあるだけの視線。
すぐに外れる。
何も言われない。
それが、妙に残った。
「坊主、火、見とけよ」
カルロの声が軽く飛ぶ。
「はい」
短く返す。
役割は単純だった。
小枝を集め、火を焚き、薪をくべ、絶やさない。
水汲みもしたし、炊事もした。
手順を誤るたびにカルロに怒鳴られた。
それすら、役割だった。
今の自分に任せられるのはその程度のことだ。
気にしてなどいない。
焚き火の光が揺れ、影が形を変える。
夜は深く、気配は途切れない。
眠気は来なかった。
代わりに、思考だけが残る。
ここには、自分の知らないやり方がある。
――理解できない。
……観測が必要だ。
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