第41話 喪失
【シーン①:実家】
雪解け水が、軒先から細く滴っていた。
一定の間隔で落ち、石畳に小さな音を立てる。
春が来ている。
空気はまだ冷たい。
しかし、冬のそれではない。
硬さが抜け、どこか緩んでいる。
レオンは窓辺に座り、その様子を眺めていた。
変化は理解できる。
理由も説明できる。
だが――
それ以上の意味はない。
立ち上がる。
足取りに問題はない。
ふらつきもない。
肉体に違和感は一つもなかった。
ただ、軽い。
体がではない。
体の奥が。
部屋の中央に立つ。
右手を上げる。
思考は必要ない。
「……ライト・ループ10」
光が生まれる。
一つ、二つ、三つ……九度の明滅。
力が、抜けている。
込めたはずのものが、そのまま外へ逃げる。
流れが細い。
蛇口をひねる。
水は出る。
ただ、水圧が足りない。水量が足りない。
それと同じだった。
成立している。
だが、弱い。
最後の光が灯り、維持しようと、魔力を込める。
揺れる。
維持しようと意識を乗せるほど、歪みが増える。
数秒。
それだけで、崩れた。
光が散る。
同時に、内側が抜けた。
眩暈がする。
足元がわずかに不安定になる。
急激に器の底に近づいた証。
――最大出力でもなく。
たった、これだけで。
以前なら、この程度の魔法は何回でも繰り返せた。
レオンは動かなかった。
魔法の光は、すでに陽の光に溶けていた。
「……制御はできる」
それだけは確かだ。
精度も落ちていない。
設計はできる。分岐も組める。条件も積める。
問題はその先だ。
実行に移す度に分かる。
――持たない。
途中で崩れる。
器の中が、空になる。
制御する対象が、消える。
――魔法を成り立たせているのは、魔力。
あの言葉が、今になって答え合わせをしてくる。
制御は、形を整えるだけだ。
形を整える前に、燃料が尽きる。
計算が、先に答えを出す。
試す意味がない。
――ならば。
答えが、出なかった。
いくら考えても答えはでない。
先に、進まない。
残るのは、それだけだった。
【シーン②:外】
「レオン!」
扉が開く。
クララが顔を出した。
「外、行こ」
短い言葉だった。
強引さはない。
ただ、逃がさないような距離。
連れて行かれた先は、教会学校だった。
石造りの建物は、春の湿気を吸って色を濃くしている。
扉の隙間から、子供たちの声が漏れていた。
「クララお姉ちゃん!」
中に入ると、子供たちが駆け寄る。
クララがしゃがみ込み、目線を合わせる。
「ちゃんとやってる?」
「やってる!」
「うそだなー」
軽い笑い声。
空気が柔らかい。
レオンは少し離れた壁際に立った。
声は聞こえる。
内容も理解できる。
しかし、そこに入る理由はない。
「これ、できるようになった!」
一人の子供が手を上げる。
小さな光が、指先に灯る。
不安定ではあるが、形にはなっている。
すぐに消えた。
「すごいねぇ」
クララが笑う。
「ちゃんと練習したんだね」
頭を軽く撫でる。
子供は嬉しそうに笑った。
「もっと大きくしたい!」
「そうだね。でも――」
クララは少しだけ言葉を区切る。
「魔法がなくても、できることはいっぱいある」
慰めではない。
事実だ。
だから、重い。
子供は首を傾げる。
「ご飯作ったり、物運んだり、誰か助けたり」
「でも、魔法のほうがすごいじゃん」
即答だった。
クララは少しだけ困ったように笑う。
「すごいけど、それだけじゃないって話」
会話は続く。
理解は浅い。
それでいい。
レオンはそのやり取りを見ていた。
子供の魔法は、不安定だ。
それでも成立している。
それで、評価される。
それでいいとされる。
魔法がなくてもできること。
――自分になにができるのか。
レオンは視線を外した。
外に出る。
子供たちの声が背後に残る。
風が吹く。
まだ冷たい。
街をぶらつく。
クララはしきりにいろいろな話をする。
入力として処理していた。
視界の端に、風が走った。
誰かが魔法の風を吹かせたのだろう。
梢にかかっていた洗濯物が飛び、それを追う足音が遠ざかる。
煙突から煙が上がっている家がある。
炊事をしているのだろう。
煙の元、かまどの炎も、おそらく魔法で着けられている。
この世界は魔法に満ちている。
誰もが魔法を使え、生活の中で役立てている。
魔力の大きいものは、小さいものを助け、護るために。
レオンも、ほんの数カ月前までは護る側だった。
いまは、クララに護られている。
マルタや、父母に護られている。
魔力を失うということは、そういうことだった。
護れない。助けられない。並べない。
できることの輪郭が、急激に狭くなっている。
レオンは立ち止まった。
クララが不安そうに下からのぞき込む。
そういえば、レオンはいつの間にかクララより背が高くなっていた。
教会学校で机を並べていたころは、わずかにクララの方が大きかった。
学院へ入学した頃もそれほど身長の違いを感じたことはなかった。
自嘲が、こぼれた。
――身体は大きくなっているのに、中身が減るなんてな。
「大丈夫?」
本気で心配している。
「ああ」
「そう、じゃあ、帰ろうか」
クララは何も聞かない。
聞かないようにしている。
それがわかる。
分かった上で、レオンは何も言わない。
言えば、何かが壊れる予感がした。
だから、黙る。
何が壊れるのか。
それも、分からなかった。
クララに引かれるように、レオンはまた歩き出した。
傾いた陽が、長い影を前に伸ばしていた。
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