第27話 強制制御
【シーン①:実習】
季節は八月に入っていた。
校舎の厚い壁は夏の光を完全に遮断し、中はいつも通りの薄暗い魔導灯だけだった。
ほのかに風だけが夏の匂いを運ぶ。
季節の移り変わりとは無関係に、講義は予定通り進む。
「本日は、共同魔法の実技を行う」
実習用の広間には、一定間隔で魔術紋様が施された水瓶が並べられている。
いずれも大人一人がすっぽり入るほどの容量があり、中は空だ。
最初に説明される。
課題として求められているのは『同期』と『協調』。
二人で詠唱を揃え、魔力を合わせることで、一人で行うより効率よく、安定した魔法の実行ができることを実習する。
具体的には、二人一組となって、水瓶に水を満たす体験学習だ。
「二人一組となれ」
ヴォルフの指示に生徒はざわめき、次々とペアを作って水瓶のもとへ歩み寄る。
レオンはその場に立ったまま、動かなかった。
組む相手がいない。
周囲ではどんどん組み合わせが決まっている。
適当に目線を向けるが、視線が交わりかけると、わずかに逸らされる。
露骨ではないが、意図は十分に伝わる距離感だった。
レオンは特に気にする様子もなく、空いている水瓶を一つ選ぶ。
そのとき、背後から視線を感じた。
ゆっくり振り向く。
少し離れた位置に、マルセルが立っている。
迷いと遠慮が入り混じった表情だったが、視線だけははっきりと向けられていた。
――組みたい。
言葉にはならないが、それだけは分かる。
レオンは一拍だけ間を置き、短く言った。
「来いよ」
マルセルは小走りで近づいてきた。
「よ、よろしく……おねがい、します……」
声は小さく、いつもどおり姿勢も縮こまっている。
ヴォルフの説明が終わり、開始の合図が出る。
そこここで詠唱が始まる。
レオンも水瓶に片手を当て、口を開いた。
横で同じようにマルセルが続く。
「……コレクテンス……」
ずれる。
発音も、間も、揃わない。
水は発生するが、水流は二本に分かれている。
『同期』できていない。
レオンは一度止めた。
「遅らせろ。あと半拍」
「あ、は、はい……」
再開する。
今度は間が合ったように思えた。
しかし、水流は一本ではあるが出たり止まったりと、全く安定しない。
「『協調』ができていない」
巡回してきたヴォルフが言った。
コツは二人の呼吸と意識を合わせることだ、とアドバイスして立ち去る。
レオンは短く指示を出す。
「ゆっくりやるから、合わせろ」
詠唱速度を遅くして、マルセルに追わせる。
数回繰り返すことで、ようやく形が整い始めた。
水は安定し、持続する。
このまま続ければ、水瓶は満たされるはずだった。
次の瞬間だった。
水量が急激に増加する。
指ほどの細さだった流れが一気に太くなり、腕の太さを通り越して、丸太ほどに勢いを増して噴き出した。
制御されていない出力が、そのまま現象に現れている。
水が飛び散る。
水瓶の縁を越え、激しく床に溢れ始める。
「……っ」
止まらない。
マルセルは瓶から手を離そうとするが、魔法継続中で離れない。
出力が暴走している。
「と、止められな……い!」
マルセルの声が震える。
どう止めるのかを知らない。わからない。
理解していない。
流れが維持されている以上、現象は止まらない。
レオンも、奔流に巻き込まれるように魔法が止められないでいた。
考える余裕はなかった。
流れに意識を向ける。
重い。
太い。
制御されていない圧の塊が、そのまま流れている。
――止める。
押さえ込む。
無理やり流れに干渉する。
弾かれる。
それでも押し込む。
絞る。
締める。
暴れる流れを押さえつけ、通る量を減らす。
水量が落ちる。
まだ多い。
さらに締める。
ようやく、流れが収まる。
水は水瓶の中で揺れ、八割ほどを満たして止まった。
ただ、水瓶に入らなかった分の方が多い。
周囲は水浸しになっていた。
静寂が戻る。
あまりのことに、全員の目がレオンとマルセルに集中していた。
しかし、二人にはそれを気にする余裕はない。
失敗ではあった。
だが、完全な失敗ではない。
レオンはその場で息を整えながら、今の感覚をなぞる。
ひとつだけ、確認したいことがある。
――何が、起こった。
頭の内側に問う。
≪同調した魔力に介入して、強制的に制御しました≫
言葉として落ちる。
制御。
コレクテンスは詠唱によらず出力を調整できる魔法だ。
一人で実行する場合は、出力と制御は当然一人で行う。
しかし、二人以上でやる場合は出力と制御を揃える必要がある。
認識の一致が必要だ。
――認識は一致していない。
ある意味、止めたいという意志は合っていただろう。
しかし、止め方について一致できていたとは思えない。
少なくとも、レオンにはマルセルがどうやって止めようとしていたかわからない。
しかし、止められた。
強制制御。
あの時、レオンは止めること、制御のみに集中した。
出力と制御は役割を分けられる。
出力する側と、抑える側。
歩みを揃えるのではなく、分業による協調。
構造は単純だった。
再現できる。
レオンは顔を上げる。
「もう一度やるぞ」
「……ぇ?」
マルセルは明らかに嫌な顔をした。
「次は成功する」
「……は、はい」
レオンの圧に、マルセルはあっさり折れた。
「制御はこっちでやるから、マルセルは安定出力に集中しろ」
名前で呼ばれたことに、マルセルの目が一瞬だけ丸くなる。
「は、はい……!」
明確に返事をする。
空いている水瓶を選んで、再開する。
「……コレクテンス……」
詠唱が揃う。
今度は最初から、流れに意識を向ける。
マルセルの魔力が流れ込んでくる。
重い。
量が多い。
そのままではまた暴れる。
先ほどの感覚をなぞる。
流れを掴む。
通す量を絞る。
締めるのではなく、調整する。
均一に通す。
わずかな揺れも見逃さない。
少しでも緩めれば溢れる。
締めすぎれば止まる。
その中間を維持する。
集中が必要だった。
余裕はない。
水が溜まる。
ゆっくりと、しかし確実に水面が上がっていく。
縁に近づく。
――ここで止める。流れを断つ。
焦らない。
徐々に。
水面が静止する。
溢れて、いない。
レオンはその場でわずかに体勢を崩したが、踏みとどまる。
消耗が大きい。
自分の魔力量の倍もあるマルセルの魔力制御だ。
極限まで集中した分、負担がそのまま乗っている。
だが、成立はした。
マルセルは水瓶を見つめ、そのままゆっくりとレオンに視線を向けた。
「……すごい……」
小さく呟く。
しかし、その表情には戸惑いが残っている。
「ぼく……何も……」
言葉が続かない。
何が起きたのか理解できていない。
ただ、結果だけがそこにある。
レオンは水面を見たまま言った。
「出力は充分だった」
評価ではなく、確認だった。
マルセルの方を向く。
マルセルは何度も頷いている。
視線はまだ揺れている。
先ほどとは違う。
マルセルのレオンを見る目に変化があった。
その変化にレオンは気づいてはいた。
しかし、内容までは理解できない。
ただ、マルセルの視線が妙にまぶしい。
レオンは再び水瓶を見る。
手応えはあった。
出力と制御は分けられる。
どちらか一方だけでも成立する。
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