第31話 幻影
【シーン①:実験】
深夜。
寄宿舎の一室には、灯りが落ちていた。
机の上に置かれた小さな光源だけが、室内をかろうじて照らしている。
何日目になるかは、もう数えていない。
レオンは夜ごとマルセルを引きずり出し、同じ実験を繰り返していた。
当然のように失敗が続いている。
マルセルは椅子に腰かけたまま、ぼんやりと机の上を見つめていた。
目の下にはうっすらと影が落ちている。
「……すみません」
小さく呟く。
だがレオンは首を振った。
「問題ない」
短く、それだけ。
視線は机の上に固定されたまま、思考を続けている。
魔法の属性は六つ。
火、水、風、土、生命、光。
それ以外の属性は、本来存在しない。
少なくとも、体系としては確立していない。
だが現実には、例外がある。
例えば、重力魔法のような、王侯貴族が継承する特有魔法。
あれは、既存の体系から外れた、一般化されていない属性だ。
それは同時に、閉じた系でもある。
再現できない。参照もできない。
ならば。
既存の枠の中で、逸脱するしかない。
レオンは思考を切り替える。
新しい属性は作れない。
だが、組み合わせることはできる。
幼年期に行った検証が脳裏に浮かぶ。
風の矢を生成する魔法、ヴェントダート。
三本のヴェントダートを同時に発射する処理。
あれは”同一魔法の待ち合わせ処理”だった。
ならば今回は。
異なる属性の、待ち合わせ処理。
レオンはゆっくりと息を吐き、手を差し出した。
「もう一度」
マルセルが一瞬ためらい、そしてその手を取る。
不安は隠しきれていないが、拒否はしない。
これも、何度目かの動作だ。
待ち合わせ処理を行うということは、
複数の魔法を同時に使うということだ。
レオンは自身の魔力を少ないとは思っていない。
だが、今回実験する規模を考えると、困難という結論に達した。
そこで、役割を分ける。
共同魔法の実習でやったことの応用だ。
レオンは制御に専念し、出力はマルセルに任せる。
苦肉の策ではある。
しかし、マルセルには膨大な魔力がある。
リスクとリターンを考えれば、マルセルを選ぶのは自然な結論だった。
レオンは目を閉じる。
まず、水。
机の上に、細かな粒子が発生する。
空気中に散った水分が集まり、淡い白の塊を形作る。
霧。
不均一で、不安定な媒体。
だが、形を持つ。
これだけでも、制御は難しい。
レオンはその状態を維持したまま、次の詠唱へ移る。
光。
ここからが正念場だ。
マルセルの手を、今度は握る。
出番を示す合図だ。
マルセルが詠唱をはじめ、ふたりの詠唱が重なる。
光が生まれる。
一つ。
二つ。
三つ。
数は増えていく。
マルセルは魔法名までを担い、その先の細かな調整はレオンが引き取る。
強度。色。角度。収束。
すべてを、その場で上書きしていく。
霧の中に、光が差し込む。
散る。
反射する。
揺らぐ。
レオンの意識が、わずかに引っかかる。
だが――今回は違う。
持ちなおす。
これまで何度も崩れていた同期が、維持されている。
マルセルの魔力供給に、大きな波がない。
初めて、条件が揃った。
レオンは握る手にさらに力を込める。徐々に。
マルセルが、それに応じて魔力を流す。
ゆっくりと。
正確に。
霧の中で、光が形を持ち始める。
点ではない。線でもない。
面。
そして、輪郭。
ぼやけていた像が、徐々に収束していく。
――現れた。
机の上。
そこに、小さな人影が立っていた。
手のひらに収まるほどの大きさ。
それは。
マルセルだった。
動かない。
音もない。
だが、確かにそこにいる。
霧を媒体に、光が形をなぞっている。
外部に投影された像。
幻影。
レオンは息を止めたまま、それを見つめていた。
成功。
幻影魔法。
初めての到達。
次の瞬間、像が揺らぐ。
明滅。
歪み。
維持できない。
像は崩れ、霧が散り、光が消える。
机の上には、何も残らなかった。
沈黙。
重い疲労が、遅れて押し寄せる。
指先が震える。
視界がわずかに揺れる。
だが。
レオンは小さく息を吐いた。
持続も短い。
まだ再現性はない。
構造も不完全だ。
それでも。
失敗ではない。
到達した。
第一段階に。
レオンは椅子の背に体を預ける。
視線は、何もない机の上に残したままだった。
確かに、見えた。
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