第26話 没頭
【シーン①:日常】
入学から一ヶ月が過ぎた。
学院での生活は、驚くほど早く日常へと変わっていた。
起床の時間、講義の流れ、寄宿舎での過ごし方。
すべてが規則に沿って動いている。
最初に感じた違和感は薄れ、代わりに効率の良い動き方が身体に馴染みつつあった。
レオンの生活は単純だった。
講義を受けるか、図書館にいるか。
そのどちらかで一日の大半が終わる。
【シーン②:図書館】
図書館は広いが、整ってはいない。
棚は系統ごとに分けられているように見えるが、その基準は曖昧だった。
同じ属性の魔導書が別の区画に混ざり、関連書が離れて配置されていることもある。
目録はあるにはあるが不完全で、古い記録は更新されていない。
探している本が見つからないこともあれば、記録にない本が棚に紛れていることもあった。
――効率が悪い。
レオンは机に着き、その周囲に本を積み上げていた。
左右、足元、背後。
手を伸ばせば届く範囲に、無秩序に積まれた魔導書が山を作っている。
読み終えたもの、途中のもの、これから確認するものが混在していた。
一冊を手に取る。
ページをめくる。
視線が滑るように進む。
内容の理解と選別が同時に進む。
読んでいるというより、構造を拾い上げているに近い。
数十ページを数分で通過し、使える記述とそうでないものが切り分けられていく。
常人の読書速度ではない。
だが、レオンにとってはこれが基準だった。
手が止まる。
記述に違和感がある。
既知の理論と合わない。
「この記述は、これまでの理論と反する。どう見る」
いつもの反応が、頭の内側から返ってくる。
≪80%の確率で記載誤りと考えられます。全体を通して整合性が取れていないことから、偽書と推定されます≫
「ハズレか」
本を閉じる。
山の一角に無造作に積み上げる。
使えない本の側だ。
似たような本がいくつもある。
検証されていない記述、出典の曖昧な理論、それらが整理されることなく並んでいる。
視線を上げる。
格子戸の向こうに閉架の棚がある。
戸には鍵がかかり、閲覧には申請が必要だ。
すぐに確認したい内容ほど、そこに収められている。
禁書に関しては、そもそも所在が明示されていない。
許可を求めた。
しかし、入学早々に問題児認定をされてしまったことで、しばらくは叶わなそうだった。
「……」
量が揃わない。
質も一定ではない。
体系的に整理しようとすると、前提が崩れる。
レオンは次の本を取る。
読み、判断し、振り分ける。
その繰り返し。
時間だけが静かに過ぎていった。
【シーン③:食堂(昼)】
昼の食堂は、夜よりも人が多い。
それでも席は埋まりきらず、ところどころに空きがある。
レオンは空いている席に座り、食事を取る。
向かいに人影が立つ。
「……あの、ここ…、いい、ですか……」
マルセルだった。
頷くと、安心したように座る。
しばらく無言で食事が続く。
やがて、マルセルが口を開いた。
「き、今日の……授業、その……むずかしくて……」
視線を落としたまま言う。
「魔力の流れを……安定させるところで……」
言葉が途切れる。
レオンは手を止めない。
「出力を落とせばいい」
短く返す。
マルセルは一瞬固まり、慌てて頷く。
「あ、ああ……そ、そうですよね……」
何度も繰り返す。
納得というより、掴みきれていない様子だった。
食事が進む。
マルセルはちらちらと視線を上げては、すぐに逸らす。
「レオンさんは……図書館、ですか……」
「ああ」
「ずっと……。すごい……です……」
小さな声だった。
それ以上は続かない。
会話はそこで途切れた。
レオンは食事を終えると、そのまま立ち上がる。
向かう先は決まっていた。
図書館だった。
【シーン④:呼び出し】
図書館を出たときには、すでに日が落ちていた。
閉館の合図とともに人が流れ出る中、レオンも外へ出る。
寄宿舎へ向かう途中だった。
「レオン」
名前を呼ばれる。
振り向くと、講師ヴォルフが立っている。
短く合図され、無言で従う。
通されたのは講師室だった。
ヴォルフは椅子に座り、視線だけを向ける。
「剣技の授業に出ていないな」
確認だった。
「最低限は出ています」
「足りていない」
間を置かず返される。
レオンは否定しない。
「魔法だけで完結すると思うな」
低い声が続く。
「距離が詰まれば、発動は間に合わん。詠唱の途中で潰されることもある」
実戦想定。
「何を捨てるかは自由だ。
ただし、お前は剣技コースだ。
剣技を捨てては、生き残れんぞ」
ヴォルフはレオンを覗き込む。
レオンは一度だけ頷く。
「理解しています」
返答はそれだけ。
「次からは出ろ」
「はい」
退席した。
【シーン⑤:夜】
部屋に戻ると、マルセルは机に向かっていた。
本を開き、身を縮めるようにして文字を追っている。
指でなぞりながら、一行ずつ確認している。
止まり、戻り、また進む。
同じ動作の繰り返し。
レオンは一度だけ視線を向け、すぐに外した。
机の上にあるのは、実務科の教材だった。
法律や帳簿の扱いに関する内容が並んでいる。
魔法とは直接関係のない、運用のための知識。
レオンとマルセルではコースが違う。
レオンは父の影響で剣技コース。
マルセルが実務コースなのは、おそらく推薦人の意向だ。
扱う内容も、求められるものも異なる。
マルセルは時間をかけて読み進めている。
効率は悪い。
それでも手を止めない。
残念な奴だ、とは思う。
レオンはベッドに横になり、目を閉じる。
思考の中で、今日の情報を整理する。
途中で、別のことが浮かぶ。
魔力測定室。
あの夜以降、扉には厳重な鍵がかけられている。
封印も追加され、講師以外は立ち入れなくなった。
監視も増えている。
数値で確認できる手段が、封じられてしまった。
わずかに思考が止まる。
すぐに切り替える。
できないものは後回しにする。
別の方法を考えればいい。
完全でなくても、近似は取れる。
そう結論づける。
壁際に寝がえりをうつ。
背後で、ページをめくる音が続いている。
マルセルはまだ止まらない。
同じ箇所を何度も読み返している。
努力は認める。
だが、惜しい。
外は静かだった。
学院の夜は、何事もなく過ぎていく。
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