第3話 はじめての魔法
【シーン①:食卓の会話】
食堂に足を踏み入れると、すでに父――カール・ライナーが席についていた。
黒髪を後ろへ流し、顎には整えられた髭。
年齢に見合った落ち着きと、服の上からでもわかる鍛え上げられた体。
自然な”圧”をまとっている。
簡素な朝食の場であっても、その存在だけで空気が引き締まるようだった。
「おはようございます」
遅れて入ってきた母が、父に声をかける。
「ああ」
短い返事。
多くを語らないが、それで十分に成立しているやり取りだった。
レオンも席につき、食事に手を伸ばす。
しばらくのあいだは、食器の触れ合う音だけが静かに続いた。
――言うなら、今か。
ずっと気になっていた。
水をきれいにする魔法も、火を灯す魔法も、何度も目にしてきた。
そのたびに、自分でもできるのかと考えていたが、口に出すことはできずにいた。
まだ早いと言われる気がしていた。
今日はどうしても、あの魔法が発現する光景が頭から離れない。
だから。
「……父さん」
カールの手が、わずかに止まる。
「なんだ」
視線だけが向く。
その一瞬で、試されているような感覚を覚える。
「魔法、やってみたい」
言い切った瞬間、自分でも少し驚くほど、言葉はすんなりと出た。
ようやく、言えた。
胸の奥に溜まっていたものが、一つ外に出たような感覚があった。
カールはレオンを見たまま、数秒黙る。
測るような沈黙。
「……まだ早いと思うが」
そう言いながらも、完全に否定する響きではない。
「興味を持つのは悪くない」
ナイフとフォークを置き、ゆっくりと姿勢を起こす。
「マルタ」
「はい」
「基礎だけでいい。無理はさせるな」
「かしこまりました」
朝食が再開され、食器の音だけが場に戻る。
その後、一言もなく、カールは食事を終えて食堂を出ていった。
――許可は出た。
胸の奥に、小さな熱が灯る。
期待だけがあった。
【シーン②:はじめての魔法】
部屋に戻ると、マルタが向かいに座った。
心配なのか、エルザも列席する。
「では坊ちゃま、さっそく試してみましょう」
その口調は変わらず穏やかだ。
「まずは一番簡単なものからです」
その時だった。
扉の外から控えめな声が届いた。
「奥様、ヴォルフ家の皆様がお見えです」
「通してちょうだい」
エルザが応じる。
やがて扉が開き、赤子を抱いた女性が現れた。
「ごきげんよう、エルザ姉さま」
丁寧な所作で一礼する。
エルザの妹――アンナ・ヴォルフだった。
「いらっしゃい、アンナ。
子供たちも連れて?大変だったでしょう」
「ええ、でもこの子がどうしても来たいと言って」
そう言って、軽く後ろを促すと、女の子が飛び出てきた。
クララ。レオンより一つ年上の幼馴染だ。
「レオン!」
ぱっと表情を明るくする。
距離の近さも、明るさも、いつも通りだった。
「レオン、なにしてたの?」
「坊ちゃまはこれから魔法のお勉強なのですよ」
マルタが代わりに答えると、クララの目が一気に輝く。
「わたしもやる!」
有無を言わせない。
当たり前のように、レオンの隣に座った。
マルタは一瞬だけエルザを見た。
エルザが小さく頷く。
「では、クララさんも一緒にやってみましょうか」
マルタは手を軽く上げ、短く言葉を口にする。
「ライト」
指先に、小さな光が生まれた。
一瞬だけ存在し、すぐに消える。
「このように、光を灯す魔法です」
何度も見てきた現象だったが、自分が“やる側”として向き合うと、印象が少し変わる。
「同じようにやってみてください」
レオンは手を上げる。
真似る。
動きも、タイミングも、見たままをなぞる。
クララも同じ動作をする。
「らいと」
「……らいと」
舌足らずな発音で、言葉を口にする。
――何も起きない。
もう一度やる。
同じ。
やはり、何も起きない。
「できた!」
クララの指先に、光が灯っていた。
クララが振り向く。
「できたよ、レオン!」
レオンは手を上げたままでいる。
「……なんで」
思わずこぼれた。
もう一度試す。点かない。
同じ条件だった。
同じ教師。同じ説明。同じタイミング。
なのに、結果が違う。
どこが違うのか、何が足りないのか。
「レオンはまだできないの?
じゃあわたしが教えてあげる」
クララがまた手をかざす。
「こうやって、こう!」
光が灯る。消える。
「ね?こうやるの」
もう一度。
光が灯る。消える。
「ほら、やってみて」
「……らいと」
何も起きない。
三度。四度。
そのたびに光が灯り、消える。
説明する言葉を探しながら、何度も何度も点灯をさせる。
「……あれ」
声が、少し小さくなる。
クララの体が傾く。
「クララさん!」
マルタが素早く立ち上がり、支える。
クララは抵抗せず、マルタの腕の中に収まった。
部屋が騒然とした。
アンナの顔色が変わる。
エルザに赤子を預けて駆け寄ると、奪うようにクララを抱きしめた。
クララの目は開いている。
ただ、焦点が定まっていない。
「……なんか、くらくらする」
先ほどまでの勢いが、完全に抜けている。
アンナは、胸をなでおろした。
「魔法の使い過ぎよ」
アンナがクララの頭を撫でながら、たしなめる。
「魔法を使うと、代わりに体の中から魔力がなくなるの」
クララはおとなしく聞いている。
さっきまで当たり前のように光を出していたのに、今は自分で座ることもできていない。
――使うたびに、消費する。
「……ぼくは」
自分の手を見る。
何度やっても、何も起きなかった。
疲れてもいない。
何も変わっていない。
「坊ちゃまはまだ魔法を発動させておりませんので」
マルタが静かに補足する。
レオンは下を向く。
「焦らず、少しずつ慣れていきましょう」
正しい。
しかし、納得はできない。
できる人が目の前にいるのに、自分はできない。
しかも理由がわからない。
それが一番、気持ち悪かった。
【シーン③:声】
夜。
一人になった部屋で、レオンはもう少しだけ魔法を試すことにした。
昼間のやり取りを思い返しながら、ベッドの上で姿勢を整え、ゆっくりと息を吐く。
何度も繰り返した動作ではある。
今度は一つ一つを意識的に追いかけるように、順を追ってなぞっていく。
手を上げる。
目を閉じる。
「……らいと」
舌足らずな詠唱は、やはりどこか不安定で、音としても曖昧だった。
――何も起きない。
結果は変わらない。
思考が空回りする。
同じことをやっているはずなのに、何も起きないまま終わる。
その繰り返しに、じわじわと焦りが積み重なっていく。
原因が見えない。
手がかりもない。
それでも、繰り返すうちに一つだけ、引っかかるものがあった。
詠唱の、その瞬間。
ほんのわずかに、滑らかに流れていない部分がある。
言葉にしきれない違和感。
混ざり込んでいる、異質なもの。
――ノイズ。
意識をそこに向ける。
結果ではなく、その違和感そのものを掴むように、集中を深めていく。
手を上げる。
目を閉じる。
「……らいと」
その瞬間。
脳裏に、何かが流れ込んできた。
光ではない。
映像でもない。
文字のようでいて、見慣れたどの文字とも違う。
意味を持ちそうで持たない"何か"が、思考の奥に直接流れ込んでくる。
理解できない。
わからない。
思考が、ほどけていく。
焦りでも、怒りでもない。ただ純粋に、わからない。
――なぜ、こうなってる。
声に出たわけではない。
叫んだわけでもない。
思考の底に、ただそれだけが残った。
その瞬間。
≪質問を受領しました。ただし内容が不明確です。具体化してください≫
感情のない、平坦な声が、頭の内側に直接響いた。
思考が、止まる。
今のは――
――誰だ。
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし「面白い!」「続きが気になる」と思ってくださったら、
★や感想で応援していただけると、執筆の励みになります!




