第23話 同室者
【シーン①:居室】
扉を閉めたあともしばらく、部屋の中には動きがなかった。
視線だけが、かすかに揺れる。
気配と目以外は見えない。
部屋の隅に置かれた棚の陰。
そこに人の存在が固まっている。
レオンは急がなかった。
観察に徹する。
ずいぶんな時間を置いて、ようやく影が動いた。
恐る恐る、という言葉がそのまま形になったような動きで、人物が姿を現す。
レオンは思わず距離を取った。
大きい。
細い。そして長い。
ひょろりとした長身が、縮こまるようにして立っている。
姿勢が極端に悪い。
長身であるにもかかわらず、上目遣いをしようとするせいで、背が折れている。
肩が内側に入り、首が前に出る。
身体の大きさと、取っている姿勢が噛み合っていない。
顔立ちは悪くない。
プラチナブロンドの髪は癖が強く、あちらこちらに跳ねていた。
整え方が分かっていないような散り方をしている。
着ている服の質は、学院に入る者としては、標準以上だろう。
しかし、着慣れていない。
肩の位置が合っていないのか、布が身体の動きに馴染んでいなかった。
「あ、あの……」
声が小さい。
途切れがちで、息と一緒に漏れる。
「よ、よろしく……おねがい、します……」
イントネーションに訛りがある。活舌も悪い。
言葉の端が崩れ、発音が均一ではない。
レオンは短く名乗った。
それに対して、相手も慌てて続ける。
「マ、マルセル……です……あの、ぼくなんて、その……」
言葉がまとまらないまま、頭を下げる。
動きが多い。落ち着きがない。視線も定まらない。
何か言うたびに肩がわずかにすくみ、そのたびに「すみません」と言い出しそうな空気がある。
実際に口に出す。
「いや、その、ぼくなんて……おこがましいというか……」
自己評価が極端に低い。
事実の問題ではなく、認識の問題だと分かる。
レオンはもう一度だけ全身を見直した。
外見と挙動を照合する。
違和感は明確だった。
身体のスペックと、中身の釣り合いが取れていない。
「測定はいくつだった」
短く尋ねる。
マルセルの動きが止まる。
視線が泳ぎ、口がわずかに開いて、そのまま閉じる。言うかどうか迷っているのが分かる。
「……は、八十……です」
小さな声で答えたあと、すぐに付け加える。
「あの……あまり、人には言うなって……その……」
言い終わる前に、言ってしまったことを後悔している様子が見える。
レオンはその数値をそのまま受け取った。
自分は四十。
目の前の人物は八十。
単純な比較なら、倍で終わる。
だが、この数値の意味はそれだけではない。
計測時に講師は言った。
四十は一般人平均の二倍。一般科でも上の方、と。
それを基準と考えると、一般人平均は三十で、一般科の平均は四十程度と考えられる。
八十は、その規格から外れている。
比較対象として成立していない。
わずかに、息が漏れた。
笑ったのかどうか、自分でも分からない。
ただ、整合が取れなかった。
マルセルはその反応をどう受け取ったのか、さらに身体を縮める。
「す、すみません……ぼくなんかが……」
謝る理由がない。
しかし、本人の中では成立しているのだろう。
レオンはそれ以上その点を追及しなかった。
「出身は」
「あ、あの……地方の……村で……その、農村で……」
言葉を探しながら話す。
「領主さまの……ご推薦で……」
特待。
その言葉はマルセルの口からは出てこなかったが、意味は同じだった。
「どうやって評価された」
「あ、あの……日照りのときに……その、水を……」
言いながら、手で形を作るような動きをする。
「コレクテンスで……水を出して……」
基本的な水生成魔法だ。珍しくはない。
「それで……雨みたいに……なって……」
そこで言葉が止まる。
「みんなが困っていたので……何とかしようと、思って……」
それ以上の意味はないらしい。
本人にとっては、ただそれだけのことだった。
水を生成する魔法で"雨のように"降らせる。
単純な出力量では説明がつかない規模だ。
「魔法はどこまで使える」
「あ、あの……基本的な……やつぐらいで……その……」
レオンは一度だけ頷いた。
応用の話は出てこない。理論の話もない。
覚えて、使っているだけ。
体系として理解している様子はない。
情報は揃った。
出力だけが突出している。それ以外は平均以下。
処理構造が組み上がっていない。
力だけがある。使い方が分からない。
そういう状態だと理解した。
マルセルはまだ落ち着かない様子で、部屋の隅に立っている。
こちらを見ては視線を逸らし、何か言おうとしてやめる。
関係性はもう決まっていた。
対等ではない。
勝手に下に着かれる。
レオンはそれを受け入れた。
不快でもなければ、特別な感情もない。
――もったいない。
ただそう思う。
レオンは視線を外し、自分の荷物を整理し始める。
背後で、小さく息を呑む音がした。
それ以上、言葉は交わされなかった。
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